第8話
——目が覚めると、酷い頭痛に襲われた。記憶が無くなるくらい飲んだ次の日でも、ここまで酷くはなかっただろう。
体が上手く動かせない。そもそも、俺はどうなったんだったか。
(……そうだ、ジャッジの巻き添えで海に転送されて、それで……)
溺れた。そこまでは覚えている。だが、それと今の状況とが結びつかない。
真っ白な椅子に座らされ、まるで囚人のように、手首と足首を拘束されている。太ももと腹にも拘束用のベルトが巻かれているようだった。
「……頭が……」
『おや、目覚めたかね』
気が狂いそうなほど白一色の室内に、音声が鳴り響く。男の声だ。恐らく、覚えはない。知らない人物だろう。
見れば、天井の角の辺りに、スピーカーのようなものが設置されている。声はそこから発せられているようだ。
「誰だ、お前は……ここは……どこだ?」
『さて……答えてあげたいのは山々だが、その質問には答えられないね』
飄々とした声。想像でしかないが、絶対に眼鏡をかけている。間違いない。
「何が……目的だ」
頭痛に耐えながら、声を絞り出す。この頭痛が、一度溺れたからなのか、それともこの男たちに何かされたからなのかは分からない。だが、痛みは増す一方で、少しでも気を抜けば意識を失ってしまいそうになる。
俺の質問に、男はあっけらかんと答えた。
『クイーンの居場所を吐いてもらおう』
「クイーンの……?」
『ああ。如月冬子、君がクイーンと接触していたことは分かっている。あちら側についたこともね』
男は淡々とそう告げた後に、わざとらしく残念がるような声色で続けた。
『本来なら、我らが同志にこのような真似をするのは憚られるのだが……君はどうやら、奴らに洗脳されているようだからね。少し、手荒なやり方になっている。申し訳ないね』
「洗脳、だと……?」
『ああ。どうにも、クイーンを仲間だと思い込んでいるようだからね。これを洗脳と言わず、何と呼ぶのかね』
この男が誰なのかは分からないが……個人的な恨みで俺を監禁しているわけではなさそうだ。となれば、やはり、表世界で権力を持つ誰かが、クイーンと接触した俺を、クイーンに洗脳されたという体で処理しようとしているのだろう。
ふざけた話だ。洗脳……洗脳と言うなら、この十五年間、この世界を守るためにと信じ込まされて戦ってきたあの状況こそが、まさしく洗脳なのではないか。むしろ、今の俺はその洗脳から解放された状態にある。
「聞いて呆れる……俺たちをずっと騙しておきながら、真実を知れば『洗脳』だと? 誰かは知らんが、馬鹿も休み休み言え、外道め……!」
話すだけでも頭痛が酷くなる。それを無理やり抑え込んで、言葉を紡いだ。それに対し、スピーカーからは分かりやすく大きなため息が聞こえてきた。
『……君が奴らに何を吹き込まれたのかは分からない。だが、どうせ、先に攻撃を仕掛けたのは我々であるだとか、クイーンたちこそが被害者だとか、そういった類の妄言だろう?』
男は言葉を続ける。
『むしろ、出会ったばかりのクイーンの言うことを、何故そうも簡単に信じられるのか……私には、そちらの方が不思議で仕方がない。クイーンは、この世界の境界を歪め、破壊しようと企む大罪人だ。忘れたか?』
「はっ……笑えるね。初対面で茶を出して、目を見ながら話してくれたクイーンと、どこかに隠れたまま、俺の全身を拘束して言い聞かせるお前……常識的に考えて、どっちの方が信じられるんだ?」
再び、スピーカーからため息が聞こえる。
『……ふむ。これは重症だな』
一度目のため息よりも、諦めの感情が強く出たようなため息だった。
その直後のことだ。室内に、何かが作動したかのような音が響くと、天井から奇妙な機械が降下してくる。背後は確認できないが、恐らく、俺の頭を囲うように配置されているらしい。
……嫌な予感がする。頭を囲うように設置される機械に、良いものはない。
『洗脳を解くためには、少しばかりの荒療治が必要なようだ。それが終われば……また話を聞こう』
「なに? 荒療治ってお前……おいっ!」
スピーカーを切断する音が聞こえた。それと同時に、目の前にある機械が動き始めた。ちょうど、俺の目の前にあった機械からはアームのようなものが伸びてきて、俺の頭部を押さえつける。瞼を開いたまま固定し、閉じられないようにすると、機械中央のレンズが眩く発光し始めた。
側面にある機械からは、徐々に不快な音が漏れ出し始めている。光と音の拷問だろうか。そんな子供騙しのようなものに効果があるのかと疑問に思った……次の瞬間。目が焼きつくほどの閃光と、耳を劈く音が襲いかかってくる。決して逃れることのできない光と音。すぐに、頭痛が鋭く、激しいものになっていくのが分かった。
(そうかっ、二回目か……!!)
確証はない。だが、頭が割れそうになるこの痛みは、間違いなく目覚めた時から感じているものと同じものだ。外傷を負わせることなく、対象に過度な苦痛を与えることができる。確かに、これは拷問で間違いない。
すぐに、意識が遠のいていく。あまりの激痛に脳が耐えられなくなったのだろう。だが、意識を完全に手放そうとした瞬間、光と音のパターンが変化する。少し頭痛が和らいだかと思うと、再び脳が活動し始め、意識が覚醒する。
かと思えば、また、激痛が走り意識が遠のく。そうしてやっと理解した。これは俺が折れるまで続く地獄なのだと。
どれくらい時間が経っただろうか。いつの間にかあの機械は天井に格納されていて、永遠に続くかと思われた地獄のような時間は終わりを告げていた。
全身から、汗が滝のように噴き出しているのが分かる。外傷は一切ない。だと言うのに、今すぐにでも殺してくれと願うほど、強制的な痛みを浴びせ続けられていた。
「……ここから、出ないとっ……」
間違いない。ここにいれば、遅かれ早かれ、俺は死ぬ。口を割らなかったとしても、折れて、口を割ってしまったとしても、死ぬ運命には変わりはない。
だとすれば、何とかしてここを出なければ。でも、どうやって? 手足は金属の輪のようなもので固定されているし、腹と太ももも、動かないようにベルトで仮定されている。ベルトはどうにかして外せるかもしれないが、問題は手足だ。どうにかしてこの金属の輪を破壊しなければ、抜け出そうにも抜け出せない。
試しに、椅子ごと輪を破壊してみようと、手に力を込めてみる。しかし、当然のことながらびくともしない。当たり前だ。普通の人間は、拘束を生身で破壊できるようにはできていない。
「……いや」
もう一度、力を込める。やはりびくともしない。
もう一度、力を込める。やはり、びくともしない。
「……まだ」
さらに力を込める。びくともしない。
さらに、力を込める。ほんの少し、輪が動く。
「……まだだ。まだやれるだろ、俺っ……!」
何故だか、体の奥底の方から力が湧いてくる。今なら何だってやれそうな気がする。そんな力が。
もう一度、手に全力を込める。今まで感じたことのないような力が、椅子に、小さな亀裂を走らせた。
……そして、砕けた。輪を固定していた椅子が粉砕し、右手が自由になった。
続けて、左手、右足、左足と続けて椅子を破壊する。ベルトは両手で引っ張れば簡単に引きちぎることができた。おおよそ人間離れした力に、ヒーローになったような全能感を覚えた。
「はっ……やれば案外できるじゃないか、如月冬子……」
頭痛はまだ治まっていない。ゆっくりと立ち上がると、壁に向かって歩き出した。壁は全ての面が真っ白で、扉などないように見えるが、ここに俺がいる以上、必ずどこかに出入り口の扉があるはずだ。
隠し扉だろうか。壁の、扉が来るであろう高さを指でなぞっていると、指先にほんの少し違和感を覚えた。どうやら、ほんの少し、一ミリにも満たない程度の段差ができているらしい。
その部分を境に叩いてみると、少し音が違う。構造を考えれば、軽い音がする方が隠し扉になっているのだろう。
だが、扉を開くスイッチが見当たらない。外にしか存在していないか、あるいはリモコン式なのか。どちらにせよ、中から開くことはできない可能性が考えられる。
「……」
拘束を破壊した力を思い出して、自分の手のひらを見つめる。そして、それを拳にすると、軽い音がしていた場所に向けて構える。
……そして。
どぉぉん、という激しい音を立て、壁が崩れる。全力を込めて放たれた拳は、大理石のような素材でできた壁を砕いてしまった。
「……本当に人間か、俺……?」
覚えのない力に、若干の恐怖心はある。火事場の馬鹿力というやつだろうか。それとも、何か他の……。
……いや、考えるのは後にしよう。今はとにかく、ここから逃げ出すことだけを考えればいい。力が強くなった分には、逃げるのに困らない。むしろ、助かる部分もある。
部屋の外に足を踏み出すと、途端にサイレンのような音が鳴り響く。状況からして、俺が部屋から出たのがバレてしまったらしい。
「ちっ、嗅ぎつけるのが早いな……!」
部屋を出ると廊下は一本道だった。その先へ向けて、俺は走り出した。
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