第2話 追跡者
007 追跡者
放課後、というにはさすがに無理がある。とっぷりと日は暮れてからさらに時間の経った深夜。
私は再び校舎へと足を運んでいた。
もちろん日中のように正面から胸を張って登校というわけにはいかない。腐っても女子校ということもあって、それなりのセキュリティが待ち受けている。
まずはじめに敷地をぐるりと緑が囲んでいる。植え込みだ。外からの侵入を阻むにはずいぶんと頼りなく感じられるものの、そこには一定の距離ごとに人感センサが設置されている。ふらついて植え込みに触れる程度ならばともかく、侵入が意図したものであると判断できた途端即通知が飛び、間もなく警備員も飛んでくることになる。
運よく人感センサを抜けられたとしよう。つぎに待っているのは多くの場所が全面ガラスとなっている校舎の外壁。そして生徒手帳に埋め込まれたチップによる認証が必要とされるセキュリティつきの機械扉だ。認証の履歴は秒単位で残っていて、不適切な時間の登下校は許されない。
「これでよし」
私は今夜もそれらをくぐり抜けて、生徒の個人用ロッカーの前でつぶやいた。
☆
「やっほーサヨさん! またきちゃった!」
「いらっしゃいませ。空いているお席にどうぞ」
「私はいつでも空いてるよ! シフトの後、授業までもうちょっと時間あるよね? よければ一緒にお茶でもどうかな?」
「他のお客様のご迷惑になるのでお静かにお願いします」
「はあい」
私は多幸感に包まれながら、すっかり指定席になりつつある、お店の一番奥にある四人がけのテーブル席におさまった。
「うふふん。まだかなまだかな」
両方のひじをちょこんとテーブルに置いて、手のひらをお花が咲くように開きながらあごを乗せ、うきうきとした気分で待ち受ける。
「メニューをお持ちしました」
ことん、とお冷がテーブルに置かれる。
「お決まりになりましたらお呼びくだ」
「サヨさんのおすすめがいいなっ」
「……少々お待ちください」
ささやくように答えて、サヨさんはテーブルを離れていった。
まったくもう。照れちゃって。可愛いんだから。
サヨさんと再会してから、いろいろなことがあった。
シフトが入っているとかいないとかに関係なくバイト先であるカレー屋さんに通い詰め、ようやく出勤日の傾向を掴めてからは、かなりの確率でサヨさんと出会うことができるようになっていた。たまに時間をずらしたりしているみたいだけど、そういうときはまたなにも考えずに通い詰めれば問題なし。
すっかり仲良しになった私たち。放課後になったばかりのこの時間は夕飯には少し早めでお客さんも少ない。さっき言われた他のお客さんに迷惑というのは照れ隠しにちがいない。本当は私に会えて嬉しいのだ。はじめは舌打ちとかされたけどそれを喜んでいたら照れるようになったようだ。
このかけがえのない時間を、私は大切にしていきたい。
「邪魔するぜ」
私が素敵な未来へ思いを馳せていると、そこには似つかわしくない低い声に遮られた。
「はい? って、あー! あのときのバカ男!」
私はガタンと立ち上がり、男を指差して叫んだ。
無駄に広い肩幅の学ラン男が立っていた。
忘れもしない、私がサヨさんと結ばれた日に現れた工業高校の生徒だ。
「なんであんたがこんなとこにいんのよ!」
「落ち着け。こんなとこでどうこうしようなんて考えちゃいねえ。ちょいとお前に話があるだけだ」
学ラン男は、私の顔よりも大きそうな手のひらを向けながら言った。
「私に? なんで?」
「? そりゃあ、お前の姿を見つけたからに決まってんだろうよ」
「? サヨさんに用じゃなくて?」
お互いに首を傾げる。
なんだろう。なにかおかしい。
コトン。
「失礼しました。お連れ様の分のお水をお持ちしました」
テーブルに新しいグラスが置かれた。
サヨさんがなんの躊躇いもなく姿を現し、学ラン男に対して微笑みかける。
「ああ。悪いな、店員の姉さん」
「うん?」
私はここでようやく、違和感の正体に気づき始めた。
「いえ。なにかありましたらお呼びください」
サヨさんはトレイを胸に抱きしめつつ、視線を私に向けながら自然な仕草で顔を寄せて、
「……騒いだら殺す」
と、ささやくように耳打ちしてきた。
「あっはぁ! あぁ、いまのいい!」
「なんだお前。やっぱり頭がおかしいのか」
私が身悶えていると、心底気持ち悪そうな顔をしながら学ラン男は言った。
「あんたみたいなバカに言われたくないわ! ……こほん。それでなんだって? 私の。私のサヨさんになにか用?」
学ラン男はにが虫を奥歯で噛みつぶしたような顔をして、
「恥を忍んでお前に聞きたいことがある。他でもねえ。あのサヨが認めたほどの女だからな」
「ふむ。苦しゅうない。申してみよ」
やっば。めちゃくちゃ気持ちいい。私とサヨさんがキスしたところを見てたのが相当に効いてるらしい。たとえ真実がどうであれ、こいつの現実の中では私とサヨさんは付き合っていることになってる。だったらそれを元に真実のほうを捻じ曲げていけばそっちが本物になることだってあるだろう。
どんな質問が来ようとも、いい感じにごまかしてみせる。
「お前のどこにあの女は惚れたんだ?」
「ふむ?」
「お前はただの女だろ。腕っぷしがあるようにはとても見えねえ。あの女の隣に立つには役不足どころか、足手まといでしかねえだろ」
私は腕を組み、言葉の意味を考える。
なるほどそうきたか。
「ふっ」
私は笑った。
鼻で。
「な、なにがおかしい」
「あんたはまだ知らないんだね。かわいそうに」
「な、なにい」
学ラン男はうろたえる。この場においては、サヨさんに一目置かれているという勘違いがある限り私の優位が揺らぐことはない。
「か弱い子犬を見つけちゃったってこと、かな」
「ど、どういうことだ」
「たしかにあんたが言うとおり、私は弱っちいよ。弱っちいともさ。あんたの仲間に追い回されたときは涙目だったし足も震えてた。でもそんな私だからこそ、サヨさんは守ってくれたの。おわかりにならないかしら?」
くすりと微笑んで私は続ける。
「人はね、弱いものを守るときにこそ強くなれるのよ」
「マジか。つ、つまりサヨはまだ強くなるってのか?」
「マジよ。サヨさんは私の愛でさらに強くなるの!」
「サラダをお持ちしました」
熱弁する私の前に、お皿が置かれた。レタスにたまねぎ、プチトマトにきゅうりまでのせられて色鮮やかだ。
「……あとで覚えてろ」
そして低く響く囁き声。
「ふ、ふふ。やばい。くせになりそう」
いまこの瞬間の快感だけでなく、後があるという喜びに震える。
「昼飯食ってねえのか? 気にせず食ってくれ」
思わずよだれを垂らす私を前に、学ラン男は目を逸らしながら言った。ひょっとしたら悪いヤツではないのかもしれない。やはりバカではあるようだけど。
ちなみにお昼はきちんと食べている。サヨさんにアプローチするには体が資本となるからだ。もちろんサヨさんが配膳してくれたこのサラダも完食する。
私はぴかぴかに磨き抜かれたフォークを手に取り、ぶすりとプチトマトに突き立てる。
「で? あんたはなにがしたいわけ? 弱っちい私をいじめたところでサヨさんに嫌われるだけだよ」
まあ正直なところ、また私が人質になったりしたところでサヨさんが助けてくれるかどうかは怪しい。なぜなら連絡先を聞けていない。紙ナプキンに電話番号とメールアドレスを残しているのにも関わらず、一向に返事がないのである。
つまり、ここに来る以外にサヨさんと接触する方法はない。いまのところは。
「んなことはわかってる。言ったとおり、お前をどうこうするつもりはねえ。つーか正面からやって勝たなけりゃあの女に認められるわけがねえ」
「へえ」
ひょいぱく、とプチトマトを口の中へ。あまい。トマト自体はフルーツのようにあまく、ほんのりとドレッシングの酸っぱさが効いていておいしい。
「そのう、なんだ。お前には詫びを入れなきゃならねえ」
「は?」
視線を逸らしたまま、学ラン男はバツが悪そうに続ける。
「あんときオレはサヨと決着をつけたかっただけだ。うちの連中がお前に手ぇ出そうとしたのは、オレが伸びてたせいだ。すまねえ」
「ふむ」
わからない話ではない。さっき言っていた通り、こいつが卑怯な手でサヨさんをものにしようとしてたわけではないのは明らかだし。
むしろ、あの夜のトラブルがなければ私はサヨさんのことをきっぱりと忘れてベッドで丸くなり枕を濡らしていた可能性が高いとすら言える。
「気にしないでいいよ。ほら、お互い様じゃん。そういうのって」
私は笑顔で言った。バカそうな男ではあるけど、かなりの功労者だと気づかされた。
「そうか。その器のデカさにあの女は惚れたのかもしれねえな」
「牛乳と、お連れ様のお冷をお持ちしました」
「ありがとうございまーす!」
「おっと。店員のねえさん。ホットコーヒーを頼めるか」
「……かしこまりました」
サヨさんは再びトレイを抱きしめるように抱えて、小さく会釈して去っていく。そろそろトレイに生まれ変わってもいいような気さえしてくる。
私はその後ろ姿に、具体的には小さなおしりと、ふくらはぎから足首にかけての流線型をじっくりと眺めてしばし見惚れてから、
「注文するんだ。へえ」
いくつかの野菜をフォークで突き刺した。
「場所を借りてんだ。筋は通さねえとな」
「はっ!? まさかあんた、さっきからいい感じのこと言ってポイント稼いでるんじゃないでしょうね!? ホントは気づいてる! そうでしょ!」
「なにがだ。やっぱお前、ちょっとおかしいんじゃねえのか」
「お待たせしました」
大皿のカレーが運ばれてきた。
十五本の砲台に見立てたソーセージが並ぶ、戦艦島風をモチーフにした超ボリュームのカレーだ。あとホットコーヒーも一緒に。
「すげえな。昼飯食ってなかったのか……?」
もちろんカレーは美味しくすべて平らげた。可愛い制服のサヨさんもたっぷり見ることができたし、あらゆる意味でごちそうさま。
「いやー悪いわねおごってもらっちゃって」
「こんなので済むなら安いもんだ。と言いたいところだが、それなりに高くついたな」
どうしても支払わせて欲しいと頼まれてしまったら仕方がない。サヨさんにまた明日来ることを約束して、今日はおいとますることにした。
「あれ。アサカちゃん」
「お? ナナじゃん。いま帰り?」
お店を出た途端、見た顔に出くわした。
いつものふわふわとした調子は変わらない。と思いきや、あげた手のひらを私に向けたまま表情を凍りつかせている。
「どしたの?」
「アサカちゃんが、おとこのひととあそんでる……!」
ぽぽぽ。普段は白いばかりの頬を真っ赤に染め上げ、口をわななかせて言う。
「あっ。ごめんね。ごめんなさい。ぜんぜんそういうのでいいと思うよ。私は応援するから。そのう、アサカちゃんはちょっと変わってると思いますけどよろしくお願いします」
「おいちょっと待てぶっ飛ばすぞ」
そう返したのはもちろん私だ。学ラン男はとくに慌てることもなく様子を見ている。
「私のことは気にしないでいいから! デートを楽しんで!」
よし殴ろう。人の話を聞かない友人の目を覚まさせるためにはやむを得ない。
私はこぶしを固めた。弓を引き絞るように振りかぶる。
が、そのこぶしはぴたりと動かなくなった。
「あー。ちょいといいか」
学ラン男の無駄に大きな手が私のこぶしをつかんでいた。
「まあ、なんだ。オレとこの女はそういうんじゃあなくてだな。むしろ敵同士っつーほうが正しいというか……」
しかし出てきた言葉はしどろもどろで、ナナと目を合わせないようにしているようだった。
なんだこいつ。まさかナナの女子っぷりに緊張していやがるのか。
「ご、ごめんなさい。実はちょっと私いそいでて。今度ぜひゆっくり教えてください! それじゃあまた明日ね、アサカちゃん!」
素早く後ろに身を引いて、ぺこりと頭を下げてナナは逃げ出した。
「こら待て! まあいっか。言いふらすようなタイプじゃないでしょ。あんたは苦手そうだったけど」
「ああいうわたがしみてえな女は苦手だ」
「わたがし! はじめてあんたの言ったことで笑ったわ」
「おい。さっきの、なんか落としてったみてえだぞ」
言って、学ラン男はデカい体を器用に縮めてしゃがみ込む。なにかがアスファルトに落ちていたらしい。
「封筒?」
「らしいな。明日にでも渡してやれ」
「うん。ただし封がされてなさそうなので中身は見る」
ぴっ、と学ラン男の手から手紙をひったくる。口がぴらぴらと開いている。中には手紙らしきものがおさまっていた。
「お前……えげつねえな」
「つまらない勘違いしたまま逃げたバツよ。ま、どうせ愛しの生徒会長さまに宛てたラブレターでしょ」
丁寧に折り畳まれた手紙を開く。こんな時間まで居残って、どうせ出せもしないラブレターをこしらえていたとわかれば痛み分けになる。
「……なにこれ?」
「あん?」
そこには、予想を裏切る文章がつづられていた。
“とても大事な指輪を盗まれました。どうか取り返してください”
つづく
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