五日目 胸中

 これほどまでに人を好きになったのは初めてでした。ミナや周りの友達とクラスメイトの男の子について感想を交わすことはありましたが、恋と呼べるような気持ちを抱いたことはおよそありませんでした。


 初恋というものの味を知ってみたいと思っていました。


 そして、その瞬間はあの時、稲妻のように訪れたのです。


 俯いた顔から放たれる、ほんの少しだけ愁いを帯びた硬質で冷たい視線。

 シャープな横顔の線から、少しだけ感じる骨の質感。

 心臓が震えるほどに響く声。

 少し切り過ぎている前髪。


 すべて私の胸を震わせました。


 視界に入るたびに心が疼きました。


 好きで好きでたまらなくって、少しでも私の方を向いてほしかったのです。


 ——でも。

 彼の隣にはいつも皇女様が居ました。私には到底浮かべられないような無邪気な表情で、全身から可愛らしさを振りまきながら跳びまわっていました。


 勝てないな、と思ったのです。そもそも身分が違います。憧れる事すらおこがましかったのです。

 好きでした。


 叶ってほしい、恋でした。


 だけどあなたは一度もこっちを見ませんでした。彼と私の目が合ったことなんて有りませんでした。私の想いはあれほど強かったのに、少しも届きませんでした。


 だから。


 死んでしまえばいいのに、と願いました。


 そうしたら私は悲しむことで恋を忘れられるかもしれません。もしかしたら恋を続けることだってできてしまうかもしれません。


 そんな時、都合よくあの方が夢に出てきて、私に力をくれると仰いました。


 私は彼女の甘い誘いに乗りました。

 皇女様たちの邸宅を火事にしたのは私です。彼女のくれた力ならどうにかなる、そう思って手を汚しました。


 結果は言わなくてもいいでしょう。この場合、結果ではなく過程に罪があるのですから。


 ああ罪深い。


 私はなんて汚れた人間なのでしょう。


 そう、私は彼を殺したかったのです。


 彼が死んでしまえば、私は彼を思う存分愛する事ができる。叶わない恋を続ける悲劇のヒロインになれる。それが、私の動機です。ありふれた殺人願望にヒロイン願望。それだけなら、14歳の良く居る少女がよく抱く幻想。


 だけど私は甘い誘いに乗りました。


「わたしの力を使えばお前は望むすべてを実現できる」


 彼女はそう言いました。私はその言葉を信じて、あの邸宅を燃やしました。


 されど彼は死にませんでした。


「ほんとは気づいてんだろ。あれを殺したって満たされないって」


 声が、響きます。私を断罪して、抉って引きちぎります。


 もうここは夢の中なんかではありませんでした。


 痛いほどに、胸をさすほどに、苦しくって苦しくってたまらない、現実でした。

 その現実の中で、私は蛇に睨まれた蛙のように、惨めに縮こまっているのです。


「返せよ、それ」


 彼女が指さした私の胸元には、例の小瓶。


 彼女の血で満たされた、小瓶。この血の力を使うだけで、私の魔力は何倍にも増幅されました。——小火を出すのが関の山の魔力が、大火災を引き起こすまでに。


「でも、燃えなかった」

「何がだ?」


 さっきの広間とは違う場所。薄暗い場所。玉座のような、ごてごてと飾り付けられた椅子に座ったまま、彼女は傲慢に片眉を上げました。


「あの邸宅は、燃えませんでした」


 私は確かに火を点けたのに。あれだけ燃え上がっていたのに。確かに、火が上がっていたのに。


 翌朝見てみれば、何の異変も起こっていなかったそうです。消し炭になるなんてことはなく、倒壊することもなく、あのままの姿で立っていたそうです。


 どうして。


 どうして。


 私には、わからない。


「小娘。良いから返せ」


 そんなこと、言われたって!


 私はまだやりたいことをやっていないんです。まだまだまだまだ、足りない。

 まだ。まだ。


「返すわけ、ないっ」


 ここが何処かはわかりません。闇雲に走って、どうにかなるわけがありません。それでも、何もしないよりはましなんです。


 そう思って、踵を——


「サヨちゃん?」

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