最終話 ギロチン 『SUGAR SUGAR 〜デウス・エクス・マキナ』




 そこは、西ヨーロッパのとある国でした。


 まるで、おとぎ話の世界に迷い込んだような世界でした。

 私とシャルロッテお嬢様は、いくつもの世界での処刑を経験し、罪と罰の輪廻の果てに、元の世界へ戻ってきました。元のゲームの世界、ということでしょうか。

 今まで、同じゲームの中には転生してこなかったので、意外な感じはしましたが、もしかして、既に全てのゲームの世界を回り、終わりが近づいてきたために、戻ってきたのかも知れません。

 時に、革命前夜。

 しかし、すでにお嬢様は、捕縛され、後は処刑されるのを待つだけ。フラグも何もありはしません。あとは、処刑される。それは決定事項で、ただそれだけの運命でした。

 いくつもの世界を渡り歩き、その世界で処刑されてきたお嬢様は完全に憔悴しきっていました。何度も何度も罰を受ける。その苦しみは、いかばかりだったか。

 だから、最期にたどり着いた元の世界で、全てを終わらせようとするのは、むしろ、私の望みでもありました。

 お嬢様は、全てのゲームの展開上のフラグを無視することに決めました。


 軟禁されている邸宅の一室で、お嬢様は、いつものようにスイーツを求められました。

「今日のおやつは?」

「これからご用意いたします。何がよろしいですか? ケーキ、チョコ、プディング、クッキー、それから……ポテチと……」

 最後の晩餐です。お好きなものを存分にご用意したく思いました。

 が、予想外な言葉が、お嬢様から発せられました。

「どれもいいんだけど……ねえ、お願いがあるんだけど」

「何なりと」

「何でも?」

「一流の執事ですから」

 恭しく頭を下げます。

「じゃあ、お願い。薄力粉、牛乳、タマゴ、塩、バニラエッセンス、砂糖、あと、ストリキニーネ」

 ストリキニーネ……。

「お嬢様……」

「用意よろしく。あと、お昼に合わせて、王子たちを呼んでもらえるかな?」

 王子とは、元許嫁のブラート王子に、ヴァイス、ビアシンケン、カリーの四人の元王子です。

 ということは、必然的に、あの方も呼ぶことになります。

「本気ですか、お嬢様?」

「もう、これで最期にしましょう。悪役令嬢なら悪役令嬢らしく、立派に悪人になる。これも一つの方法でしょ?」

 お嬢様の決意には、毎回驚かされます。

「どうしても、でございますか?」

「何でもっていったよ、一流の執事さん」

「しかし」

 今回ばかりは。

「お願い。私のためだと思って」

 両手を合わせてお願いされてしまいました。

「……かしこまりました」

「間違いなくね」

「はい、間違いなく」

「お茶はアルベルトに任せるから。最高の紅茶を用意しておいて。あ、王子によってはコーヒーの方が好みかも」

 私は、言われたとおりの材料を揃え、お嬢様にお渡しいたしました。


 お嬢様は、監禁されていた屋敷の調理場を使わせてもらって、お菓子を完成させました。大きなフライパンに作られた、大きなカステラパンケーキです。

 ちょうど焼き上がりの時間に、王子たちがやって参りました。

 お嬢様は、ドレスに着替え、恭しく貴族の礼をもって、四人の王子たちと、一人の女性を迎え入れました。

「各王子には、ご機嫌麗しゅう。ようこそおいでくださいました」

 貴族としてのあいさつを見事に演じて見せました。

「もう、僕たちは王子じゃない」

 すでに王権を世襲され、しかもそれを返上したブラートは、そう言いました。

「左様でございましたね。ブラート王子」

 さも嫌味ったらしく、わざと王子を付けて呼びかけました。

「一体どういうつもりだい? 処刑まであと二時間もない。僕たちを騙す、いい手段でも見つかったのかな?」

「もしそんな方法があったところで、運命は変わらないと思うんだけどねえ」

 ヴァイス様とビアシンケン様が、お嬢様の意図が読めずに、戸惑っております。

 が、当のお嬢様は気にした風もなく、

「今さらジタバタいたしませんわ、ヴァイス王子にビアシンケン王子。私はシャルロッテ・フォン・アプフェル。誇り高き、貴族の娘です」

「貴族であり続けたかったら、方法は一つしかなかった」

 やはりこちらも、いぶかしんでいるカリー様が言いました。ですが、矛先はお嬢様ではなく、王族の権利を放棄した、ブラート様に対しての言葉でした。

「まだ言うのか、カリー」

「言うさ。ブラート兄貴は間違ってる。革命を起こしても、民衆が僕たちに感謝することはない。今日、たとえ処刑を免れても、結局いつかは民衆の力の前に僕らは殺される」

 カリー様は、自分の思い込みや立場などではなく、きちんと周りを見ることの出来る方です。

「そうならないための、貴族院だ。なあ、レープ」

 ブラート様は、今やよりどころにもなっている、レープ嬢に話しかけました。

「私は、みなさんがケンカをなさらないことが一番だと思いますわ」

「その通りだよ、レープ」

「ですので、王子たちの仲直りの会を催させていただければと思って、本日、お呼びいたしました」

 と、お嬢様が、皆様を取りなしました。

「仲直りの会?」

「まあ、何の会でも呼び名は何でもよろしいですが、私、パンケーキを焼きましたの。それを皆様に召し上がっていただこうかと思いまして」

 お嬢様が焼いたパンケーキを持ち、ティーセットと共に、私がサーブさせていただきました。丸いパンケーキを、六等分。

「本当に、ただ焼いただけのパンケーキだ」

 ヴァイス様、その通りです。

「なにぶん、この革命のご時世、贅沢品もそうないものですから」

「『パンがなければケーキを食べればいいじゃない』って?」

 レープ嬢が、嫌みったらしく言いますが、お嬢様は意に介しませんでした。

「でも、すごくいい匂いだ。美味しそう」

「本当に!? 嬉しい」

 カリー様の素直な感想は、とても嬉しいものです。

「これ、本当に、シャルロッテが作ったのか?」

「はい、これくらいはできるんですよ?」

 ブラート様が、知らなかった……と小さくつぶやきました。

「貴族の娘が、使用人みたいにケーキを焼けるのか……」

 ビアシンケン様は、まだ貴族気分が抜けないようです。

「あら、これから皆様は、革命後、平民と同等になるのですから、男性も家事は出来ないと時代に取り残されますよ」

「食事作ったりするの!?」

 カリー様は、家事をすること自体を楽しみにしているようです。

「レープは、もちろん出来るよね?」

「お任せしますわ、ブラート」

「はい」

「紅茶とコーヒーを、お好みで用意いたしました。レープ嬢の紅茶は、ぬるめで」

 それぞれに、カップにお口を付けました。

「ん。今日の紅茶はちゃんと飲めるわ」

「恐縮です」

「では、お召し上がりください」

 しかし、せっかくのケーキには、誰も手を付けませんでした。

「召し上がりませんの?」

「普通に考えて、食べられるわけがありません」

「何故?」

 ビアシンケン様の言葉に、お嬢様は本気で疑問を呈しました。

 その答えは、ヴァイス様から出てきました。

「申し訳ないが、何が入っているか分からない食べ物を口に運ぶことは出来ない」

「でもまさか、この中に毒は入ってないよね?」

 カリー様の純粋さは、時に、鋭い言葉になります。

 場が凍り付きました。

「え。もしかして、本当に?」

 それに対して、答えたのは、レープ嬢です。

「このお屋敷にいる使用人は、そこのアルベルト以外は、全部、私の味方です。二人の会話もちゃんと聞いていました。ストリキニーネを用意したんでしょう?」


 ざわ。


「それは……毒薬じゃないか」

「やはり。このパンケーキの中に」

 ビアシンケン様とヴァイス様が、ケーキの中を疑いました。

「毒など入れておりませんわ」

「それを、信じていいの?」

 カリー様も、また疑い始めました。

 そこで、ビアシンケン様が提案します。

「まず、シャルロッテ嬢、あなたが食べてみればいい。なぜ、自らも手を付けないのです?」

「ああ、なるほどー。そうですね、では、いただきましょうか」

 お嬢様は、とても楽しそうです。

 しかし、疑心暗鬼になっているヴァイス様は、更に考えすぎます。

「いや待て。シャルロッテ嬢は、いずれ処刑される身。ここで毒を含んだところで、大差はない。自らも死ぬ覚悟で僕たちに毒を盛ろうとしてるんじゃないのか」

「だったら、アルベルト。貴様が食べろ」

 ビアシンケン様が、私に命じました。

「私ですか? しかし、六等分いたしましたので、私の分がございません」

「ボクのをくれてやる。食べろ」

「お待ちください。あなた方は、もう既に王子ではなく、そして、アルベルトは私の執事です。命令することは出来ません」

「洒落臭いことを。食べろ、アルベルト!」

 と、ビアシンケン様より、厳しく言われましても。

「我が主の命令がないと食べられません」

「アルベルト!」

「見苦しいですよ、元王子の方々」

 お嬢様は、本当に楽しそうです。

「なんて女……悪役令嬢……!」

 レープ嬢が、お嬢様を睨みます。

 ところが、予想外のことが起きました。

 ブラート様が、がぶりと一口、カステラパンケーキに、かじりついたのです。

 驚いたのは、レープ嬢です。

「ブラート! やめて、ブラート!」

「美味しいよ。これ」

 もぐもぐ頬張りながら、ブラート王子、ブラート王、いや、もはやただの男のブラート様が、お嬢様の作ったパンケーキを美味しそうに食べています。

「お口に合いまして?」

 にっこり笑って、お嬢様が問いかけます。

「独特の味がするけどね。なるほど。そういうことね」

「そういうことでございます」

 相変わらず、レープ嬢は慌てています。

「早く吐き出してよ!」

「なんでだよ、もったいない。みんなも食べなよ。勇気が出ないなら、一斉に食べようか。せーの」

 ブラート様の言葉に、なんとも釈然としない感じで、全員が、一斉にケーキを口に運びました。そして、一口。

 口に入れた瞬間、レープ嬢も、その他元王子たちも、みんな一斉に、悲鳴を上げて吐き出しました。

「何だこれ!?」

「クソまずい!」

「水! 水ちょうだい!」

 三人の王子たちが大慌ての中、

「シャルロッテ、あなた! 砂糖と塩、間違えたでしょ!?」

 レープ嬢が、原因を言い当てました。

「言いがかりですわ」

「だって、これ!」

 シャルロッテ様とブラート様が、お二人とも、くつくつと笑っておりました。

「間違えてなどおりませんわ。わざと、お塩を大量に入れたのです」

「ああ、笑った笑った。毒だなんだと、大騒ぎして」

「ブラート、あなた……」

「どういうことです、ブラート兄さん」

 ヴァイスの疑問に、ブラート様が答えます。

「どういうことも何も、そもそも、シャルロッテがケーキに毒なんて入れるわけないじゃないか。で、食べてみたら、まるで塩の塊。これは、シャルロッテのいたずらだって分かったから、それにのっかったまでだよ。それにしても、みんなの顔」

「傑作でしたわ」

 お嬢様が、本当に楽しそうです。

「やりやがりましたわね。毒薬の名前、わざと使用人に聞かせたのね?」

「覚えておいて。この世の中には、美しいもの、美味しいものがあって、それは、人を幸せにするものなの。それを、冒涜するようなマネは、してはいけないの。ケーキは悪者じゃないんだから。ね、アルベルト」

「左様でございます。塩を入れる悪戯については、この際、目をつむりましょう」

「なんだってこんなことを」

 レープ嬢の疑問はごもっともです。

「だって、悪役令嬢ですから」

 そして、回答もごもっともです。

 こんなに楽しそうなお嬢様は、いつ以来かと記憶を探ってみましたが、なんと、初めてだったかも知れません。元王子たちの阿鼻叫喚の塩ケーキパーティは、シャルロッテお嬢様最大最期のいたずらでした。


 元王子たちが、恨み言を言いながら屋敷を辞したのち、レープ嬢だけが、残りました。「まったく、やってくれたね。ブラートとの息の合い方に、ちょっと嫉妬しちゃったよ」「彼は、私を信じてくれただけですわ」

「ホント、しゃくに障る」

 そこで、ようやく、お嬢様は、聞きたいと思っていたことを聞きました。

「あなた、酒々井でしょ?」

「そういうあんたは、茂原陽葵」

「ホント、いい性格してるわ」

「でしょっ!? 私もそう思うよ!?」

 レープ嬢=酒々井美桜は、自分も、いくつもの乙女ゲームの世界を渡り歩いたと言います。ただし、いずれもヒロインとして。それぞれのゲームで、ハッピーエンドになったり、バッドエンドになったり。

 でも、どこにも、二人が求める先輩はいなかったと、淋しそうに話しました。

「ごめんなさい」

 レープ嬢は、今ようやく、初めて、素直に謝罪をしました。

「何が?」

「駅で」

「気にしないで」

「私のことなんか、放っておけばよかったんです。なんで余計なマネをするんですか」

「だって」

「だってじゃありません」

「むー」

「ふくれるな、むかつく」

「それより、私、あなたをホームの方向に突き飛ばしたつもりだったんだけど、助からなかったの?」

「陽葵さんは非力すぎるんです。全然突き飛ばされませんでしたよ。むしろ、二人そろって——」

「ああ、なんか、ごめん」

「あら、でも私、ゲームの世界で生きるの楽しいって思ってるんですよ? イケメンたくさんいたし」

「ほんと、たいしたもんだよね」

「今度は、一緒にお芝居できる世界が、どこかにあるのかな」

「きっとあるよ。印西先輩も一緒に」

「だね。いつか、また」

 レープ嬢は、ブラート様の元へ帰りました。この世界での自らの役割通りに。


 パーティの片付けをして、私は改めて、紅茶を入れました。

 混じりっけなしの、美味しい紅茶を。

「どうぞ。最上のダージリンでございます」

「ありがとう」

「あとこちら、ご所望のものでございます」

 私は、一包の包みを渡しました。

「さすが、一流の執事」

「苦しむことはありません。眠るように、痛みをまったく伴う事はないとのことです」

「ありがとう」

「お嬢様が苦しむ姿を見るのは、私にとっても辛いのです」

「大丈夫だから。アルベルト。ありがとう」

 お嬢様は、そう言いながら、包みを、暖炉の炎の中に投げ込みました。

 シャルロッテお嬢様は、本当に、私が思ったとおりにはなかなか動いてくださらない方でした。


 時間がきました。

 処刑場には、既にたくさんの人が集まっていました。

 シャルロッテ嬢は、馬に乗せられ、市街を一周させられました。無血革命でありながら、これまでの貴族文化の終焉を告げるために、嫌われ者の悪役令嬢が処刑されるのです。

 市内全ての住民が、見物人になりました。市内中の民衆たちが、街の中心部の処刑場に集まってきたのです。

 処刑台の真ん中には、大きな刃を持つ、ギロチンが、鈍く固い光を投げかけていました。

 処刑場の周りには、民衆たちと同じく、ブラート元国王、レープ嬢、ヴァイス、ビアシンケン、カリーの三人の元王子たちの姿もありました。一人の女性の命と引き換えに、自分たちの命を守った、如何にも男らしい連中が、真面目な顔した間抜けな雁首を揃えていました。なんとも、口の中に塩が残っている微妙な顔つきが、おかしかったものです。

 シャルロッテ嬢は、抵抗する気力もなくなったのか、民衆たちのもつヘイトの声に押し負けたのか、一歩ずつ確認するように、処刑台に近づいていきました。フラグは、もうありません。この処刑は、回避できません。

「これが最期のゲーム」

 シャルロッテ嬢は、何かをつぶやきます。そして、ギロチン台に頭をもたせかけました。

 私は、そこでお嬢様と交わした最期の会話を、終生忘れることはありません。

「ねえ」

「はい」

「私のこと、忘れて」

「……」

「驚いた。アルベルトも、言葉に詰まることがあるんだ」

「私は、お嬢様にお仕えする身です」

 執行人が、シャルロッテ嬢の罪状とされるものを読み上げます。貴族たちがこれまでに行ってきた悪行が、シャルロッテ嬢に関係あるないに関わらず。

「もう、私に付き合わなくていいから。もう、覚えててくれなくていいから」

「……」

「今までありがとう。いっぱい迷惑かけてごめんね。アルベルトにも、大切な人がいるって言ってたよね? その人と、アルベルトが幸せになれることを祈ってる」

「お嬢様」

「最後に何か言い残すことはあるか?」

 ブラート様がそう聞いてきます。ブラート様の目にも、涙が浮かんでいます。

「私は、もし、好きな人が世界一の幸せ者になれるなら」

「お嬢様」

「忘れられても、かまわない」

 死刑執行の瞬間がやってきます。

「ああ、いい天気ね。こんな天気の日には、アルベルトが入れてくれたアフタヌーンティーで過ごすのが一番いいわね」

「はい」

「空が蒼い」

「……はい」

「また、美味しいお紅茶、飲みたか


 ギロチンの刃が、落ちました。



〈 幕 〉

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