第7話 女子少年院からの救出

 かおるは、聴衆の前で深呼吸した。

「皆さん、私の過去を暴露します。

 もしこのなかで私と同じ体験をした人がいるかもしれません。

 いや、本人でなくても、身内にそういう人がいるかもしれません。

  私は、小学校五年の頃、両親が亡くなり、親戚に引き取られましたが、義理の父親からいわゆる性暴力を受け始めました。

 しかしそれは自分ではごく、普通のことだと認識していました。

 

 中学に入学してからは、勉強に励みましたが、やはり性暴力は止むことはありませんでした。

 ある日、抵抗しようとすると、義理の父親がナイフを持ち出してきたので、もみあっているうちに、私は刺してしまいました。

 そのとき警察には、あくまで正当防衛であり、先に手を出してきたのは父親であり、もちろん傷つけるつもりなど、みじんもなかったといえば、そう重い罪にもならなかったのですが、私は父親に対する憎しみから、故意に傷つけてしまったと言ってしまいました。

 私には正当防衛は通用せず、少年院送りとなりました。

 皆さん、たとえば殺人を犯したとしても、殺意があったというのと、あくまで殺意はなかったというのでは、罪の重さが全く違います。

 殺意がなかったといえば、正当防衛もなりたちます。

 しかし、一言でも殺意があったといえば、計画的犯行とみなされ、たとえば半年から複数の人とグルになり、殺人を企んでいたのだろうとか、反社の仲間に入っている流動型犯罪ではないかと疑われ、その言葉に反発すると下手するとみなされてしまいます。

 殺意というのは憎しみから生ずるものですが、私はその憎しみを和らげるために、この教会を訪れました」

 藤堂牧師は口を挟んだ。

「この教会には、そういった人が多くいますし、私もその一人です。

 裏切った人を憎んだりしましたし、今でもネット攻撃は続いています。

 しかし、イエス様はもっとひどい仕打ちを受けたのです。


 聖書の御言葉に

『誰が私達の聞いたことを信じたのか。主の救いの力は誰に現わされたのか。

 彼は主の前に若枝のように生え、砂漠の地から出る根のように弱々しかった。

 彼には、私達が見とれるような美しさも、また威厳も無く、私達が慕うような外見は無かった。

 彼は侮られ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で苦しみを知っていた。

 また、顔を背けるほど忌み嫌われ、事実、私達は彼を尊ぼうとはしなかった』

(イザヤ53:1-3現代訳聖書)


 かおるは話を続けた。

「少年院に行っても幸い、私は勉強できたのでいわゆる優等生として見られ、一年で退院しました。

 退院するとき、教官から

『後ろを振り返ってはならない。振り返って少年院の門をみた人は、また元に戻ってしまう。なんとかなると思っていれば、なんとかなるものよ』と言われたわ。

 行き場の無くなった私は、初めはキャバクラで働きました。

 お定まりのコース、私にはアウトローのヒモがつき、ヒモはストーカーに代わっていきました。

 どこへ逃げても、引っ越しても追いかけてくるので、私はうつ状態になってしまいました。

 そんなとき、この罪人寄り添い教会を知り、藤堂牧師に最初はストーカーのことだけを話しました。

 藤堂牧師の勧めで讃美歌を歌い、聖書を一日中読み、お祈りをすると不思議とストーカーは去って行きました。

 うつ病も、この教会でいろんな人と触れ合うたびに和らいできました

 やはり神に頼ると、神は救って下さいます」


 せいかをはじめとする会衆は、驚きを隠そうともせず、ポカンとしたような表情で聞いていた。

 ただひとり藤堂牧師だけが、冷静な表情で

「かおるちゃんの証しを終わります。

 かおるちゃんは、立ち直った今だからこそ、告白する勇気を持てたのです。

 皆さんにもぜひそうなってほしいと私は願っていますが、なかなかそうならないのが現実です。

 だからこそ、私はより精力的に祈る必要があるのです」

 すると会衆から拍手が贈られた。

 せいかは、まるで人形のように、目を丸くして唇を半開きにし、別世界の出来事を聞いたような衝撃に満ちた表情でその場に立ちすくんでいた。


 せいかは、ふと考えた。

 私は名声を得るためでもなく、金銭を得る手段としてでもなく、単純に歌が好きというだけで、歌手の道を選んだ。

 親、親戚の大反対を押し切り、単身上京して、慣れない都会に戸惑いながら、芸能界という未知の世界に飛び込んだ。

 最初はドラマの端役から始まり、デビュー曲のためのCMも出演することができず、BGMのみが流れるだけで、期待されないデビューを迎えた。

 しかし二曲目が大ヒットしてからは、せいかを取り巻く世界は大きく変わっていった。

 同じ年にデビューしてからの男性アイドルと少しでも接近すると、ファンからのねたみやっかみが生じ、並んで出演するとバッシングがおき、しまいにはテレビの番組欄には並んで名前を出さないようにとの要望まで寄せられたほどだった。

 男性ファンからの妬みと比例するように、マスコミもスターになったせいかをあるときは持ち上げ、あるときは攻撃を始めた。

 このことは、有名人の常であり、せいかのみならず、家族や親戚にまで悪影響を及ぼす。

 せいかの芸能生活は、マスコミとの闘いだったといえる。

 しかし、一人娘さあやの死後、せいかはテレビには出演していない。


 高校を卒業しすぐ芸能界にはいったせいかにとって、罪人寄り添い教会は、初めて味わう別世界だった。

 幸か不幸か、せいかのまわりにはいわゆる非行少年や前科者などは存在しなかったので、よけいに罪人寄り添い教会が新鮮に思えた。

 せいかは、家庭にも学校生活にも恵まれ、一度もいじめにあったことはなかったが、やはり罪を犯す人は、なんらかの心の傷を抱えていると痛感した。

 今までは恋愛の歌を歌ってきたが、これからは人の心を救う歌を歌っていきたい。

 この歌を聞くことにより、傷ついた心に少しでも潤いを与えることができたら。

 また罪を犯すと人は不安になり、人を拒絶し、その孤独感や絶望感からまた再犯を犯すが、その防止策になることができたら。

 もしかして、このことが自殺したさあやに報いる唯一の行いではないかと思った。


 そういえば、生前さあやが言っていたことを思い出した。

「私は中学を三回転校して、通信制高校に入学したが、そのとき出会った友達が、

「私の余命はあと半年。このことは担当医師から告知されていることなの。

 もし私が死んでも、私と心の中で友達でいてね」と言われたの。

 彼女が入院した後でも、私は当時仕事が忙しくて、一度も見舞いには行けずじまいだったわ。

 彼女の葬式に行くと、彼女の母親から、うちの娘とこんなに親しくしてくれたのはさあやちゃんが初めてだったと感謝されたの。

 そのとき私は決心したの。これからは、世の中の弱い人のために歌っていきたい。少しでも心が癒され、絶望感や孤独感から解放されることができたら、犯罪抑止にもつながるのではないかと。

 私が歌うことによって、世の中から争いを減らすことができたら、私は息のながい歌手になれるのではないかと確信しているの」

 せいかは、さあやが自分以上にしっかりして、世の中のことをよく知っているのには驚いた。

 これからは、さあやに頼って生きていきたいと思うまでになっていた。

 さあやは、私のメンタルを癒し、強めてくれる唯一の存在だと心強く思っていたところ、突然の謎の自殺を遂げた。

 自殺の真相は、誰にもわからない。 

 しかし、いくら離れて住んでいたとはいえ、なぜ私に一言の相談もなかったのだろうか。

 私は母親として、そんなに不甲斐ない存在だったのだろうか。

 それとも、さあやには私の知らない別の顔があったのだろうか。

 わからない。

 いくら考えても、謎に包まれたままである。

 

 

 















  

 


 


 

 

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