CUTE AGGRESSION
ありにあるく
第1話 美少女がくれた飴は生温い。
授業が終わるとすぐに保健室のベッドを求めて教室を出た。
やけに騒がしい廊下には、人の波を縫うように走る人達。
好奇心の刺激、ストレスの反動、自由への欲求。
見てはダメ、触ってはダメ、あれもこれもダメ。
行動を制限されると反発したくなる厄介な心理作用。
休み時間が短い、雨で運動場が使えない。そんなのは、狭い廊下を走っていい理由にならない。走るなと先生に注意されても聞く耳すら持たない人達。
コイツらが鬼ごっこなんてせずに大人しくしてれば、後ろに倒れそうになる彼女へ手を伸ばすことも、彼女の後頭部が私の顔面に直撃することもなかったのに。
じわじわと涙が滲んで、口元を押さえたまま膝を折り、その場に屈み込む。
咄嗟に動いた自分を蹴ってやりたい。
ただでさえ貧血なのに、なにしてるんだ私。
「ごめん、大丈夫?」
降ってきた声に、落としていた視線を上げる。
そこには、冬を感じさせる整った顔があった。
接点はないけど名前を知っている。
他校も騒ぐうわさの美少女だから、知らない人のほうが少ない。
鼻血を出してても綺咲さんに気を取られるくらいだし。
別に、たいしたことないと空いてる手をひらひらさせる。
そもそも勝手に動いた私が悪い。
「保健室行こう」
彼女は、私の空いてる手にハンカチを握らせる。
鼻を押さえろってことなんだろうけど、人の物を血で汚すなんてできない。それに、保健室は最初から行くつもりだった。
「一人で行けるから大丈夫」
私の手首を掴んで歩き出す彼女は人の話を聞く気がないのか、ただ声が小さくて聞こえてないのか。
まあ、別にどっちでもいいけど。
されるがままに綺咲さんの揺れる艷やかな黒髪を見ていたら、掴まれていた手首がパッと離される。
「先生いないみたいだから、血を洗い流して他に傷がないか見せて」
義務的で、どこか冷たい声。
言われた通りに保健室にある洗面台で、鏡に映るひどい顔を確認しながら血を綺麗に洗い流す。
鼻が赤くなってる程度で目立った怪我はない。けど、口の中がすごく嫌な味だ。痛いのなんてどうでもいいけど、いつもこの味だけは慣れない。
「綺咲さん」
棚で何かを探す彼女に近づいて、ハンカチを返す。
「保冷剤あったからタオル巻いて冷やそう」
「ありがとう、でも大丈夫だから必要ないよ」
そう言って保健室のベッドに腰掛けると、綺咲さんも後を追うようについて来る。
「本当に? 血が出てたみたいだけど」
目の前で立ち止まった、かと思えば目線を合わせ疑ったように問われる。そんな目されても、鼻血はいつもすぐに止まるし問題ない。
「大丈夫」
その目から離さずに言い切る。すると綺咲さんの視線が下におりて口元で止まる。
「唇も切れてる」
「このくらい――」
「見せて」
言葉を遮り指先で顎を軽く持ち上げられる。
…………え。
息が触れ合いそうなくらいの距離で、まじまじと見つめてくる。
伏せがちな長いまつげに、柔らかそうな唇。
目のやり場に困るのに、何故か私も綺咲さんの唇から目が離せない。
口元の右下にある黒子が、形の良い唇を際立たせていた。
引いていた血液がドクドクと流れて息がくるしい。
普通に見ればいいのに、なんでこんな。
バッと手を前に出して、綺咲さんとの間を遮る。
足りなかった空気を吸って声を出す。
「いや、ほっとけば勝手に治るから。もう教室戻りなよ」
顔が整ってるのは分かったから離れてほしい。
指の間から見える表情は薄くて、何考えてるのか分からない。
けど、距離感がおかしいって事だけはわかる。
ジッと見られて、気まずい沈黙が流れる。
彼女は間に挟まったままの手をとると、反対の手でスカートのポケットから何かを取り出していた。
触れている部分、温度の違いを感じて眉間に力が入る。
彼女の指先が私の手に少し触れて、何かが乗せられた。
「助けてくれてありがとう」
落ち着いた声でお礼を口にする綺咲さんから視線を落とし、自分の手を見る。
「……飴?」
首を傾げた私に、彼女は何も言わず微笑んで保健室から出ていった。
手にポツンと残された飴。
私が勝手に動いて怪我しただけなのに。
スカートのポケットは生地が頼りないくらい薄いせいか、飴は温くなっていた。無心で個装を破って口に運ぶ。
桃の香りが鼻から抜けて、口内にべったりと甘みが張り付く。おかげで、血の不快感はなくなった。
……桃味の飴なんていつぶりに食べたんだろう。
小さく息を吐き、破れたごみを握りしめ、目を閉じる。
綺咲さんがくれたのは、ただの飴。
その辺にも売ってるやつ。
何も思い出すようなことなんてない。
ただ容姿が少し似てるってだけで。同じ味の飴なだけで。
それだけなのに、馬鹿馬鹿しい憶測がふわっと浮かぶ。
「高坂いるー?」
聞き慣れた明るい声に思考が掻き消されて、落ちそうになった気分が引き上げられる。
「なに? 佐々木さん」
「冷たいなぁ、クラスの子が騒いでたから心配して来たのに」
頬を膨らませて近づいてくるこの子は、佐々木 ルイ。
唯一私の友達と呼べる人間。
「ふーん。そんなに心配しなくても死なないよ」
「そういう話じゃなくて!もうっ人が真面目に話してるのに、なんでいつも陽向は」
雛鳥みたいにピーピーとひたすら鳴いている。
「ルイ静かにして。頭痛くなりそう」
額に手を当て、大袈裟にベッドへ沈む。
すると、ルイは何かを確かめるように顔を覗き込んでくる。
「顔色悪くない? てか、なんで飴食べてるの」
「なんとなく」
「えー! 普段貰ったもの食べないのに?」
貰った。なんて一言も言ってないんだけど。
「貰い物って?」
ルイは私の手を指差した。
「それ、たまに綺咲さんが食べてる飴じゃん」
……ほんと、よく人のこと見てるよね。
「へぇ。そんなことより、学校終わったらルイの家に行ってもいい?」
「いいに決まってんじゃん、寄り道して帰ろ」
「うん」
「じゃ、またあとでね〜」
やっと静かになって目を閉じると、
あの唇が鬱陶しいほど瞼の裏に焼き付いていた。
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