第36話 信と疑の爆炎(1)

「頭領はいるか」


 黒い鳥人の装甲が光の粒となって霧散し、白い肌を持つ一人の青年の素顔を露にする。朝早く、水上村に舞い降りたからすの魔人コルニクスゼノクは変身を解き、ゾフカール軍のコサック兵士ダニール・クジャエフの素顔を見せて高圧的に村の代表者を呼んだ。


「わしが頭領だが」


 ヨーギが小屋の中から出てきて答えると、ダニールは野性味あふれる大柄なこの男の迫力にも怯まず、むしろ見下したような態度で要求を突きつける。


「ルワン・パトムアクーン王子とその家臣どもがこの村へ逃げ込んだはずだ。知らぬか」


「知らんな。王子様がわざわざこんなむさ苦しい貧民どもの村になんぞ来るものか」


 ヨーギの嘘を見透かしたように哂いながら、ダニールは居丈高な態度を急に崩し、声をひそめて親しげに語り出した。


「そんな芝居をしても得にはならんぞ。頭領殿。この村は貧困にあえぎ、王朝への不満をずっと募らせてきたと聞いている。長年、村を率いてきた頭領のそなたは特に苦労が多く、積もり重なる恨みは既に骨髄に達しているはずだ」


「それは、確かにそうだが……」


 ルワンの前ではこれまでの不満や恨みはもはや過去の話だと言って笑ったヨーギだが、そう煽られるとやはり舐め続けてきた数十年分の辛酸の味はそう簡単には忘れ去れないものがある。彼の感情を言葉巧みに焚きつけてから、ダニールは理解者のような態度を示して言った。


「我らゾフカール帝国のコサックは、ナピシムの圧政に虐げられている者たちを救うために来た解放軍だ。この国の新たな支配者である我々は、今までのナピシム人の王や貴族たちとは考え方が違う」


「どう違うと言うのだ」


「王子の捕獲に協力してくれれば住むための土地を与え、更に褒賞として黄金十万プロムをくれてやろう。この村が豊かになるには十分過ぎる金だと思うがどうだ」


「ううむ……」


 貧しいこの村にとっては確かに魅力的な額の金である。迷いを見せたヨーギに、ダニールは更に畳みかけるように言った。


「分かっているぞ。王子の側からも、協力すれば相応の報いを与えると約束されたのだろう? だがそもそも奴らに勝ち目はなく、あの小僧が我々を破って王になるなどあり得るはずもない夢物語だ。それに代々お前たちを抑圧してきたパトムアクーン家の者が言うことではないか。例え運良く勝ったとしてもそのような歯の浮く話、果たして信用できると思うか」


「それは、確かにそうかも知れんが……」


「今更言われるまでもないことだとは思うが、そなたは村人たちの命を預かる頭領だ。わざわざ恨みのある王家の者を助けるために無謀な負け戦へと皆を導いて、むざと死なせるようなことがあって良いのか」


 村人たちのことを出されるとヨーギも弱い。いくら息子を助けてくれた恩人だからと言って、水上村の人々の運命と引き換えにしてまでルワンを守るという訳には彼も行かなかった。


「まずいなぁ……。王子様が危ない」


 父親の心は動こうとしている。小屋の外からこっそり話を盗み聞きしていたニルットは、その場をそっと離れて隣の舟に飛び乗った。




「ごめんなさい王子様。うちの父ちゃん、どうにも浮気性で、死んだ母ちゃんにもよく怒られてたんだ」


 ルワンとラットリーと藤真の三人を舟から逃げさせたニルットは陸へ上がり、浜辺を足早に歩いて三人を安全な場所へと先導する。


「いや、この状況で私を匿うなんてとても危険なことだからね。仕方ないよ」


 ヨーギの立場になって考えれば無理からぬ話だと、ルワンは屈託もない様子でさらりと言う。自分が命を狙われているというこの大変な時に全く感情的にならず、そんなことが冷静に言えるのはもはや一種の才能だろうと藤真とラットリーはつい感心してしまうのだった。


「あの、それで……って訳じゃないんですけど、おサムライさん」


 急に足を止めて振り返ったニルットは、藤真の前に立つと緊張した面持ちで話を切り出した。


「津賀藤真にござる。拙者に何か御用かな」


「はい。フジザネさん。あの……実は僕、サムライになりたいんです!」


「ええっ!?」


 これには隣で聞いていたルワンとラットリーが揃って驚きの声を上げた。藤真も思わぬ頼み事に、のけ反るように身を引いてその場に固まってしまう。


「僕、湖賊の頭領の息子だから、村の皆を守るためにも強くなりたくて……昨日のフジザネさんの戦いを見て、サムライって強くて格好良くて、自分もあんな風になりたいって思ったんです。だから、どうか僕を弟子入りさせて下さい。お願いします!」


 深々と頭を下げて懇願された藤真は、どうしたものかと困惑した。


「いや、拙者は弟子など取るつもりは……今はルワン殿下をお守りするので精一杯でそれどころではござらぬし……それにそもそも、サムライとか武士と申すものは我ら瑞那人の戦士のことにて、そなたのような他国の者がなろうとするものでは……」


「そんな……ミズナ人じゃないと、サムライにはなれないんですか?」


 ニルットが愕然として悲しげな顔を見せる。慌てた藤真は、すぐに弁解の言葉を継ぎ足した。


「いやいや、別にそういう決まりがある訳でもないとは存ずるが、されど……」


「いいじゃないフジザネ。やる気は十分あるみたいだし、せっかくだから弟子にしてあげたら?」


 ラットリーが面白がって横槍を入れると、藤真はますます困って頭を掻く。そんな会話をしている横で、ふと遠くに視線を向けたルワンは浜辺に埋まっている奇妙な物体を目に止めた。


「……あれ、何だろう?」


 右足を引きずるぎこちない歩き方で近づいていったルワンは、屈んで不思議そうにその球状の物体を覗き込んだ。砂に埋まった一抱えほどの大きさの硬い黒色の球が、天辺てっぺんだけ地表に露出してさざ波を被っている。


「あっ、近づいちゃダメです。王子様!」


 ニルットが慌てて駆け寄り、ルワンの手を引っ張って離れさせる。意味が分からずきょとんとする藤真とラットリーに向かって、ニルットは青ざめた顔でその謎の球体について説明した。


「これ、大昔の不発弾ですよ。バヤーグ族が使ってた鉄炮てつはうの」


「鉄炮……!?」


 鉄炮とは、丸い陶器の中に火薬と硫黄を詰め込んだ爆弾のことである。三百年前のビルグンハーンのナピシム侵攻の際にバヤーグ軍が手投げ弾として使用し、まだ火器が普及していなかった当時の新兵器としてナピシム兵を大いに恐れさせた。西洋製の大砲が出現した今となっては旧時代の遺物でしかなく実戦ではほとんど使われていないが、それでも爆発すればかなりの殺傷力があるのは間違いない。


「これは危険な……。殿下、早うこちらへ」


「びっくりしたわ。鉄炮っていう昔の兵器は聞いたことはあったけど、未だに現物がこんな風に埋まってることもあるのね」


 藤真とラットリーも肝を冷やし、すぐにルワンを離れた場所まで連れてきて溜息をついた。


「このサンラワット湖の辺りは昔、大きなお城があったのをバヤーグ軍が攻め落としたらしくて、城攻めに使われた時に爆発せずに落っこちた弾が時々埋まってたりするんですよ」


「そうなんだ……」


 冷や汗をかきつつ自分の軽率な行動を反省するルワンの横で、ニルットは遠くに見える岩山を指差した。


「ひとまず、あそこの洞窟に隠れていて下さい。そう簡単には見つからないと思いますから」


「承知いたした。ご案内かたじけない。ニルット殿」


 結局、弟子入りの話は有耶無耶に濁したまま、藤真たちは湖畔の岸壁に開いた広い洞窟の中に入ってしばし身を潜めることにしたのであった。

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