第36話 絶海の孤島

 時は遡る。

 

 猫人で構成される暗殺者らは、ペルビオールによって躾けられたとも言える私兵集団であった。

 しかし当然ながら、人間にも暗殺集団は存在する。

 

 「くっ……かはっ!」

 

 「ばか、な…………」

 

 一撃で仕留めれた猫人が二匹。ルイーゼが一撃で殺したものである。

 亜人で統括された彼らには当然ながら人間はいない。

 驚愕は、ルイーゼに看破された事では無かった。

 隠密として気配を遮断し、闇に紛れていた猫人。

 彼らに紛れて、

 そして男は、ルイーゼに捕縛された。

 

 「魔法名すら唱えていない。何をした……」

 

 貌の平べったい男である。

 若くはない。

 適度に脂肪を貯めた、痩せてはいないが太ってもいない歳相応の肉体をしている男。

 突然の閃光に気圧されたところはあったが、ルイーゼは彼から警戒を解いていなかった。

 先ほどの閃光で仕留めたかった思いは、男にもあった。

 当然、正面からではルイーゼを倒せない。

 

 「あなたは楽には殺しません。色々と話してもらおうかと思います」

 

 「くっ……私のことはこのまま殺せ!」

 

 状況がだったために、男は敢えてそう言った。

 しかし実際に言ってみると恥ずかしすぎるもので今すぐに顔を覆いたい気分だった。

 

 ――男が言ってどうするんだよおい。

 

 しかしふざけられる程度には、余裕があったのだが。

 

 「威勢が良いのでしょうか?殺すわけがないでしょう」

 

 その直後、閃光が空を覆った。

 目を閉じなければ、そのまま失明してしまうほどの光だった。

 空気が震え、何か恐ろしいものだという感触はあった。

 しかしそれ以上のものは無い。

 

 「おいおい、これもアンタらの仕業か?」

 

 「どちらにせよ、あなたには関係ありません」

 

 ――嘘だな。かなり動揺している。


 警戒を解いていないものの、ルイーゼは内心で動揺していた。

 男にとってはどうでも良かったが、それは好機でもあった。

 

 「まあいいか。オレはこれから拷問にかけられて、仲間の所在を明かせと言われるので間違いないか?」

 

 「いまここで吐いてしまえば、楽に殺してあげられるというのに」

 

 そんな憐れな視線を向けられ、中年の男は笑いを堪えるので精一杯だった。

 

 「ところで、お前のその紋章、魔国最高幹部で間違いないよな?依頼主の頭のネジぶっ飛んでるじゃねえか」

 

 「それも知らずに私を襲撃したのですか?なるほど実行役なだけで、確かに事情は何も知らないということでしょうね」

 

 「まあそんなところだ。オレは依頼された通りに仕事をこなすだけ。誰を殺そうと、報酬が貰えるのなら正直お前のことなど心底どうでもいい」

 

 現在は、ゲベーテと名乗っている。

 

 「大した度胸の人間ですね。それがゲーテ様…………七神でも、あなたは依頼を受けるんでしょうか?」


 「ハッ。我らは原初の掟のみを信条とし一つの神のみを信仰する」

 

 思わず、ルイーゼは呆れたのだ。

 もはや拷問すら面倒になった彼女は、直接記憶から情報を盗み出し、さっさと魔皇の居城へと戻ろうとした。


 「それ以上は結構。異端だか何だか知りませんが、魔皇に刃向かうものはどちらにせよ死罪です」


 ぶつぶつと、ルイーゼは何かを呟き始めた。

 それが詠唱であると、男は知らなかったのだ。

 だが、男が拘束されているのをいいことに、悠然と唱えている姿は滑稽でもあった。


 「異教の神だろうと何だろうと、逆賊である限りは――我らが暗刀の下、等しく死を迎えるまで」

 

 ――第六階梯神経魔法「光の

 

 *   *   *   *

 

 北方大陸と南部大陸の間、大洋は穏やかである一方、北方大陸より北の海域は氷雪海となっており、極寒の荒海が地平線まで続いている。

 その氷雪海の果てに、小さな群島が存在する。

 冬の季節に海面に張る流氷の大地を渡って、その群島へと至る事は可能である。

 しかし道行は死と隣り合わせであり、何より氷雪海は白鯨のコロニーとされており、音を立てた瞬間に全長二十メートルを超える巨体が水面下より襲いかかって来る。

 そのため、群島に住む者は必然的に自然と一体化する術を備えている。

 生きることの一つがその白鯨から逃れる事であったため、常に弱者としての立ち回りを行っていた。

 白鯨に立ち向かう動きは、群島の外でいくつもあったとされているが、そのすべてが島民によって皆殺しとされてきた。

 彼らにとって、白鯨こそが神の使いであると信仰していたためである。

 白鯨に食われる定めなら、喜んで受け入れる、それが島民の掟でもあった。

 暗殺業を生業とした理由は、冬の短期間で高収入が得られる点、そして殺すのは氷雪海という神域に踏み込もうとする忌々しい異教徒共だという点であった。

 海の獣は、白鯨だけではない。

 食物連鎖の底辺たる人間は、白鯨以外の獣からも襲われる。

 しかし島民たちは、白鯨以外の獣を食料としても狩っていた。

 弱者としての立ち回りで、一匹の獣を殺し、食っていたのだ。

 白鯨より弱くても、人間とは比較にならない強さを誇っている。

 並大抵の人間なら気がつく前に死んでいるであろうし、そもそも氷雪海という極寒を耐えられない。

 暗殺者として新たに備える技術など、既になかった。

 常より人間より強い生物を暗殺していた彼らには、充分すぎたのである。

 そして島民は獣を狩る技術を高めていき、「秘奥」を身につけていった。

 獣を狩るためだけの、条理を超えた異能。外世界のスキルという受動ではなく、文字通り命の鍛錬という能動から得られる神業。

 魔力や神聖力といった枠組を、島民は遠い昔に捨て去っている。

 全てを白鯨への信仰へ、鍛錬へ捧げたがゆえ、それぞれが世界から逸脱している。

 彼ら彼女らが備えた「秘奥」は、ただ一条の死へと向かうのみである。

 *   *   *   *

 

 直前。

 影が僅かに揺らいだ。

 影だけが僅かに姿を消した。

 

 ――秘奥『虚像融解』

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