第28話 進化を呼ぶ覚悟(4)

「ぐっ……うぅっ……」


 デーンダー僧院の外壁を突き破って本堂の床に墜落した藤真を、燃え盛る炎が取り囲む。胸に走った裂傷からはどくどくと血が流れ、失血と煙による一酸化炭素中毒で彼の意識は次第に遠ざかろうとしていた。


「殿下……殿……」


 夢、もしくは幻覚の中に、かつてうしなった主君の顔が浮かび上がってルワン王子と重なる。四年前に自害し藤真がその手で介錯をした桐嶋高頼は、もし生きていれば今はルワンと同じ十四歳になっていたはずであった。


「情けない……またしても……お守りできなかった……」


 亡き主君の高頼に対して果たせなかった奉公のやり残し、あるいはやり直しを境遇の似たルワンにしているという意識は少なからずあった藤真だが、結局はまた敵の手から守ることができず以前と同じ結果に終わろうとしている。痛みも苦しみも忘れて、瀕死の藤真はただひたすらに無念さだけを噛み締めていた。


「いや……まだだ……まだ死ぬ訳には……っ」


 ここで諦めてしまって本当にいいのか。気力を振り絞って何とか死の誘惑に抗おうとする藤真だったが、既に彼の生命力は尽きようとしていた。奈落へと沈んでゆく感覚と共に、意識が茫漠として彼は甘美な永劫の眠りに入る。


「サムライの意地、とでも言うべきかしら。見事ね」


 本堂を覆う猛火の中、仮死状態となった藤真の前に立つ一人の少女。渦巻く熱風を涼しげな顔で浴びながら、ダーリヤ・アリージュは鮮やかな緑色のアバヤの胸元から青く輝く美しい鉱石を取り出して言った。


「この国の守護神トゥリエルの思し召しよ。ツガ・クランド・フジザネ。あなたはあの王子を守るために、まだ戦わなければならないわ」


 倒れている藤真に向けてダーリヤがその石をかざすと、青色の光が石から放射されて彼の全身を照らす。浴びせられたその不思議で温かな光は体内へと染み渡り、彼の胸の奥深くに眠っていた強大な力を刺激して目覚めさせた。


「うっ……!?」


 突然、胸に鋭い痛みを感じて、気絶していた藤真が声を上げた。自分の中で何かが騒ぎ出す感覚と共に、失われていた意識と生気が徐々に戻ってくる。己を突き動かそうとする強い衝動に駆られて、目を血走らせた彼は獣のように咆えながらおもむろに身を起こす。


「ウォォォッ……!」


 立ち上がった藤真の体内から眩しい紫色の光が湧き上がり、次第に勢いを増してゆく。僧院の建物を燃やす炎を跳ね返す魔力の波動は彼が着ていた黒い袴の上から全身を包むように凝固し、硬く雄々しい獣人型の鎧を形成していった。


「それでいいのよ。フジザネ。ラシード様と同じ戦士としての運命、真のサムライならきっと喜んで受け入れるわよね」


 眠っていた力を目覚めさせることには成功した。紫色に輝く昆虫の魔人と化した藤真の姿を満足そうに見つめて微笑みながら、ダーリヤは火焔の中に姿を消した。




「フジザネ……フジザネっ……!」


 デーンダー僧院は炎に包まれ、崩れて焼け落ちようとしている。心から信頼し慕ってさえいた忠臣である藤真の無惨な最期に、ルワンは動揺して震える声で叫んだ。


「おいおい王子様。あんた自分の状況が分かってんのか? あんな傭兵一匹に構ってる場合じゃないんだぜ」


 我を忘れて、という表現がまさに適切なのだろう。自分が殺されそうになっているのも気にかけず藤真の身を案ずるルワンに、エリキウスゼノクは呆れたように溜息をついた。カンケルゼノクは右手の鋏を大きく開いて見せつけ、ルワンの意識をこちらへ向けようと威嚇する。


「しまった! 遅かったわ」


 王剣ラプトラクルを携えて王都から飛んできたパピリオゼノクが、燃え上がる僧院と今にも処刑されそうなルワンの姿を見て息を呑む。カンケルゼノクは開いた鋏をルワンの首に押し当て、ゆっくりと閉じて彼を斬首しようとしていた。


「お命は頂戴いたしますぞ。ルワン殿下。必ず首級を持ち帰れと、我が主チェンロップ大臣からの厳命ゆえ」


「うぅっ……」


 鋼鉄をも斬断する切れ味抜群の鋏が、今にもルワンの首筋に触れてその頭と胴体を切り離そうとしている。すぐに助けに向かおうと上空で急降下の体勢に入るパピリオゼノクだったが、次の瞬間、炎上を続ける僧院の中で一際大きな爆発が起き、その爆心で明るい紫色の光が輝いたのである。


「な、何事だ……!?」


 カンケルゼノクとエリキウスゼノクが驚き、同時に後ろへ振り返る。突入をやめて空中で停止したパピリオゼノクと彼らが呆然と見つめる中、光はやがて収束し、炎の中に頭に長い一本の角を生やした魔人の影が浮かび上がった。


「藤真の奴、まさか……」


 思わぬ事態にエリキウスゼノクが絶句し、カンケルゼノクもルワンの処刑を止めて炎の向こうにじっと見入る。渦巻く猛火を乗り越えて現れたのは、甲虫かぶとむしを彷彿とさせる重厚な全身装甲を纏った紫色の超戦士の姿であった。

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