幕間 貴女のお名前は?


「……。……?」


 はじめは何を言っているのか、まるでわかりませんでした。


 ただその人は歩き出そうとしていて。こちらを振り返り、手を伸ばしてくれたから、ついて来いって言ってるのかな、と思ったのです。


 血まみれのわたしは。お父さんとお母さんの血で染まっていたわたしは。たぶんその時、何も考えられなくなっていて。ただただ言われた通りに、こちらに伸ばされた手を取って、歩き始めたんです。


「……? …………?」


 時々その人が、何か話しかけてきてました。

 でも、わたしには全然意味がわからなくて。

 わたしはどこか、ちがう世界に隠されてしまったのかな、なんて、ぼんやり考えていました。



 その人が足を止めたのは大きな建物の扉の前。

 ドンドンと音を立てて叩かれた扉からは、白い頭巾を被った女の人が姿を見せて。

 その人はその女の人と、何か話しあって。

 わたしの方を向き、そっと頭に手を乗せ何かを言って、元来た道を歩いていきました。


 どうしたら良いんだろう?

 あの人に、また、ついていけば良いのかな?


 そんなことを考えていたら、わたしの手を取る誰かの手のひら。

 さっきの手とは違うな、なんて考えながら見ると、そこには頭巾を被った女の人がしゃがみこんでいて。


「……わたくしの言葉、わかる?」


 その女の人が話した『言葉』は。突然その言葉は、聞き慣れていた『言葉』で。


「……わかり、ます」

 びっくりして。とっさに出た声は少しかすれていました。


 でもその女の人も少し、びっくりしていて。

 まるで、物語の中にしかいない、妖怪ようせいさんを見た時のような。そんな顔をしていました。


「ヤポンを着ていたから、もしかして、と思ったけれど……」


 やぽん?

 なんだかわかりませんが、着ていた、ということは、この『着物』のこと、でしょうか。


「……バート……って、伝わらないわよね。えぇと……オフロ? に入れてあげるから、ついていらっしゃい」


 オフロ……お風呂?


「えっと、……はい」

 頭巾の女の人はわたしの手を取り、そのまま歩き始めたので、わたしもその通りに、足を動かしました。


 さっきからハテナばっかりが浮かんでいるんですけど、何が起こっているのでしょうか?

 訳が分かりませんけれど。


 ……今は、何も考えたくない。

 そんな気持ちも、ずっとありまして。


 。そんな時間が、むしろとてもうれしかったり、したんです。



 連れてこられたお風呂(ばーと、でしたっけ?)は、石でつくられた小さなお部屋で。お部屋のまんなかには大きなおけが置いてあって、そこにお湯がためられていました。


 お湯で温められた布で顔をぐいぐいと拭かれると、そのまま着物(やぽんって、言った方が良いんでしょうか)を脱がされました。

 そして髪とか身体とか。ゴシゴシとこすられ、お湯をかけられ。されるがままにしていたら、なんだかスッキリとして。


「うん、キレイキレイ」

 そう言って、女の人は笑顔を浮かべてくれたのです。


 その笑顔を見ていたら。

 うれしいって気持ちと。

 ……なぜだか、涙が出てきて。


 ぽろ、ぽろ……。

「ぇ……う、うぇ…………っ」

 一回涙が出始めたら、止まらなくなって。


 お母さんが死んだこと。

 お父さんを傷つけたこと。

 もう二人に会えないんだって、よく分からないけど分かってしまったこと。


 ここは何処なんだろう。

 わたしは何をしているんだろう。

 いっぱいいっぱい、色んなことが、頭の中をぐるぐると回って。


「う、あぁぁぁぁぁぁぁ……っ!」

 大きな声を上げて、泣いてしまいました。


 身体が、顔が、熱くって。

 何かが込み上げてきて、そのまま吐き出した気がします。


 もうよく分からなくなっていたけれど。

 ふいに。ぽん、ぽん、と。背中を優しく叩かれていることに気付いて。

 わたしが、抱きしめられているとこにも気付いて。

 熱いのに。温かくって。

 悲しいのに。なんだか、落ち着くんです。


「ひっく……うぅ……」

「……よしよし。大丈夫、大丈夫よ」

「う……、うぁぁぁん!」

「良い子、良い子」


 泣きわめいたり、吐き出したり。

 泣き止んだかと思ったら、また泣き出して。

 何度もそれを繰り返しましたが、その間中ずっと、女の人はわたしを抱きしめてくれていました。


 そうして抱きとめられたまま、泣くのに疲れたのか。涙の代わりに、しゃっくりみたいに、ひっくひっくと繰り返していましたが。ずぅっと背中をなでたりぽんぽんとしてくれていたことが、落ち着いてきたら、なんだかとっても申し訳なくなってきて。


「ゴメンなさい……」

 ぐじゅぐじゅと、鼻水をすすりながら謝るわたしに。


「謝ることは無いわ」

「でも、お姉さんの服も、汚しちゃって……」

「良いのよ、そんなことは。……今は思いっ切り、泣いたらいいの」


 女の人はそれでも優しくて。

 布切れを差し出してくれたから、力いっぱい鼻水をかんだら、とてもスッキリして。


「ありがとう、ございます、お姉さん……」

 お礼を言いながら、頭をぺこり。

 顔を上げたら、女の人は優しく微笑んで。


「お姉さん、じゃなくて」人差し指でわたしのおでこをつん、とつつきながら。「わたくしは、ヒルベルタって言うの」


 そうしたら、満面の笑顔でわたしの手を取って続けます。

「貴女のお名前は、なんて言うのかしら?」


 名前……。

 ちょっとだけ、ぽかんとしてしまいましたけれど。

 耳に、頭に、残っていたのは。わたしを呼ぶ、優しい声。

 そうだ、わたしは――。


「みれん、です」

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