第2話 キャンパスの初印象、暗流の胎動
翌朝、清々しい朝日が寮の部屋を照らした。鳥のさえずりと共に、新たな一日が始まる。身支度を整え、僕と林は教室へ向かった。廊下は新生徒たちで活気に溢れ、どこのクラスでも見られるような、初々しいながらも少し緊張した空気が流れている。
一年B組の教室に入ると、すでに何人かの生徒が着席していた。趙敏行は前方の席に陣取り、周囲の日本人生徒に積極的に話しかけている。その傍らで、佐藤健が穏やかな笑顔を浮かべながら彼らの会話に耳を傾けている。一方、教室の隅では、李浩宇が早速ノートパソコンを開き、何やら集中して作業を始めていた。彼の周りには少し近づき難いオーラが漂う。
ホームルームが始まり、担任の北島教頭が教室に入ってきた。彼は温厚な表情で私たちを一瞥すると、穏やかな口調で学校生活の心得を説き始めた。
「桜風高等学校は、異なる文化を持つ者同士が互いを尊重し、学び合う場であります。皆さんには、ここで勉学に励むと共に、良き友人関係を築いて欲しいと願っています」
その言葉は、ごく普通の教育者のそれだった。しかし、僕はふと、北島先生の眼差しの奥に、何か言い知れぬ憂いのようなものがちらりと浮かぶのを捕捉した。気のせいだろうか。
昼休み、僕は王梓と共に食堂に向かった。彼はすでに何人かの日本人生徒と打ち解けており、にぎやかに談笑するグループに自然に溶け込んでいった。そこには、中国文化に興味を持つ山本太郎の姿もあった。
「ここのカレーはなかなかうまいよ」
山本が笑顔で教えてくれた。
そんな和やかな一時、食堂の入口付近で少しばかり気になる光目が繰り広げられた。趙敏行が、数人の日本人生徒に囲まれるように立っている藤原拓海と、ばったり顔を合わせたのだ。二人の間には一瞬、張りつめた空気が流れる。藤原は無表情のまま、しかし確かに相手を評価するような冷たい視線を趙に一瞥すると、何も言わずにその場を立ち去った。趙は一瞬眉をひそめたものの、すぐにまた本来の快活な表情を取り戻し、私たちの輪に加わってきた。
「何かあったのか?」と王梓が尋ねた。
「いや、なんでもない」趙はさして気にかけていない様子だった。「でも、あの藤原って奴、何だかよそよそしいな」
午後の授業は歴史だった。教師が明治維新後の日本の近代化について講義していると、教室の後方から、聞き慣れない、しかしどこか熱を帯びた声が上がった。
「先生、その説明は不十分ではないですか?」
発言したのは藤原拓海だった。彼は姿勢を正し、鋭い目付きで教師を見つめている。
「我が国が急速な発展を遂げ得たのは、強い規律と国に対する献身の精神があってこそです。その核心部分に触れずして、歴史の真価を語ることはできません」
その言葉に、教室はしんとした。教師も少し面食らった様子で、「まあ、確かに様々な解釈はありますが、今回は基礎的な事実の確認が主ですので…」と、曖昧にその場を収めようとした。
趙敏行の表情が曇った。彼は歴史好きとして、藤原の主張が単なる愛国心を超えた、歪な方向性を含んでいることを直感的に感じ取ったようだ。隣の席の佐藤健が、心配そうに趙と藤原を交互に見つめる。
放課後、僕と林逸飛は図書館へ向かった。寮に戻る前に、少し予習をしておこうというわけだ。静かな図書館で資料を探していると、ふと書架の向こう側で聞き覚えのある声が囁くように会話しているのが聞こえた。
「…準備は着々と進めている。我々の理想を理解する者も、少しずつだが増えてきた」
「しかし、まだ時期尚早だ。慎重に…」
声の主を確かめようと書架の隙間から覗くと、そこには藤原拓海と、いつも彼に付き従う山口一郎の姿があった。藤原の横には、知的ではあるがどこか陰のある表情をした田中健太郎も立っている。彼らは私たちの存在には気づいていないようだった。
「学生會は重要だ。まずはあの機関を手中に収めなければ」藤原が低い声で言った。
「趙の動きには注意が必要です」田中が付け加える。「あの中国人は…危険な思想の持ち主だ」
その言葉に、僕は思わず息を飲んだ。林も同じように聞いていたらしく、彼の顔にはわずかに緊張が走っている。私たちはそっとその場を離れ、互いに目配せした。何かが動き出そうとしている。それは確かだった。しかし、その正体はまだ霧の中のように見えなかった。
その夜、寮の部屋で僕は林に尋ねた。「あいつら、いったい何を企んでいるんだ?」
林は窓の外の暗がりを見つめたまま、静かに答えた。「分からない。だが、あの熱量は…ただ事ではない。用心した方がいい」
桜の花びらが舞う平和なキャンパスには、目には見えない暗流が、確実にその蠢きを始めているのを感じずにはいられなかった。明日、学生會の勧誘が始まる。すべては、そこで動き出すのだろうか。
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