第2話 虫は虫でも虫じゃない弱虫。


 馬鹿みたいに暑い夏休みは、特に遊びに行くこともなく。ルイと勉強、祖母の店の手伝い、その繰り返しであっけなく燃え尽きた。


 始業式が終わった後の教室で、先生は夏休みの出来事を愉快に語っていた。それを面白がるクラスメイトたちは、質問を投げて先生が疲れた頃にやっと満足して帰り始める。


 私は必要な教科書だけ鞄に詰め込んで、たまには自分から遊びに誘おうとルイの教室へ向かう。


 顔を覗かせてみれば、ルイは友達となにやら楽しそうに話していた。盛り上がっている中、割って入るなんてことはしない。スマホからメッセージだけ送信して廊下を引き返す。

 

 校内をふらついて、ぼんやりと三階から中庭を眺める。


 そこには一本の桜の木があって、その木陰はいつも涼しそうに見える。だけど、沢山草が生えていて、虫がうじゃうじゃいそうだから行きたいと思ってもそこに足を踏み入れる勇気が出ない。


 きっと、それは私が弱虫だからだ。


 つまらなくなって、踵を返し、階段を降りる。


 タン、タン、タン。


 一定のリズムで足を動かしていると、聞き覚えのある声がして足を止める。――ここは、声がよく響くのに。


 引き返すべきと分かっていても、好奇心は前に進む。


 階段の影から顔を覗かせると、髪の短い女の子が俯きながら必死に何かを伝えていた。それに対して相手は素っ気ない返事をしている。


 聞き覚えのあるのは、素っ気ないやつの方だ。


 少し悪い気もするけど相手を確かめたくて、息を潜め、そっと。階段をギリギリまで降りて確認する。


 あぁ、この声、やっぱり綺咲さんだ。

 納得していると、泣きながら去っていく女の子。


 私は回れ右をして、また階段を上り、腰を下ろす。


 見てしまった罪悪感と同時に、なんで確信なんてないのにわざわざ傷つきに行くんだろう、と考える自分に対して自己嫌悪に陥る。


 もしも、私以外の誰かが見ていて、周りに言ったらあの子はどうするんだろうか。周りの目を気にして過ごすなんて、想像しただけでも疲れそうなのに。いや、周りが見えてないからこその行動?


 私は恋を羨ましいと思うほど、それが何かわかっていない。想像をしてみても、わたあめみたいに、ふわっと溶けて消える。


 あの子があいつを好きだとか、あいつとあいつが付き合ってるとか。ほとんどの人は、当たり前のように恋を語り合う。


 だけど、自分が好意を抱いてない人からの一方的な好意をしんどいと思ってしまう。多分、私が人を好きになれないから。なったことがないから。


 言うだけならいい。

 もし、同じように好きになってほしいと言われたら?


 そんなことを求められると、逃げ出したくなる。

 それなりに仲が良い子なら、尚更。


 実際に身近な人から告白されて、数カ月悩んだ。それで分かったのは、好き同士が恋人になる事がかなり難しいってことだけ。


 何百万ってあるパズルのピースから、自分に当てはまるのを探し出して、削ったり、整えたり。最初からハマる人もいるんだろうけど、気の遠くなるような話に思えてくる。


 灰色に汚れた廊下がぼやけるほど見つめていると、かき消すように白の上履きが視界に入ってくる。


「――高坂さん、覗きですか? いい趣味してますね」


 素っ気ない声に、視線が上履きから紺の靴下を辿って、上に向かう。張りぼての笑顔をした綺咲さんがそこにいた。


 この人をパズルピースに例えるなら、ガラスのピース。

 何故なら、容姿に全振りして中身が空っぽそうだから。


「……ごめん」


 気まずい。

 目を逸らし、覗いた私が悪いから素直に謝る。


「まあ、いいんだけどね」


 人一人分開けて、腰からスカートを体に沿って撫で下ろしながら座った彼女。


 どうでもいいならわざわざ来なくていいのに、と造形美な横顔を見ながら嫌味っぽく話しかけてみる。


「女の子にもモテるんだ、綺咲さん」


 なんでもない顔して「そうみたい」と、なんでもないことのように答える綺咲さんは、声さえも綺麗で。


 その張り付けただけの違和感に、心がざらつく。


「ふーん」


 会話を投げてみたものの、当たり前に続くはずもなく。

 落ち着かなくなってきて視線を前に戻す。


 そもそも私は、なんでここに居るんだっけ。

 このまま居ても気まずいだけな気がしてきた。


「高坂さんは――」

「そろそろ帰る」


 何かを言いかけた綺咲さんの言葉を無理やり遮って、重たい腰を上げる。感じ悪いのは分かってるけど、ルイも帰っただろうし早く帰りたい。


「もう帰るの?」

「うん」


 急に帰ると言い出した私に、少しだけ驚いたような声色が聞こえるが気にしない。

 

 頭上に疑問符を浮かべている彼女を無視して足早に歩く。スマホを確認するとルイからメッセージが届いていた。


 どうやら今日は友達と遊びに行くらしい。


 ……困ったな、今日は家に帰りたくないし、ばぁちゃんの家に長く泊まるのも避けたい。


 こんなことなら友達もっと作ればよかった。

 いや、それは違うな。できないから、いないんだった。


 友人関係が狭すぎる私は、ルイ以外に泊まれる所なんてない。

 なんてことは……まあ、ないけど。


 ぐるぐると考えても、思い浮かぶのは一人しかいない。

 中途半端に逃げたくせに、結局頼ってしまう。


 気はあまり進まないけど、このまま逃げ続けるのもよくない。

 そう自分に言い聞かせるように足を動かす。


 

 じりじりと歩くこと、三十分。


 綺麗なアールを描く石積みの高い塀が見えて、

 立派な家の前に辿り着く―—。




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