第3話 手紙

   008 手紙


「サヨさん!」

「うわ……」

 夜。

 定時制の授業が終わる時間を把握している私は、校門でサヨさんを待ちぶせた。

 現れたサヨさんは、強めのメイクにひざ丈スカートからのぞく素足がまぶしい制服姿だ。背中にはスクールバッグがあった。

「わあ! 嫌そうな顔も素敵っ!」

「あんたストーカーの自覚ある?」

 悪い虫にだってもう少しくらいはましなのだろうなと思わせてくれる表情。次回は蚊に生まれてサヨさんを追いかけまわし、そのきめ細やかなうなじから血を吸ったのちに生涯を終えるのも悪くない。

「バ先に来るのは百歩譲って仕方がないって我慢してたけど、下校を待たれるのはさすがに無理。ストーカー規制法は問題なく同性にも適用される」

 言いながら、スクールバッグから携帯電話を取り出した。なにやら画面も見ずにボタンを操作している。どうやら緊急通報も辞さない姿勢のようだ。

「待ってくださいってば! サヨさんに会いたかったのは当然ですけどいまはちゃんと理由があるんです! だからそれをしまってください」

 私は両手をあげて無害であることを主張する。

「カイは?」

「はい?」

「あいつはいないの?」

 カイ。

 あいつ、というからには人の名前だ。どこかで聞いたことがあるような、ないような。

「? ああ、あの学ラン男ってカイって名前でした? お店から出てすぐ別れました」

「……どんな神経してるのよ、まったく」

 サヨさんは小さく首を横に振って、ため息をついた。携帯電話もスクールバッグにおさめてくれた。

「なんの用か簡潔に言って」

「私の友だちがヘンな手紙を持っててひょっとしてサヨさん宛てかも!」

 ほんのわずかにでも警戒が緩んでいる隙を逃さず、畳み掛けるように言う。

「手紙? 私に……?」

「ええっと、これなんですけど」

 私はナナが落とした手紙を、封筒ごとサヨさんに差し出した。

 細く白い指先が、触れそうで触れない距離まで近づく。飲食店でバイトをしていることもあるのか爪は綺麗に切り揃えられている。手入れがしっかり行き届いていて、つやつやとした光沢がまぶしい。

 ふと視線をうえに上げると、なにかおぞましいようなものを見るような美貌があった。

「顔がいやらしい」

「ふへっ。そ、そんなことないです。へへ」

 じっとりとした視線を私に浴びせながら、サヨさんは封筒を受け取った。無駄のない手指の動きで手紙を開き、鋭い視線が上から下へと流れていく。

 やがて手紙を音もなく閉じて、そっと封筒の中に戻した。

「なんでこれが私宛てだと思ったの」

「えっと。ひょっとして私が知らないだけで、サヨさんって夜の世界じゃ有名だったりするのかもって。なんかこう、世直し上等のなんでも屋! みたいな……?」

 はあ。今晩だけでもすでに何度目かのため息をいただいた。

「盗みは犯罪だけど、第三者が無理やり取り返したらそれも立派な犯罪」

「う。ですよね……」

 正論だった。

 サヨさんは基本的にはルールを守る品行方正な学生だ。ちょっと守り方が過剰なくらいで。

「たしかにこれは、なにかの依頼のための手紙だと思う。でも私は、こんな面倒なことはしない」

「めんどう……?」

「盗んだところを仕留める」

 ルールを破るときは限界までビリビリに破る。おもに暴力で。

「ですよねー。あはは。ごめんなさい」

 私は頭の後ろに手をあてて、うつむくように謝った。

 もう少し考えてから相談するべきだったかもしれない。これ以上好感度を下げないためにも、今夜はおとなしく引き下がるべきだと思う。

「ただ」

 凜とした低音が響いた。

「へ?」

 また視線を上げると、街灯の光を瞳に宿したサヨさんの小顔があった。

「これを警察に相談できない理由、思いつく?」

「ひゃい!? え、えっとぉ……」

 サヨさんに見とれていてあんまり聞いてなかったとはとてもいえない。鼓膜と心を揺さぶった音色の残響をどうにかたぐり寄せ、言葉を思い出す。

 警察ではない誰かに、大切な指輪を盗まれたことを相談しなければいけない状況とは。

 手紙の内容を思い出す。

“とても大事な指輪を盗まれました。どうか取り返してください”

 文章が依頼のように見えるのだから、友だちではない第三者に宛てたものだと思う。

「っていうかなんで手紙!? いまどき手紙なんて、悪ふざけで授業中に回すくらいですけど!」

「それ。悪くない」

「ふむ? ……ええっ!?」

 褒められた。

 サヨさんに褒められました私!

 どういうことだろう。いま、なにかすんごいこと言ったかな。

 悪ふざけで手紙を回す?

 授業中?

「……ひょっとして。学校の中で起きたことだから?」

「多分、その可能性は高い。学校なんて閉じた箱みたいなものだから、悪いことも見過ごされる」

「それって。つまり、そのう……」

「いじめかどうかは、私にはわからない」

 はっきりと言われてしまった。

 ナナがいじめられているかもしれない。

 この手紙を見つけたときからぼんやりと頭の中にあったそれが、ずしりと重さを帯びて形になったような気がした。

「アサカ。あんたはストーカー……ぎり予備軍だけど、バカじゃない。そうかもしれなかったから私のところに来た。でしょ」

「……そうなんですかね」

 私があいまいに答えると、サヨさんは黙って封筒を差し出してきた。

「でなきゃ、その友だちにすぐに連絡して返せたでしょ。ほら、行くよ」

 手紙を受け取ると、サヨさんはくるりと体を後ろに向けた。長い髪の先端が、柔らかな線を描きながらさらりと流れる。

「えっと?」

 どこへだろう。

 というか、サヨさんの向く先には出てきたばかりの校門しかない。

「その手紙、いまさらあんたから返せないでしょ。いまのうちにその子の机に戻す」

「あ……。は、はい!」

 私は大きな声で返事をして、大慌てでサヨさんの隣に並んだ。

 その横顔に笑みはない。それでもいまサヨさんが、私のためを思ってくれていることはわかる。たぶん。きっと。そうだといいな!

 それがたまらなく嬉しい。なんだか泣いてしまいそうなくらいには、どうしようもなく嬉しかった。

「えへへ」

「……なに。その顔」

「ありがとうサヨさん!」

「はいはい」

 照れて顔を背けた。なんてことはもちろんなくて、面倒くさそうにため息をつくサヨさんだった。

「言っておくけど、これ以上は協力できない。だいたい、その手紙の情報だけじゃ無理」

「そ、そうなんですよね。指輪ってだけで、どんなのかもわかんないし。誰に盗られたのかも」

 なんてことなさそうに受け答えしている私。

 がしかし、実際は緊急事態だった。サヨさんと並んで校門を抜け、昇降口に向かって歩いているという事実に、ただただ震えるばかりだった。それはもう、手足どころか奥歯がかちかちと鳴り出してもおかしくない。

 ガラス張りの校舎の壁面に映る私とサヨさん。我ながらつり合ってはいないのは重々承知しているけど、できればすぐ写真におさめたうえで引き延ばし、印刷して家宝にしたい。

 昇降口の手前、セキュリティのための金属扉に近づくと人感センサが反応したのか、勝手にライトが点いた。

 もうすぐこの時間が終わってしまう。なんということだろう。永遠に続けばいいのに。

 しぶしぶポケットから生徒手帳を取り出して、認証を抜けるためにリーダにかざす。

 その瞬間、そこそこの音量でアラームが鳴り響いた。

「にゃんっ!?」

「……やっぱり」

 飛び上がって残念な悲鳴をあげる私。一方のサヨさんは、腕を組んで目を細めていた。

「なんですかこれ!? ああでも思案顔のサヨさんも素敵!」

「とりあえず、動かないほうがいい。多分、すぐに……」

 サヨさんがため息混じりに呟くと、金属扉が開かれた。


「だーれですかぁ! こーんな夜遅くに悪いことをしている子はぁっ!」


 現れたのは。

 高い声で怒鳴り散らす、女の子。

 小さい。サヨさんよりも頭三つは低い。艶のあるセミロングの髪にくりくりとした大きな瞳。小学生と言われても不思議ではなさそう。かろうじてタイトスカートのスーツ姿であることから、その立場は想像できた。ぎりぎりだけど。

 たぶんこの子は、教員なのだろう。

「ほら、来た」

 サヨさんが両手を肩の上あたりまであげながら言った。

 女の子(?)の小さな手には懐中電灯があり、いかにも重たそうなそれがサヨさんに向けられる。

「あれ? あれれ? おサヨちゃんじゃないですか。さっきさよならしましたよね?」

「タマ先生。それ、まぶしいから下げてもらっていいです?」

「あ、はい! ごめんなさーい! じゃなくって! なんで警報が鳴ったんですか!? おサヨちゃんケガはありませんか!?」

「ないです。っていうか先生こそ、私が強盗だったらどうする気だったんです? セキュリティあるのに内側から扉開けたら駄目でしょ」

 サヨさんはタマ先生につかつかと近づいて言った。ほとんど見下ろしている。身長差がはっきりして、まるで姉妹のようだ。もちろんどちらが姉かはいうまでもない。

「う。わ、私はこの学校を守る義務があるんです! 先生なので!」

 サヨさんを見上げながら、タマ先生は顔を真っ赤にさせている。

「だとしても。気をつけてください。……最近、不審者が出るって噂もあるし」

 ちら、と。サヨさんが私のほうを見たような気がした。

「あれ? おサヨちゃんも知ってるんですか?」

「あ」

 いまって、まさか。

「わあ!? もう一人女の子がいました! ごめんなさい気づかなくって。えっとぉ、おサヨちゃん。そちらの子は?」

「この子はアサカ。私の……」

 ほんのわずかに生まれた躊躇いの刹那を、私は見逃さない。

「はいタマ先生! 私はアサカ! 昼間の生徒で、サヨさんのお友だちですっ!」

 私史上最大の挙手をしながら、声高々に発言した。

「えっ……?」

 先生は、私とサヨさんを交互に見てから、両手をほっぺたに当てて大きく息を吸い込んだ。

「お、おサヨちゃんにお友だちですかっ!?」

 先生が放り投げた懐中電灯を、サヨさんは落下寸前でキャッチした。

 その表情はいかにも面倒そうで、だけどやっぱり綺麗だった。


   つづく

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