第11話 晴さんの匂い

 晴さんが寒がっている私を自分のコートで包んでくれる。

 言葉はなかった。それが返事だと思った。私はママみたいに、大好きな人と一緒にはなれない。少しだけ、ママはいいな、と思った。

「灯花は可愛くて仕方がない。何をしても、何を言っても」

 きっと可愛がっているペットが悪戯しても許してくれる。そんな感じなんだろう、と理解している。

「芽依に惹かれた鉄雄の気持ちが分かった。でも…」

 私はそれ以上聞きたくなくて、晴さんの口を塞ごうとした。でもキスをするには私の身長が届かなくて、手で晴さんの口を押さえる。

「晴さんが思ってるより、私、大人なんだから。言わなくても、分かる。私のこと、大好きなんでしょ? 大好きだけど、一緒にはいられないんでしょ? それはパパとは違う理由で」

 晴さんの目が少し揺れた。

「わがままだけど、それでも一緒にいたい。私は大丈夫だから」

 困ったように瞳を逸らす。

「晴さんが頷いてくれないと、口から手離さないから」と言うと、大きな手が私の手を握る。

 圧倒的力の差で負けが確定する。

「今日は、俺の部屋で寝なさい」と言ってくれた。

 嬉しくて、晴さんに抱きつく。晴さんは携帯を取り出して、パパに連絡した。

「鉄雄? 今日、灯花預かるから」

 まるでペットか、子供みたいな扱いだ。パパたちの話し合いが済んだのか、どうなったのか分からないけれど、パパたちにとっても私がいない方が良かったのかもしれない。

「晴さん、お菓子買って帰ろう」と言うと、晴さんは私の頭をくしゃくしゃと撫でた。

 夜遅くまで空いている何でも屋さんがある。大抵アラブの人が経営していて、日本のコンビニみたいな役割をしている。そこで私はチョコレートの中におもちゃが入っているチョコエッグと、ビスケットを買ってもらった。晴さんはついでに卵とパンも買っていた。

 何だか買い物をしてから、一緒に帰ると言うのも新鮮だった。少し歩いたところに晴さんのアパートがあった。階段しかないアパートらしいけれど、晴さんの部屋は幸い三階だったので、なんとか登って行ける。

 部屋は簡素だけれど、晴さんらしくきちんと片付けられている。部屋はほんのり暖かい。

「早速手を洗って欲しいけど、もうそのままシャワー浴びて」と言って、晴さんにTシャツとタオルを渡された。

「下着は?」

「俺のを履く?」と言われて、晴さんのを履くか、何も履かないか究極の選択を迫られてしまう。

「晴さんの…貸してください」

 何も履かないのも落ち着きが悪い気がした。ため息をつかれて、真新しいものを渡された。

「これ、もらったやつだから」と言ってトランクスを渡された。

 紐がついてて、ウエストが絞れるようだった。

 シャワーを浴びて、私が出てくると、ドライヤーを構えた晴さんがいた。思わず嬉しくなる。よく髪を乾かしてもらった。本当に晴さんが髪を乾かしてくれるのは気持ちいい。いつもいつもわがままを言って、ごめんなさい、と心の中で謝る。

「じゃ、俺も入ってくるから」と言って、ドライヤーを持って、シャワーしに行った。

 私は買ってきたチョコエッグを開ける。中のおもちゃが気になっていた。女の子用と男の子用があって、女の子用を選んだ。少し齧って、中からカプセルを取り出す。開けると、小さな羽のついた妖精のフィギュアが入っていた。

「可愛い」と思わず声を上げる。

 妖精には甘いチョコの匂いがついていた。残りのチョコを食べたり、その妖精を写真で撮ったりして、ママの携帯に送信したりした。ママは本当にパパとお別れするつもりだったのだろうか。パパと晴さんのために? パパは優しいから今までずっと我慢してたのだろうか。私のせいで? ぐるぐる考えが嫌な方に流れる。妖精をテーブルの上に置いて、ソファに体を投げ出した。

「パパもママも大好き…。でも私はママの側にいなきゃ…かわいそう。だってママ一人ぼっちになる」と呟いた。

「灯花。パンツ見えてる」

 晴さんがシャワーから出てきていた。慌てて、ソファの上で正座する。

「灯花…。そう言うの…よくないから」

「はい」とお説教を受けた。

「それから男の部屋に簡単に入ったらダメだから」

「もちろん、入りません」と言って、背筋を伸ばす。

「それから男を簡単に信用したら痛い目に合うから」

 何だか、経験談に基づきそうなリアルな話だと思って、思わず頷く。

「まぁ…男も女も簡単に信用できないけど」と晴さんはそう言って、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。

 私にもコップに入れて分けてくれる。

「水飲んだら歯を磨きなさい」と言って、新しい歯ブラシを渡してくれる。

 本当にお母さんみたいに世話を焼いてくれる。歯を磨くと、晴さんが毛布を出していた。

「灯花はベッドで寝ていいから。俺はソファで寝るから」と言う。

「晴さんはモデルなんだから、ちゃんとベッドで寝ないと、体悪くするよ? 私はソファで大丈夫。若いし」と言うと、最後の一言にあからさまに嫌そうな顔をした。

 そして毛布を押し付け、自分がベッドに入って行った。私は毛布を引きずりながら、ベッドで寝ている晴さんをチラチラ見ながら移動して、ソファに横になる。この部屋そのものが晴さんの匂いがした。疲れていたので私はすぐに眠りについた。


 ふわふわと浮かんでいるような不思議な感覚がして、目を開けると晴さんにお姫様抱っこされて、移動していた。ソファで寝た私をわざわざベッドに運んでいるのだった。そっと目を閉じて観察すると、案の定、柔らかいベッドの上に置かれた。そして晴さんはソファで寝るつもりなのだろう。私は体に布団をかけられて、おでこを大きな手が撫でる。その手が離れる直前に私は掴んで

「晴さん」と呼びかけた。

 驚いたのか

「ひ」と変な声を出していた。

「灯花」とまた怒られた。

「晴さん、ベッドで寝てくれないと、ソファに戻ってくっついて寝ますよ。それかベッドでくっついて寝るか? どっちにしますか?」

「…」

 諦めたようにベッドに入る。きっと私が寝入ったら、ソファに戻るつもりなんだ。そう思うと、晴さんの手を繋いだまま私は目を瞑る。きっと晴さんと違って、すぐに寝てしまうから、晴さんはソファに戻ってしまうのだろうけど。目を閉じて、晴さんの腕に頭を擦り付ける。

 私は少しでも晴さんの力になりたい。

 寂しい時は側にいて、元気にしてあげたい。

 誰かと一緒にいれるようなって欲しい。さっき、ママが一人ぼっちだって言ったけど、本当に一人は晴さんだから。

 私といれたら、きっと他の人を受け入れられるはず。

 誰かの愛を受け入れられるはず。

 ただそれだけ。

 他には何も望んでいないから。


 なんとなく緩い風に吹かれて、抱っこされていた記憶がある。遠くで船の音、鳥の鳴き声のような音、そして晴さんの匂いと淋しさを感じていた。

 私はそれをずっと綺麗だと思っている。晴さんの孤独も。


 その晩、やっぱりすぐに寝てしまったのだけど、晴さんの温もりをずっと感じていた。

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