第6話 アンソニー王子と焼芋令嬢と初恋と


 僕はアンソニー・ローレンス・フロリアン。

 フロリアン王国の第二王子だ。


「よろしくお願いします、兄さん」


 今日は剣術の稽古だ。

 演習場で木剣を持ち、指南役――兄である、ミハエル第一王子と向かい合う。

 前に指南役がいたけれど、とある事情があって解雇になり、今は兄が指南役を務めてくれている。


「おう、来いよ。アンソニー」


 木剣を正眼に構えて、息を吸う。

 目を閉じて、また開く。


「――おぉぉ!」


 僕は木剣を振りかぶって、駆け出した。




 今年で十歳になる僕に、婚約の話が持ち上がった。


 二つ上の第一王子――ミハエルと僕の血縁関係は微妙に複雑で、兄は第二妃の子だ。

 対する僕は王妃と国王の子で、兄上ミハエルと僕のどちらが国を継ぐかで貴族の間に派閥ができている。


 第一王子派、第二王子派。

 どちらの派閥にも属さないシルヴェスター公爵家の令嬢との婚約は、父である国王と公爵の間でほぼ決まってしまっていた。


 僕はというと、まったく実感が湧いてこなかった。

 なにしろ、まだ十歳だ。将来を共にする相手だとか言われても、さっぱりわからない。

 国のために大事なことではあるし、相手の身分も申し分ない。

 ならせめて、正式な婚約の前に知り合いになっておこうと思って、シルヴェスター公爵家に出向いた。


 僕と婚約することになる令嬢――ローズ・シルヴェスターは、庭で芋を焼いていた。


 公爵家のご令嬢が、庭で焼きたての芋にかぶりついていた。

 しかも、火の魔力を高めるために焚き火をしていたという。


 どういう理屈だ。

 どういう理屈でそうなった。


 ――第一印象は、綺麗なのに変わった女の子。


 しかし、焼いた芋を差し出してくる彼女の満面の笑みが頭に焼きついて離れなかった。

 その日の夜は眠れなかったのをよく覚えている。


 次にローズに会いにいったとき、彼女は畑を作っていた。

 虫が苦手で腰を抜かした僕を、笑わないでくれた。



 

 ……僕は、兄が苦手だった。

 兄――ミハエル第一王子は僕のことが大好きだった。

 しかし、兄の可愛がりかたにはちょっとクセがある。

 城にいついた猫を可愛がりすぎて、猫に怖がられるような人間だった。

 そのくせ、剣術も馬術も魔法も、僕ではとても敵わないほどにできた。

 おかげで、僕は事あるごとに兄と比較されて育った。


「ミハエル第一王子に比べて、アンソニー第二王子にはなにもいいところがない」


 そう囁かれていたのも、城で暮らしていれば嫌でも耳に入ってくる。

 

 三歳のとき。

 彼が「可愛いからあげる」と僕のおやつにどんぐりを入れて、中から芋虫が出てきた。

 僕は椅子ごとひっくり返った。

 初めて、国王が人をひっぱたくのを見た。


 それ以来、僕は虫という虫がどうにもだめだ。

「男のくせに情けない」とか、「王子ならもっとしっかりしないと」と言われていることも知っていた。

 そんな僕を、ローズは否定しなかった。


「殿下だって人間ですわ。苦手なものなんてあって当たり前です」


「生きていたら、苦手なものの一つや二つはできてきますわ。それで人を笑うなんて、少なくとも私はしたくありません」


 十歳の少女とは思えないほど、しっかりした意見だった。

 紫色の瞳でまっすぐに射られて、僕はどうしていいかわからなくなった。


 それだけではない。

 ローズは僕自身を認めてくれたのだ。


 ピアノを弾いたあと、褒められれるのに慣れていなくて飛び出してしまった僕を追いかけてきてくれた。

「人には得意不得意があります。別に無理してお兄さまのようになる必要はまったくありません。例えば芋だって、品種によって美味しさが違うのですわ」


「この芋とこの芋、どちらが優れているわけではないと思うのです。アンソニー様はアンソニー様として生きればいいと思います。私はアンソニー様のピアノをもっと聴きたいですわ」


 彼女が渡してきた芋を食べていると、なんだか悩んでいたのが馬鹿馬鹿しくなってきた。

 ローズがローズ・シルヴェスターであるのと関係なく芋が大好きなように。

 兄は兄で、僕は僕なのだ。

 そんな単純なことに、ローズのおかげでやっと気付けた。


 その日のうちに、ローズに婚約を申しこんだ。

 彼女は顔を真っ赤にして、僕の婚約を受けてくれた。




 婚約者として、未来の伴侶として、ローズを守りたい。

 そう思って、兄に剣術の稽古を頼んでいる。


「――っだぁぁ!」


 手を打たれて、僕はその場に崩れ落ちた。

 目の前にびしり、と木剣を突きつけられる。


「はい、これで十本目。まだやるか?」


 ミハエルは楽しそうに僕を見下ろしている。

 別に意地悪しているわけではない、僕と剣術の稽古をするのがただ楽しいのだ。


「まだまだですよ、兄さん」


「おお、すごいなアンソニー。そんなに可愛いのか、そのローズ嬢って子」


「兄さんには会わせません」


「へえ……よっぽど好きなんだな」


「そうですが?」


「――いいね。意地を張らないところがアンソニーらしい。苦手な俺に剣術の指南を頼んだのは、怖いものを克服するためか?」


 兄は愉快そうに笑って、木剣を構えた。

 僕は兄を正面から見返して、同じように構える。

 手本を見て学ぶ。そうやって、人は成長するのだ。


「守りたいものがあるんです。今更兄さんが苦手とか言ってられないんですよ。続きを、お願いします」


 ローズと、これからの人生を送りたい。

 第二王子としての立場ももっと盤石にして、彼女に安心して嫁いでもらえるようにしよう。

 そのためなら、苦手だった兄にだって頭を下げる。

 兄は、じっくり話してみれば悪い人間ではなかった。

 剣術や魔法の稽古に付き合ってもらううちに、笑いあうこともできるようになった。

 それもこれも、全部ローズのおかげだ。

 彼女の手で僕は救われた。


 ローズのことを思い出すと、自然に顔がほころんでしまう。


 ――僕は、ローズ・シルヴェスターにどうしようもなく惹かれているのだった。




  ★



 

 翌日。

 僕は晴れて婚約者となったローズ・シルヴェスターに会いに、シルヴェスター公爵邸まで出かけた。

 彼女は、パンツスタイルで庭を駆け回っていた。


「ローズ、今日はなにをしているんだい?」


「走り込みですわ!」


 ……また、よくわからないことをしている。そこが面白いのだけれども。


「殿下、エルム・サイプレス先生はご存知ですか?」


 ローズは目をきらきらさせて尋ねてきた。


「エルムというと……サイプレス伯爵家の次男の?」


 僕は眼鏡をかけた温和そうな青年の顔を思い出す。

 彼は優秀な魔法使いで、宮廷でも時々見かける。


「そう! エルム先生が、『魔力を鍛えるには体力も向上させたほうがいい』と仰って。以前から身体を鍛えたいと思っていましたし」


「なるほど、それで走り込みを……」


 僕は納得して頷く。

 魔力は血や筋力や心肺機能なんかと同じように、身体の一部なのだ。


「要は、体力と魔力を鍛えるために走っているのだね?」


「そうですわ! それに、いい天気ですし。身体を動かさないのはもったいないですわ!」


「……そうだね、ローズ。一緒に走ってもいいかい?」


「もちろんです」


 頷いたローズに、僕は上着を脱ぐ。

 焼き芋と畑作りが趣味な彼女と一緒に遊べるように、動きやすい素材の服を着てきた。

 走り込みだって問題ない。


「どれくらい走れるか競争しましょう、殿下」


「ああ。それと殿下ではなく、アンソニーと呼んでくれないか?」


 勇気を出して頼むと、ローズはしばらく目を見開いてから「わかりましたわ、アンソニー様」と微笑んでくれた。

 

 僕はローズと一緒に駆け出す。

 彼女が婚約者でよかった、と心の底から思う。

 ――僕は、初恋をしていた。

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