世界最強タンクは隠居したい〜シャイすぎるタンクの冒険譚〜
@ikkyu33
錆びつかせたかった「最強」
かつて、この異世界には「生ける伝説」と称される一人の冒険者がいた。
名は、片桐悠(かたぎり ゆう)。
あらゆる災厄をその身一つで受け止め、どれほど絶望的な戦況であろうとも、背後の仲間には指一本触れさせない。彼の持つユニークスキル『絶対守護』は、難攻不落の要塞そのものであり、人々は彼を最強のタンク(盾役)と讃えた。
だが、名声という光が強くなればなるほど、その影もまた濃くなることを、周囲は知らなかった。
(俺は……ただの「盾」として生きるために、この世界に来たわけじゃない)
鳴り止まない称賛、期待という名の重圧、そして「守って当たり前」という無言の強制力。
来る日も来る日も、他人の命を背負い、死の恐怖を最前線で受け止め続ける日々。悠の心は、硬すぎる鎧の中で静かに摩耗していた。
彼は英雄であることよりも、一人の人間としての平穏を渇望していたのだ。
そしてある朝、伝説の盾は、誰にも告げず冒険者ギルドから姿を消した。
――それから、数年。
大陸の片隅、地図にも載らないような辺境の村に、一人の鍛冶屋がいた。
「悠人(はると)」という偽名を名乗るその青年こそが、かつての片桐悠である。
「よし、これで鍬(くわ)の刃こぼれは直ったぞ」
カン、カン、という鉄を打つ音が、のどかな村の空気に溶けていく。
魔物の咆哮の代わりに小鳥のさえずりを聴き、血なまぐさい風の代わりに稲穂を揺らす風を感じる。村人たちと交わす会話は、世界の存亡についてではなく、明日の天気や夕飯の献立についてだ。
「……これだ。俺が求めていたのは、この静寂なんだ」
修理した農具を手に取り、悠は満足げに目を細める。
かつて聖剣や魔剣を受け止めたその手は今、錆びた農具を蘇らせるために使われている。その事実に、彼はこれ以上ない充実感を覚えていた。もう二度と、あのヒリつくような戦場には戻らない。そう心に誓っていたはずだった。
しかし、世界は「最強」を放ってはおかないらしい。
その平穏は、突如として破られた。
森の奥から溢れ出した魔物の群れが、平和な村を蹂躙しようと迫る。悲鳴を上げて逃げ惑う村人たちの姿が、悠の瞳に映り込む。
悠の足元には、修理中の鉄の棒が転がっていた。
彼はそれを見つめ、深く、重い溜息をつく。
「俺は隠居したんだ。もう、英雄ごっこは御免なんだよ……」
脳裏をよぎるのは、手に入れたばかりの静かな生活。もしここで力を使えば、この場所にはいられなくなるかもしれない。
だが、彼の身体は思考よりも早く、その鉄塊を拾い上げていた。
「……だけど、世話になった連中が死ぬのは、もっと寝覚めが悪い」
呟いた瞬間、彼の纏う空気が一変する。
好青年の鍛冶屋という仮面が剥がれ落ち、その瞳にはかつて魔王すら戦慄させた、歴戦の冒険者の鋭光が宿っていた。
その後の光景を目撃した者はいない。
村人たちが恐怖に顔を伏せている、ほんの数秒の間の出来事だったからだ。
再び顔を上げた時、魔物の群れは跡形もなく消滅していた。
ただ、悠が立っていた場所から扇状に広がる森の木々が、何かに弾き飛ばされたように不自然に薙ぎ倒されていることだけが、そこで行使された「理不尽な暴力」の痕跡だった。
「……手加減したつもりだったんだけどな」
ひしゃげた鉄の棒を隠すように放り捨て、悠は冷や汗を拭う。
誰にも見られていないことを確認し、彼は努めて日常の顔を作った。
「これ以上目立つのは勘弁してくれよ。もう二度とこんな真似はしない……たぶん、な」
自身に言い聞かせるようなその誓いは、どこか頼りなく風に消えた。
この日を境に、元・最強タンクの「平穏でありたい」と願う隠居生活は、望まぬ形での騒乱へと巻き込まれていくことになる。
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