【完結済み】『金髪の女狐』ルクレツィア~愛の詩一葉で不埒な男に天誅を下す~

荒川馳夫(あらかわ はせお)

第1話

――君を、世界中の誰よりも愛してる。


 これは、目の前に座る男が繰り返してきた愛の告白。


――言葉だけじゃないよ。受け取ってくれ。


 そう言っていつも渡してくれたのは、私への愛をつづった十四行詩ソネット。私はそれを左手に握っている。


「ねえ。この女と二度と会わなくていいようにさ、早くしちゃってよぉ」


 そして今……夫になるはずだった男からの愛はいきなり現れた浮気相手を見た途端に、全てが嘘だったんだ、と認めざるを得なくなっている。


「もちろんさ、フィロメーナ。僕は最初から君一筋だったからね」


 抑え込めない怒りが沸き上がるのを感じ、額に青筋を立てて私は吠えた。


「ラファエロ! あなた、私に何通も恋文を送っておいて、こんな……」


 許せなかった。私が待ち望んだ結婚を台無しにされたことが。


「ルクレチィア。いつまでも一人の女を愛する男なんていやしない。君は乙女すぎるのさ」


 ああ、なんて男!

 私の愛を、純粋な愛を踏みにじるなんて!


「やだなぁ、そんなふうに僕を見ないでよ。所詮僕たちは政治的な婚姻で夫婦になるだけだったんだよ? まさか僕が本気で君のことを愛してると思ってた?」


「やだぁ、ラファエロ様ったらぁ。ダメよぉ、そんなことをこの女なんかに正直に答えちゃってー」


 もうやだ、彼の背中に腕を回してるフィロメーナって女!

 これ見よがしに媚びなんか売っちゃって!

 あなた、いつから彼と付き合ってたのよ!


「ルクレチィア」


「な、なによ」


「僕とフィロメーナがいつから男女の仲になったか、知りたいんだろ? いいかい、それはね……」


 もうこれ以上、この男の言葉なんか耳に入れたくなかった。

 けど、要点だけはおぼえておかないと。

 なるほど、ラファエロ。あなた最低よ。

 縁談が進められる中で、私に隠れてそこの女に寝取られるなんて。

 それと何よ? 私は子爵家の娘だけど、その女はここパドア領主の娘だから格上の方を選んだ? 

 

 あのね、確かに政略結婚だった。それは認めるわ。

 でも、そこに『本物の愛』があっちゃいけない?


 ねえ、私のこの怒りはどこにぶつければいいの? ねえったら!


「そんなわけで、ルクレチィア。君との婚約は破棄させてもらう。あ、君の両親がどう言おうと僕のパパとママは聞き入れないから。まあ、子爵家がパドア領主の娘婿に抗議できるはずないけどね!」


 悔しいけど、ラファエロの言う事は事実。

 パドアの領主ピシストラーテ公爵は目の前に立っている寝取り女フィロメーナの父で、しかも疑り深い人柄で無実の人を処刑したがる暴君だったから。

 もしこの女フィロメーナの行動に文句を言えば、翌日には死刑執行人の斧が私を斬首することは確実だ。


 でも、このままじゃ終われない。終わりたくない!


「それじゃ婚姻破棄のあかしとして、これに署名してくれ。嫌とは言わせないよ?」


 ラファエロは前もって準備しておいた一枚の紙――『婚約破棄証明書』に自筆で署名しろ、と言ってきた。


 怒りで体の震えが止まらない。

 こんな紙きれ一枚で、私の愛が粉々に……。

 正直、署名なんかしたくなかった。

 けど、それは無理だった。

 私だけならまだしも、お父様とお母様まで断頭台に登らせたくなかったから。


「はぁ……」


 私は署名を終える。ほんの少し筆を動かしただけなのに、まるで五歳も歳を取った気がした。だってそれだけの期間、私はラファエロと私的に付き合ってきたんだもの。それが無になったら嘆かずにはいられないじゃない。


「ありがとう。じゃ、僕は後でそれを司教様に出してくるから」


 ラファエロが書類を寄越せと迫ってきた。

 思わず私は、彼に書類と手渡そうとする。


 が、ここで思う。


 このままでいいの?

 彼の言うがままに渡してしまって。

 むしろ、これを上手く使えたりはしない?

 そう、彼とあの女フィロメーナを地獄に突き落とす方法とか……。

 とにかく、このまま終わっちゃダメ!

 

「ラファエロ、お願いがあるの」


「なんだい?」


「この書類を私の手で司教様に届けさせて」


「そりゃかまわないけど……どうして?」


「その方がすっぱり諦められるから」


 上手い口実だとは思っていなかった。でも、ラファエロは怪訝そうな顔をした後で「じゃあ、明日には出してくれよ」とだけ告げて、あの女フィロメーナと我が家の応接室を出て行ってくれた。


 応接室に私だけが残される。

 

 書類に目を通す。

 何か策はないかと考える。

 あの二人を追い落とす秘策が、その道具がないか、と。


(もしかして彼の筆跡と、それとあの女フィロメーナの署名とかが手に入れば……)


 次の瞬間、私は悪い笑みを浮かべていた。心の奥底で復讐の炎が燃え上がるのを感じる。


 光明が差した気がした。

 私は奮い立ち、そして誓ったの。


『ラファエロ。あなたの幸せは私がぶち壊してあげる!』って。

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