終 十五年後

 体の前で手を重ねて、体を倒す。


「本日より皇宮でお世話になります」


 子供のころの夢をかなえることができた人間というのはどのくらいいるのでしょう。統計に関して造詣が深くはないけど、きっと少ないと予想。


 十五年。


 人が大人になるのには十分すぎるほどの時間が経った。


「久しぶりだね、サヨちゃん」


 彼女が二十九歳。私が二十八歳。お互いに大人になった。あの頃よりもきっと顔立ちが変化していることでしょう。奇麗になったのか、それとも老けただけなのかはわかりません。


「お久しぶりです」


 私は彼女に仕えるもの。顔をまっすぐに見ることは許されていません。


「顔を上げてもいいんだよ。嫌なら強制はしないけど――できないけれど」


 パワハラに成っちゃう、と彼女が笑った。


「訴えることはしませんよ。女皇様」


 彼女はもう皇女ではなくなっています。ただ今は、冠を頭上にいただく、ただ一人の人。この国を治める、皇様。


「そんな大層なものだっていう実感はないけどね。生きていたらここにたどり着いちゃった」

「あなたはすごい方ですよ。ただ生きているだけで世界を救ってしまうんだから」

「あたし一人の力じゃないよ。みんながいたから。――君はその中の一人に逢いに来たようなものだよね、知っているよ」


 十五年前から変わった話しぶり。わずかに緑色が混ざった黒髪を肩のあたりまで下ろして、思わず顔を上げてしまった私に向かって微笑み。


「下にいると思う。どうかな、初日のお仕事はそれをお願いしよう」


 命令だ、なんて権力の使い方を会得なさったようで。


 顎を引いて了解の意味を示し、自然と上がる口角を制御しながら来た道を戻ります。広すぎる皇宮の階段をあちらへこちらへと下っていき、とうとう先ほど通った正面エントランスについた時、


「よう」


 左耳に光る石。染めたのではないかと疑うほどに色素の薄い髪。何よりも整った、職人の作り上げた彫刻のような顔面。

 十五年の年月を超えても、彼は変わっていなかった。


 まるであの頃のままのよう。


「老けない、と羨ましがられるのじゃありませんか?」

「たまに、な」

「私は全く羨ましくありませんね」


 不変であることは、その神秘的さと同じくらいに不気味だ。


「それにしても、数年前は随分大騒ぎでしたね」


 国民が誰も知っているだろう、少し前の騒動。国民が何よりも大好きな、皇族のお話。それも、恋愛話ゴシップ。世論は大揺れだった。


「何のことだ?」

「とぼけないでくださいよ」


 あれは五年くらい前? 慣例により皇族は中央貴族(本家が皇都にある貴族のこと)の子女と結婚することが決まっていたのに、それを突然彼女は拒否した。

 一般人の中に結婚したい人間がいる、と。

 公式発表の場において、頬を染めてその相手について話す彼女は可愛らしくって、その報道で一気に支持者が増えたんだっけ?


 報道の中では一般人男性、としか言われていなかったけど、私はすぐにわかってしまった。


「あなたでしょう? 彼女の恋人」

「ご想像にお任せ、だな」


 いたずらっぽく片頬を上げて、笑うのが随分上手になったんじゃないですか。


「むしろ、違ったら怒ってもいいくらいですよ」


 じゃなくちゃ私はどうして自分の心を犠牲にしたんです?


「それじゃあ決闘と、洒落込むか?」

「せいぜい果し合いくらいにしておきましょう」

「それじゃあデートってとこでどうだ?」

「浮気者」

「残念ながらぞっこんだよ。仮面恋愛っての、流行だろ?」


 決着は彼の一言でついたようなものだけれど、私は頷いた。


「皇宮の案内をいただきたかったんです、丁度」


 ここは広すぎて。


***


 驚いたことに、十五年前に訪れた時から皇宮はあまり変わっていなかった。私の心持が変わったから見え方が変わったものはいくつかあったけれど。


「世界は、何も変わらなかったんです」


 言葉があったところでなかったところで、自分を取り繕ったところで素直に過ごしたところで、何ら変わらなかった。


「だけど、私は変わりました」


 背伸びして、無理に敬語を使うことをやめました。

 大人らしくすっきりすることをやめました。


 自分がそこにあるあり方のまま、混沌としているのならその混沌をそのままに、生きていくのもいいものだ。


 敬語と普段の言葉がまじりあってぐちゃぐちゃだけれど、それもむしろ心地よい。


「洗練されていなくても、奇麗じゃなくても、私がここに生きていればよかったんです。言葉があろうがなかろうが関係なかったんです。たとえどんな要素が存在したとしても、私が私であることに変わりはないんです。それが一番大事だ、って」

「思うわけだな? 十五年の時を経て」


 やや茶化すようにユーリさん。


「ええ。あなたは?」

「思いは言葉にしなくちゃ伝わらない。けど、言葉にできない思いが何よりも俺を突き動かしてる」


 ずるいですね。はぐらかすようなことを言って。


「結局、どっちがいいんでしょう? 言葉にするのと、しないのと」


 私にはわからない。


「言葉にすることは難しいけど、言葉にしないと伝わらない。それだけだ」


 さっきと同じことを言って、ユーリさんは傍らの階段から上ってくる人影に目を留めました。


「あそこ、地下牢だ。凶暴なやつがいる、ってことはないが――」


 彼の言葉の後半、私には届きません。


 階段を一つ一つ踏みしめる人影、さっぱりと刈り上げた髪の毛にきりっとした目鼻立ち、どこか不安そうな顔つき。


 名前も知らなかったけれど、いつかどこかで感じたような電流を、私は再び背筋に浴びました。


「ユーリさん。彼は?」

「あー、確か地球ってところから来た漂流者だ。自力でここにたどり着いた、って。珍しいと聞いたぞ」


 そうですか。地球。サエのやってきたところと、同じですね。


 もう私、失敗はしません。


「ユーリさん、ありがとうございました。これからどれくらいの長さになるかはわかりませんが、精いっぱい務めさせていただきますね」


 案内も終わるころでした。


 かつての片思いの相手とたくさんお話もできて、楽しい時間でした。


「……火遊びはするなよ」

「心得ています。もう、昔の私じゃありません」


 いくつになっても、人間のすることは変わりません。


 それまで生きてきた経験から学習して、その次に備えて、そして、懲りもせずに再び恋に落ちる。そうやってご先祖様もやってきたのです。


 さあ、前を向きましょう。

 今を生きていきましょう。


 ここからは新しい私の物語。

 言葉が見つからないなりに言葉を尽くして、全力を尽くして、ずるい力に頼ったりはせずに、まっすぐに生きていきましょう。



☆☆☆


・皇国人物謄本

『サヨ・ウェスター()内は年齢

 皇国リタ暦9年8月リンメルにて生

 皇国リタ暦21年(13)、当時の皇女の案内役を務める

 皇国エリザベス暦9年(28)、皇宮付き侍女として召し抱えられる

 皇国エリザベス暦11年(30)、クライツ社に入社

 皇国エリザベス暦15年(34)、地球からの漂流者“モリ”と結婚

 皇国エリザベス暦18年(37)、クライツ社退社

 皇国ルカ暦元年(40)、夫失踪により未亡人となる

 皇国ルカ暦3年(42)、リンメルにて教職に就く

 皇国ギルバート暦3年(52)、幼馴染ミナ・シャギールとともに雑貨店を開く

 皇国ギルバート暦10年(59)、雑貨店を閉店

 皇国ギルバート暦11年2月(59)リンメルにて没』

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皇国のしがない村娘ですが、皇女様の護衛を好きになってしまいました フルリ @FLapis

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