第5話 畑作りとコンプレックスと婚約と

 

「よっこいしょういち……っと!」


 その日、私は庭に作った畑で鍬を振るっていた。

 庭師のピーターおじいちゃんから借りた作業着を着て、庭の一角に畑を作っている。

 さすがに無断で庭を改造するのははばかられたけれど、ピーターが快諾してくれて助かった。

 

「ローズ様、上手いじゃないですか。どこかで習ったんで?」


「いいお手本を見せてもらったからかしらね?」


「上手いことを言いなさる」


 前世で畑を耕すアイドルの番組を毎週欠かさず観ていたから、とは言えない。


 畑を作っているのは、国外追放になっても自力で食いぶちを稼ぐためである。

 エンディングイベントが終わっても、国外追放されても、人生が続くのなら食べていかねばならない。

 土属性の魔法が使える者を手伝わせようかと問われたが、断った。

 私が学びたいのは生きていくための技術だ。

 公爵家、ひいてはフロリアン王国から追い出されても自力で同じことができるようにならないと、意味がない。

 そんなわけで私は公爵家の庭を一部改造し、畑にしていた。


 それに、自力で育てた芋は美味しさも格別だろう。


「よっこいしょ、こらしょ」


 草を抜き、石を取り、鍬で耕し、土を柔らかくする。

 夢中で作業をしていると、気づいたら日が高くなっていた。


「やあ、ローズ嬢。今日はなにをして……なにをしているんだい?」


「畑作りですわ」


 遊びにきたらしいアンソニーに、私は笑顔を向ける。


「いろんな野菜を育てますの。今年は無理ですけれど、来年には採れたての芋が食べられるようになりますわ」


「本当に、君は芋が好きなんだね……」


「ええ! 自分で掘った芋は本当に美味しいんですのよ! 芋だけじゃありませんわ。夏にはナスやトマト、冬には大根……あっ、虫さん」


「虫!?」


 土いじりをして手に這ってきた小さな虫を見つけると、アンソニーの顔が真っ青になって庭の芝生に崩れ落ちた。


「大丈夫でございますか!?」


 私は慌ててアンソニーに駆け寄る。

 突然倒れたし、急に具合が悪くなったのかもしれない。

 もしそうなら、人を呼ばなくては。


「メル、今すぐ誰か連れて――」


 きて、と言おうとしたときだった。アンソニーがそれを手で制した。


「ま、待って、待って……」


 か細い声でなにかを言っている。

 顔色が悪い。

 真っ青どころか紫色だ。


「虫を……肩の虫をどけてくれ、頼むから……」


「虫?」


 私の手から小さな虫が、アンソニーの肩によじよじと這い上っているところだった。

 虫をつまんで退けると、おそるおそるといった調子で私を見上げる。


「……笑わないのか? 王子なのに虫が苦手だなんて」


「そんなことで人を笑いません。殿下だって人間ですわ。苦手なものなんてあって当たり前です」


 私はきっぱりと告げる。


「生きていたら、苦手なものの一つや二つはできてきますわ。それで人を笑うなんて、少なくとも私はしたくありません」


「そうか……そうだな。ローズ嬢は、優しいのだな」


 アンソニーは涙を浮かべた目を輝かせ、なぜかほっとしたように大きく息をついた。




 私とアンソニーは公爵邸に戻ってお茶をすることになった。


「お茶が入るまでの間、屋敷を見て回りませんか?」


 考え込んでいる様子のアンソニーを誘い、私は公爵邸のあちこちを見て回った。

 外に出ると虫に出くわしてしまうかもしれないし、少しでも彼の気を紛らわしたかったのだ。


 ゲストルーム、書庫、応接室……公爵邸って本当に広いんだなあ。

 ローズ・シルヴェスターの知識として持ってはいたけれど、改めて回ってみると迷いそうなほど広いお屋敷だ。


「ここは……ホールですわね」


 私とアンソニーは、夜会などが開かれるホールにいた。


「立派なピアノがあるね」


「ええ。私はからきしですけれど……殿下はお弾きになるのですか?」


 面白そうだと母に習ってやってみたが、右手と左手がバラバラに動かず無理だった。


「少しね」


「聴いてみたいですわ!」


「……兄ではなく、僕でよければ」


「? なにか問題が?」


 少し苦々しい表情になったアンソニーが、よくわからないことを口にした。

 ここにいるのはアンソニーなのに、どうして彼の兄が出てくるんだろう?


 アンソニーはピアノの前に座り、ゆっくりと鍵盤の蓋を開けた。

 たん、たん、と確かめるようにいくつか音を鳴らす。

 それから、信じられないほどなめらかにその指を動かしはじめた。


 前世から、あまり音楽や芸術などの素養は高くない。

 それでもアンソニーのピアノは、胸を打つ響きだった。



 曲が終わって一礼する彼に、私は頬を紅くして拍手をした。


「すごい! すごかったですわ! こんなにすごいピアノ、聴いたことがありません!」


「……みんな、そう言う」


 アンソニーはなぜか浮かない顔をしている。


「そうですか。それだけ、殿下のピアノがすごいということですわね」


「…………でも、兄にはどうやっても敵わない」


「……なぜ、お兄様の話がここで……?」


「――すまない。放っておいてくれ」


「殿下!?」


 アンソニーは、その場から逃げるように駆け出してしまった。

 私は彼を追いかけて、公爵邸を駆けまわったのだった。




  ★



 

 庭の大きな木の横に置かれたベンチの上。

 アンソニーは、そこに座って俯いていた。


 荷物を持って、とりあえず横に腰かける。

 放っておいてくれとは言われたが、はいそうですかと放っておくわけにはいかない。


「――兄が、いるんだ」


 しばらく黙っていると、ぽつりぽつりとアンソニーは語り始めた。


 彼の兄はミハエル第一王子。確か期間限定の特別イベントで攻略可能になるキャラクターだったはずだ。


「昔、僕の食事に虫の入ったどんぐりを入れてきたことがあって……それ以来虫が苦手で……」


 うわあ。

 私は顔をしかめた。

 そんなもの、トラウマになって当たり前だ。


「お兄様とは、仲がお悪いのですか?」


「いいや、兄上は僕のことがすごく好きだよ」


 アンソニーは首を横に振る。


「けれど、兄上は僕なんかよりすごく優秀だ。剣術だって馬術だって魔法だって……虫だって得意だ」


 苦しそうな表情で、そう続ける。


「僕にはなにもないんだ……兄上のようにならないといけないのに」


 しばらく沈黙が降りた。私は、そっと彼に持ってきた荷物――焼き芋を差し出した。


「人には得意不得意があります。別に無理してお兄さまのようになる必要はまったくありません。例えば芋だって、品種によって美味しさが違うのですわ」


 アンソニーに渡したのは二つの、品種が違う芋だ。お茶請けにしようと思って焼いてもらっていたものである。

 片方はねっとりして強い甘みのある品種。

 片方はほくほくして口の中でほどける品種だ。


「この芋とこの芋、どちらが優れているわけではないと思うのです。アンソニー様はアンソニー様として生きればいいと思います。私はアンソニー様のピアノをもっと聴きたいですわ」


 それだけ言うと、私は彼の横で芋を食べ始めた。


「これも……これも、すごく美味しい。……そっか、僕は僕でいいのか……」


 憑き物が落ちたような顔で、アンソニーがつぶやく。

 晴れた空の下、二人で食べる焼き芋はとても美味しかった。




「ローズ・シルヴェスター嬢」


「はい、どうしました?」


 屋敷に戻って、両親の待つ応接室でお茶をしたあと。

 帰り際のアンソニーがいきなり私の名前を呼んで床に膝をついた。


「正式に、僕と婚約してほしい。どうか、受けてくれないか」


「へ……?」


 婚約。

 こんやく。

 聞き間違いだろうか?


「こ、こんにゃく……?」


「婚約を、正式にローズ・シルヴェスター嬢と僕の間で結びたい」


 訂正されたうえに言い切られてしまった。

 周りを見渡す。

 私以外の全員が、きらきらと目を輝かせていた。


 ……断れるわけないじゃん!


 公爵夫妻の立場的にも、悪役令嬢ローズ・シルヴェスターとしても、これが重要な局面であることは嫌でもわかる。

 こうなったら仕方ない。

 私は笑顔を作った。


「喜んでお受けいたします」


 わっとその場が湧く。

 手の甲にキスをされる。


 耳が熱い。というか顔が熱い。

 気恥ずかしさで穴があったら入りたい。

 なにが起こっているのか、わけがわからない。

 心臓がうるさい。

 言うまでもないが、手の甲にキスなんかされるのは前世からカウントしても初めてだ。

 つまり、私に異性に対しての免疫は全くない。

 こういうときにどんな顔をしていいか、さっぱりわからなかった。



 原作では、こんなことは起こらなかった。

 確か、ローズ・シルヴェスターが王子と結婚したいと我が儘を言う。

 そして、王室の利害と貴族たちの力関係が噛み合ったため、この婚約は双方の親族――国王と公爵家との合意で成立する、はずだったのだ。

 なのに、これはどういうことだろう。

 目の前には、嬉しそうに私の手を握るアンソニーがいる。


 ――原作とシナリオがだいぶ変わってない……?


 ぼんやりしながら、火照った頭でそんなことを考えていた。


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