キワ子と天啓の村

ミコト楚良

1  10才のたんじょう日

 その日、キワ子の両親は朝から、そわそわしていた。


 おかあさんは、この日のために用意した丸えりの水色半そでワンピースを、キワ子に着せた。 

「顔は洗った?」「洗った」キワ子が、そう言ったのに、おかあさんは、ぬらした手ぬぐいでキワ子の顔をぐいぐいと、ぬぐった。そして、キワ子の額に髪がかからないように、青いぱっちん留めで前髪を留めた。


「どこか、お出かけするの?」

 念入りな支度したくにキワ子は、わくわくした気持ちをおさえられず、洗面所の鏡の前で口のまわりを白い泡だらけにして、ひげをそっていた、おとうさんに聞いた。


亀松かめまつの、おやしきに行くが」

 おとうさんが、いつものように大きな手で、つかむようにキワ子の頭をなぜると、お母さんがカン高い声をあげた。

「せっかく、ととのえたとこなのに!」

「わぁ、すまん、すまん」


 亀松かめまつのおやしきというのは、キワ子の親せきの家だ。それと、「亀松かめまつは、山主やまぬしの家だ」と、おとうさんから聞いた。

 このあたりの山林を所有している長者だそうだ。キワ子のような小学5年生でも知っている。


 山主やまぬしのもとで、山を管理するのが山守やまもり

 山守をまとめるのが、山守頭やまもりがしら

 キワ子の父は昨年、脱サラして山守やまもりになった。


「里の女子はとおになると、亀松さまのばばさまに呼ばれるの」

 母が、キワ子の青いぱっちん留めをつけ直してくれた。

「かめまつの、ばばさま」

 キワ子は神妙に、その名をくりかえした。

 母といっしょの時、村で一軒だけのストアで、その人をみかけたことがある。

 背中に『きららデイサービス』と書いた、ひまわり色のポロシャツを着たお姉さんが、「亀松かめまつさん、そこ、段差ありますけ」と、つえをついたおばあさんに呼びかけていた。


「あ。もう、こんな時間」

 お母さんが、自分のしたくをはじめた。台所のテーブルに置いた卓上の鏡を見ながら、リップスティックを使うと、おかあさんのくちびるは、よそいきのバラ色に染まった。

「さぁ、行こう」

 おとうさんは、麦わらのカンカン帽子をかぶった。ぴんとのりがきいた白いワイシャツは、5月の日差しに、より白くかがやいた。そうして、屋根つき車庫の、カーキ色のデッキバンの運転席に乗り込んだ。


 デッキバンは、軽自動車にトラックよりは小さな荷台がついた貨物車だ。最大4人の乗車ができるうえに汚れた道具や、ぬれた荷物、かさばるものも荷台に積めるのだ。

「さぁ、相ぼう。今日はキワ子の、めでたい日だよ」

 キワ子の父は、デッキバンに話しかけた。

『そうでごわすか』

 デッキバンは、低いガソリン臭い声で答えた。そして、うしろの席のスライドドアを、するすると開けた。

『はい。キワ子ちゃん、どんぞ』

 キワ子は運転席のうしろに乗り込んだ。赤ちゃんの時から、その席がキワ子の指定席だ。おかあさんも、うしろの席の左に乗り込んだ。

 シートベルトが伸びて来て、かちゃんと3人の体を固定した。

「さぁ、行こう」と、おとうさんが言うと、『発進しますで』と、デッキバンのエンジンのエンジンがかかった。


 家の門から右に出ると、アスファルトの道が山肌に沿うように、うねうねと続いていた。その道を、デッキバンは、ぐんぐんと上って行く。

 10分ほど走っていると、ぽつりぽつりとあった家もなくなり、道路の右側は岩がごつごつとしている山肌、左側は川が流れる、がけになった。

 緑がいちばんい季節だなと、キワ子は思った。途中、ダムのある場所も通った。満々とたたえられた水面は日の光に、きらきら輝いていた。

 少し開いた車の窓から、やわらかな風が流れ込んでくるのに、おかあさんは気をよくし、「よい風」と言って目を細めた。


亀松かめまつのおやしきって、遠いの?」

 車のルームミラーを見ながらキワ子は、お父さんに話しかけた。

「もうすぐだ。村のいっとう奥だから」 

 

 そのうち、くねくねと曲がっていた山の一車線の前方が、ぱぁっと開けた。岩山が見える。その岩山は、段々になったケーキのように、たくさんのかやぶき屋根の木の家をまとっていた。いっそ、お城と言った方がふさわしいかもしれない。

 石垣が組まれて、そのひとつの区画に、ひとつ、かやぶき屋根の木の家が建てられている。山が、おやしきなのか、おやしきが山なのか、わからないほどだ。緑の木々に彩られていた。

 キワ子たちのデッキバンは、その岩山のいちばん下のかやぶき屋根の門の近く、たいらにならした空き地に停まった。


「さぁ、行っておいで」

 おとうさんがルームミラーごしに、キワ子に笑った。

「?」

 キワ子がとまどうと、おかあさんがキワ子の左肩に、そっと手を添えた。

「今日、亀松かめまつばばさまに招待されたのは、キワ子だけだから。ここからは、キワ子だけで行くのよ」

 キワ子の右側で、デッキバンのスライドドアが開く。

『いってらっしゃい』

 キワ子は少し心細くなったが、降りるしかなさそうだ。

 両親の乗ったデッキバンを振り返りながらキワ子は、おやしきの門へと歩いた。木々の枝が重なって、そのうち、車は見えなくなった。

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