第2話

「怒ってなんかいませんよ。全然怒ってません。怒るわけ、ないじゃないですか」


 呼吸を整えると、薫子は菩薩の笑みを浮かべて言った。


 翔太は巣穴に隠れた小動物のように、頭上に掲げた指の隙間から、チラチラと薫子の顔色を伺っている。


「……本当に?」

「本当です。私が小森君に嘘をつくわけないじゃないですか」


 穏やかな笑みを、翔太はジッと見返した。


 その奥に、悪意がないかと探るように。


 それらしきものは見つけられなかったが、だからと言って安心は出来ない。


 翔太はエスパーではない。


 人の心など読めないし、隠された悪意など見抜けるわけがない。


「……じゃあ、なんで嘘告なんかするんですか……」


 おっかなびっくり尋ねると、薫子は聞き返した。


「そもそも嘘告ではありません。どうしてそう思うんですか?」

「……だって。何度も騙されたし……。お、大野さんみたいな凄い人が、僕なんかを好きになるわけないから……」


 翔太が告白されるのはこれが初めてではなかった。


 数だけなら、片手で余る程されている。


 けれどその全てが、翔太を弄ぶ残酷な悪戯だった。


『バ~カ。あんたみたいなチビ助をあたしが本気で好きになるわけないでしょ』

『アハハハ! まだ気付かないの? 超ウケるんだけど! 脳みそまでお子様じゃん!』

『ごめんなさい。これ、罰ゲームだったんです。ていうか、普通は最初に気づくと思うんですけど……』


 思い出すだけで心が抉られる、辛い記憶の数々だ。


 忘れたいのに忘れられず、今でも時折夢に見る。


 それでものこのこ呼び出されたのは、無視したらもっと酷い目に逢うからだ。


『はぁ? チビ太の癖になに無視してんの。生意気なんだけど』

『あたしの告白シカトするとか、何様のつもり?』

『おいチビ太! お前のせいで賭けに負けただろ!』


 経験上、この手のイタズラは複数の人間が関わっていて、男子が糸を引いている場合も少なくない。


 無視した所で、別の嫌がらせを受けるだけなのだ。


 思い出すと翔太は悲しくなった。


 惨めになり、死にたくなった。


 どうしてみんな僕の事をイジメるのだろう。


 どうして放っておいてくれないのだろう。


 いったい僕がなにをした?


 チビってそんなにいけない事?


 泣きたくないのに、ポロポロと涙が零れる。


 必死に食いしばった歯の奥で、引き攣った喉が「えぐ、えぐ、ひっぐ」と情けない嗚咽をあげていた。


 そんな翔太を、薫子は壮絶な表情で見つめていた。


 まるで親兄弟を皆殺しにされたような。


 それでいて、尊いものを見るような恍惚さも混じっていた。


 相反する二つの感情を、薫子は胸の中で至極の飴玉のように転がしていた。


 ブルリと震えると、薫子は優しい笑みで翔太を見つめた。


 目の奥に、黒々とした歪な光を宿していたが、翔太は気づかなかった。


 臆病なので、人の目を見て話せないのだ。


 薫子が可愛すぎるというのもあっただろうが。


「可哀想に。今まで沢山辛い想いをしてきたんですね。でも、もう大丈夫です。そんな想いは二度とさせません。私は本当に小森君の事が好きなんです」

「……それ、前も言われた事あるよ。嘘だったけど……」


 信じて、心を許し、手酷く裏切られた。


 一度ならず、二度、三度。


 そんな目に遭ったら、翔太だって学習する。


 女の子はみんな、自分を騙す為に告白してくるのだと。


「私のは本当です。本当に本当。真実の愛です。この目を見て下さい。嘘つきの目に見えますか?」


 薫子は両手を広げて翔太を見つめた。


 浮かべた笑みは聖女の如く。


 だが、翔太はチラリと一瞥するだけで、まともに直視しようとはしない。


「そんなのわかんないよ……。女の子はみんな、嘘つくの上手なんだもん……」


 これまで翔太を騙した女子達だって、最初はみんな聖女のように思えたものだ。


 可哀想な翔太に同情し、理解のある振りをして油断させ、こちらが心を開いたら後ろからグサリ。


 恥ずかしいやり取りを公開され、何度みんなの前で笑い者にされた事か。


 あんな想いは二度としたくない。


 どれだけ拒絶しても、薫子は怯む気配すら見せなかったが。


「困りましたね。どうしたら信じて貰えるのでしょう」

「……無理だよ。普通に考えて、こんなチビ好きになる子なんかいるわけないもん」


 身長僅か140センチちょっと。


 高校生なのに、いまだに小学生と間違われるレベルだ。


 チビの中でもダントツの、学校一のチビ助である。


 ひ弱で、臆病で、男らしさの欠片もない。


 良いとこなしのダメダメ男。


 自分が女だとしても、こんな奴とは絶対に付き合いたくないと思うのだが。


「はい、は~い。ここにいます。私がいます。正直に言うと私、小さい子がタイプなんです。それも、小さくて可愛い男の子が。小森君は、ショタコンという言葉をご存じですか?」

「……いや、知らないけど。どういう意味の言葉なんですか?」

「ロリコンの男の子版です」


 曇りなき眼で薫子は言った。


 なぜだか翔太はゾワっとした。


 今まで感じた事のないタイプの恐怖である。


「………………帰ります」

「待ってください」


 薫子に制服の襟首を捕まえられる。


「背の高い男の子が好きな女の子がいるんですから、背の低い男の子が好きな女の子がいてもおかしくはないと思うのですけど」

「大野さんのはそういうのとはちょっと違う気がするんですけど……。僕、小さいだけでショタじゃないし……」

「だから良いんじゃないですか! 高校生の私が小学生の男の子に手を出したら普通に犯罪です。その点小森君なら安心して愛でられます。誰が見ても小学生にしか見えない高校生。まさに合法ショタ。全ショタコンの夢です。私はずっと、小森君みたいな男の子とお付き合いしたいと思っていたんです」

「全然褒められてる気がしないんですけど……」

「なぜ? 生まれてこの方これ程人を褒めた事はないのですけど」


 薫子は本気で不思議に思っているようだ。


 それは翔太も同じだったが。

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