第2話 いきなり異世界は酷いと思います ②
男性がいなくなり、私は部屋で休んでいました。
寝床用にと、男性は冬に使っているらしい毛布一枚を恵んでくれました。もふもふの毛布の上で、噛まれた左肩部分の傷の痛みに苦しめられつつ、横になっていた次第です。
そのまま私は眠ってしまいました。
どれくらい眠っていたのか、気づけば部屋の中は真っ暗でした。
頭がぼうっとする中、どうにかこうにか部屋の電気をつけることに成功します。
「あれ?」
そのとき、私はようやく異変に気づきました。
兎っぽい生き物だったはずなのに、人間の姿になっています。
ドタバタと洗面台の方に走れば、地球にいた頃の自分ではない顔が、鏡に映っていました。
兎バージョンのときと毛色と同じ、真っ白な髪。眉毛もまつ毛も真っ白けっけ。
だからこそ余計に目立つ、赤い瞳。
左肩部分を見れば、噛まれた傷が瘡蓋になりつつありました。痛みも、寝る前より引いています。
とまあ、鏡に映るは、十代半ばくらいの外見の小柄な女性です。
地球の自分より若くて可愛いですけど、これが今の自分なのかと思うと、不思議でたまりません。
突然のことに、何がなんだか分かりませんが。
とりあえず、何か服をお借りしようと思います。
夏の終わりか秋の始まりくらいの気温ですが、すっぽんぽんはさすがに寒いのです。
借りてもそこまで怒られなさそうな、わりとくたびれている部屋着らしき上着一枚だけを拝借しました。
男性と今の自分の体格差もあり、ダボダボの上着一枚で十分なのです。
「どうしよっかな、これ」
再び毛布の上に横になり、困るしかありません。
いきなり異世界で、しかも兎らしき生き物になっていたと思ったら、今度は人間の姿になるとか。
困惑するなという方が無理でしょう。
それに、これから男性のペットとして飼われると腹を括っていた部分があっただけに、項垂れるばかりです。
言葉が通じるかは分かりませんし、大体説明したらしたらで、面倒なことになるのは目に見えています。
「絶対、追い出されるよね……」
反対の立場なら、そうします。
兎のペットが、いきなり人間の姿になるなんて、驚愕し拒否されるのは明白。
そもそも、あの男性は、兎というか私自体を飼うことに乗り気じゃなかったですしね。
「まあ、正直に説明するしかないかぁ。言葉が通じるといいけど」
それでどうなるのかは、男性次第でしょう。
いろいろと最悪な想定をしつつ、急に襲ってきた眠気の誘いに拒む選択はありませんでした。現実逃避万歳です。
「悪い、起こしたか?」
再び目を覚ますと、男性はドライヤーで髪を乾かしていました。
そして、私はまた兎の姿に戻っていました。取りあえず、ほっと一安心。
「俺の服にくるまって寝るとか、そんなに留守番一人……じゃなくて一匹でしてるの、寂しかったわけ?」
男性は髪を乾かし終えると、からかうように微苦笑します。
そうですね。傍から見ると、寂しがり屋のペットが飼い主の匂いがするものにくるまれて寝たわけですので、男性のおっしゃることはご尤も。
しかしながら、実際はそうではありませんので。複雑な気持ちでしかいられません。
服の上着から抜け出し、男性に近づけば、頭や背中を撫でられました。
一度人間に変化したものの、兎っぽい姿に戻れたわけで。どういう仕組みか訳分かりませんし、細かいことは今は気にしないことにします。
男性を騙している罪悪感がないわけではありませんが。こっちだっていきなり異世界でこうなって、処理が追いつかないのです。事なかれ主義でいくっきゃありません。
「食べたがってたもの買ってきたから」
既に切り分けてくれていたらしい野菜や果物を提供してもらえ、ありがたくいただくことにしました。
水分が多くて前脚が汚れそうなものは、男性が食べさせてくれます。
私が食事をし終えると、男性はテキパキと後片付けや掃除をし始めました。
「お前、トイレしてないみたいだけど。大丈夫か?」
男性が段ボールで作ってくれた簡易トイレは、未使用のまま。部屋のどこにも粗相していなければ、そりゃ指摘されますね。
ただ、指摘されるまで排泄していないことに気づきませんでした。
一応体に不調はないので、頷いておきます。
「ならいいけど。具合悪くなったら、訴えてくれよ」
男性から信用と諦めの色を見せられつつ、私は再度首を縦に振りました。
「じゃあ、俺は出勤ギリギリまで寝るから。なんかあれば叩き起こせ」
洗濯までし終えると、男性はそう告げて寝室に行ってしまいます。
そうなると、ぶっちゃけ暇です。
リビングのパソコンは勝手にいじったら、さすがに怒られそうですし。
テレビは男性の寝室なので、見れそうにありません。
しかしながら、こんなに心行くまで睡眠を取れてゆっくりできるの、いつ以来でしょうか?
地球にいた頃は、過去の嫌なことを思い出したくなくて、お金もたくさん貯金しなければいけないと、アルバイト三昧でした。月に二日しか休みがないこともざらで。
ときどき、正社員にならないかと打診されることもありましたが。そこまでの意欲もなかったですし、そこで働く適性が自分に備わっているのか甚だ疑問しかもてなくて。
高卒以来、日本各地を転々としながら、ずっとフリーターでいます。
夢も希望もなく、なんの取り柄もない高卒。一生価値観が合わず、まともに会話も成立しない実家の面々とは絶縁状態。
人付き合いが大の苦手で、連絡を取り続ける友人もいませんでした。
だからか、何かあれば頼れる者など存在しなかったため、体が動けるうちにがむしゃらにお金を稼ぐことだけ考えていた気がします。
実際、人恋しさにろくでもない男にいれこんで痛い目に遭い、半年ほど無職でほぼ引きこもっていましたから。恋は盲目ってこと、身をもって痛感しましたよ。
やめやめ。芋づる式に嫌なことばかり考えるのは、精神衛生上よろしくありません。
ぶるぶると首を振って、プチ物置と化している空き部屋の方へ向かいました。
カーテンもかかっていない大きな窓から、燦燦と陽光が差し込んでいます。ベランダに干された洗濯物も、男性が起きる頃には乾いていることでしょう。
多分、地球には戻れないと思います。
ショックでないといえば噓になりますが。私には特段親しい間柄の人なんて一人もいませんでしたので、殊に気落ちはしていません。
今後この世界で生きていくことに関しては、不安しかないですけどね。
男性に追い出されたとして、順風満帆に生きていけないでしょうし。どういう仕組みか人間になることも含め、前途多難ですよ、全く。
あれだけ寝たのに、また眠くなってしまいます。
ひょっとすると、一度寝ると人間に戻る仕組みかもしれないので、正直寝たくはないのですが。とにもかくにも眠いっ!
大きく欠伸をすると、リビングに戻り整えられた布団に潜り込みます。
布団の近くには、男性がもう着ないだろうという上着も置いてくれたので、万が一にはそれを着ればいいでしょう。
結局睡魔に抗えるほどの根気はなく、私は寝てしまいました。
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