第8話 元アイドルせいかのチェンジ人生
せいかは、一人娘さあやの自殺の原因について、いくら考えてもわからなかった。
私はさあやの理解者ではなかったのだろうか?
ただ、ひとつ言えることは、この罪人寄り添い教会に通い、神を信仰し、いろんな人の心の痛みを癒す歌を歌っていくことがさあやの慰めになるのではないかと、おぼろげながらわかりかけてきた。
もうすぐクリスマスシーズンを迎える
クリスマスは、イエスキリストの誕生日である。
イエスキリストのお生まれになった場所は、豪華な宮殿のシャンデリアの下ではなく、なんと馬小屋の中であった。
馬糞と尿にまみれ、不衛生で臭く、人間の一歩も近寄れないほどの汚染に満ちた馬小屋。
まるでそれは、人間の心のなかのようである。
イエスキリストはそんな人間の心を見透かすように、不衛生な馬小屋でお生まれになったのである。
イエスキリストはその当時、律法学者やパリサイ人など身分の高い人達が政権をふるい、その支配下にあって不自由な生活を送っている民衆からは人気を集めた。
できたら、イエスキリストにユダヤ人の王となって、民衆の都合のいい政治をしてほしいと願っていた。
しかし、神の一人子であるイエスキリストが地上に降誕されたのが、それが目的ではなく、人類の罪のあがないをするためであった。
ユダヤ民衆に人気のあったイエスを、律法学者やパリサイ人はねたみ、このままでは自分がユダヤ民衆を支配できなくなるのではないかという危惧感に襲われ、イエスキリストを犯罪者として十字架につけることに決めた。
また、イエスに対して自分の願望がかなわなかったユダヤ人たちも、イエスキリストを十字架につけることに同意した。
イエスの十二弟子の一人ユダは、イエスを銀貨で売った。
現代の金銭価値では二十万円ほどであったと思われる。
しかし、最後の晩餐の日、ユダはイエスに口づけをしたが、イエスはユダの裏切りを知っておられた。
ユダのイエスに対する口づけは、愛のしるしではなく、合図のようなものだったのだ。
十二弟子のうちに一人、ペテロは「私は決してあなたを裏切りません」と言ったが、イエスは「いや、あなたは鶏が三度鳴く前に、私を知らないと言うであろう」と言ったがその通りとなった。
イエスを裏切ってしまったペテロは、激しく泣いた。
やはり人間は、精神は燃えていても肉体は弱いものである。
クリスマスが12月25日であるかどうかは、定かではないが、その辺りだったと思われる。
世の中には、年に一度のドンチャン騒ぎが赦される日である。
パーティー、バーゲンセール、水商売の店も賑わっている。
ここぞとばかり、ホスト君は三十万円もするシャンパンを女性客に入れさせようとし、挙句の果てに百万円以上もするシャンパンタワーを耳もとで女性客におねだりする。
女性は甘言に弱いので、ホストのおねだりを断り切れず、挙句の果てに借金だらけになり、立ちんぼになってしまうという悲劇が待ちうけている。
クリスマスはキリスト教の行事であるが、この頃は仏教系の幼稚園でも行われている。
「クリスマスの意味」
もうすぐクリスマスである。
クリスマスシーズンには、商魂たくましい商売人がここぞとばかり
華やかなイルミネーション、クリスマスケーキ、バーゲンなど
年に一度の世界的な祭りを披露しようとする
イエスキリストが降臨してきたのは、カリスマになるためでもなく、
経済的発展に寄与するためでもなかった。
生まれた場所は、糞と尿の漂う極めて不衛生な馬小屋。
神がイエスキリストを降臨させたのは、人類の罪の身代わりになることだった。
決して、ユダヤ人の王となり、ユダヤ人にとって都合のいい政治を行うことではなかった。
十字架の上でイエスキリストは人類の身代わりになって処刑されたが、
三日目に蘇り、天へと帰って行った
そしてイエスキリストを信じるだけで救われるとは、なんと都合のいい話だろう。
多額のお布施も 身体をいじめる肉体修行も必要はない。
ただ 信じるだけでいいのである。
こんなラッキーなうまい話がほかにあるだろうか?!
クリスマスは、人間にとっては都合のいい日であるが、
イエスキリストにとっては、苦難が始まる日なのである。
この世にはいろんな苦難があるが、イエスキリストの苦難に比べれば
たいていの苦難は耐えられるであろう。
そしてイエスキリストは自分を十字架にかけ、自分を裏切った十二弟子をも赦した。
だから、私達にとって赦すとはイエスキリストにならった義務なのである。
イエスキリストは、私達人類に苦難に耐える強さと
赦す心を与えるために、地上に降臨され、
処刑道具である十字架に架かられたに違いない。
ハレルヤ
最初にイエスキリストを伝道したのは、マグダラのマリヤという遊女(現在の風俗嬢)であった。
失礼ながら、決して社会的身分が高いとはいえない女性が、語った話ーー処刑道具である十字架にかけられたイエスキリストが死人から三日目に蘇ったーーだなんて、そんなバカな荒唐無稽の話があるだろうか?
ましてや、それを本気で信じる人が存在するのだろうか?
しかし、それが全世界に広まるきっかけになった第一人者は、マグダラのマリヤなのである。
マグダラのマリヤこそが、最初の伝道者なのである。
のちにせいかは藤堂牧師のように、子供を救う活動をしたいと決心した。
人の気持は誰にもわからない。
いや、自分自身でさえもわからない。
しかし、寄り添うことでお互いの間に絆が生まれるのではないだろうか。
この人がいるから、私は生きられる。
この人がいる限り、僕は悪事を働くことはできない。
悪事を働けばまた元の世界に戻るだろう。
証をしたかおるは、せいかをせいと呼んだ。
せいかは、かおるとただ接するだけで、かおるの気持ちが和むことができたら、それが更生の第一歩につながるのではないかと、確信していた。
せいかは十八歳から芸能界にデビューし、すぐスターの座を獲得し続けたせいかにとっては、この罪人寄り添い教会は、信じがたい別世界の出来事ばかりだった。
徐々に一度罪に堕ちた人の悲しみと苦難が、わかるようになっていった。
一度、罪に堕ちるともう後戻りすることは難しい。
反省は一人でもできるが、更生は一人ではできない。
せいかは、芸能界に入るまでは、一度も意地悪やいじめにあったことはなかった。
しかし、芸能界に入ってからは様々なスキャンダルに悩まされてきた。
だから、人の中傷や悪口を言われた人の気持ちはわかるつもりである。
ただしせいか自身は、人に意地悪をすることもなかった。
せいかも含め、芸能人にとって最も恐ろしい存在は、自分より若いフレッシュな新人が入ってくることである。
新人が一人スターになると、それまでの中堅は消えていくケースが多い。
大御所と呼ばれる人でも、第一線では活躍できなくなってしまう。
だから、若い新人はいびられることが多い。
たとえば、大御所と呼ばれる和田あきえは、当時珍しいボーイッシュなムードで売り出した。
白いパンタロンが、大柄な身体にフィットし、図太いかすれ声で歌うようになってからは、たちまちヒットした。
しかし、楽屋では女性を売り物にしている先輩からは、イビリを受けた。
「私は女。あなたは男。男の前では着替えられない。出て行ってよ」だの
「おいデカい女、カメラが回っているとき、俺の前に立つな。
俺が映らなくなるじゃないか」
また、和田あきえは靴のサイズは27㎝であったが、靴にバカなどと落書きされたりした。
しかし和田あきえはそんなイビリにも負けず、いや逆にイビリを逆手にとって、歌ばかりでなく、バラエティー番組にも出演するスターとなっていった。
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