#02-2 けれどこれは救いであると信じたいのです

 

 わたしの尋ねに、少女は小さく、エミィと、自身の名前を口にしました。


「エミィ……良い名ですね」

 努めて優しく。笑顔を返しました。

 マリーほどではありませんが、優しい笑顔には自信があります。


 ですがその笑顔に対するリアクションは特に無くて。返されたのは、震える様な弱々しい声。


「お母さんが……付けてくれたんです……」


 ぽつり、と言葉を発したと思ったのもつか

 大粒の涙がこぼれるとともに、嗚咽おえつ交じりの慟哭どうこくが吐き出されます。抑えきれずにあふれてしまったのでしょう。


 たまらず、小窓から大きく身を乗り出し、彼女を抱きしめてしまいました。

 この時わたしが取った行動は、おそらく本来はご法度はっとなのだとはわかっています。わかってはいますが……無理ですよ、こんな状況で、手を差し伸べないなんて……。


「ぅ……! えぇぇぇ……!」

 せきを切ったように溢れ出る感情に。彼女の頭を優しく抱きしめ、その背中をぽんぽんと、優しく叩きます。

 正直なところ、幼い子をあやすなんて初めての経験なのですけれど。

 ぼんやりと覚えている、わたしが泣いていた時にしてもらったこと、を記憶から引っ張り出して実践している、という感じです。


 ……でも、全然、泣き止みません、ね……。


(あ、あれ……? 間違ってます……?)

 とか不安になっていたのですが、少しすると泣き声は小さくなり、体の震えは落ち着き、小さくしゃくりあげるだけに変わっていきました。


(よ、良かった……)

 本心はドキドキなのですが、それを頑張って隠し通し。

 ゆっくりと顔を上げさせると、握っていたハンカチザックドゥークで、その涙をぬぐってあげました。


「落ち着きましたか?」

「え……あ、はい……、その……ごめんなさい……」


 妙にしおらしいのは、見知らぬ人の前で突然泣き出してしまったことを恥ずかしがっているのか、それとも本人の資質なのかはわかりませんが。

 一先ひとまずは、最初に口火を切ったときのような興奮状態からは落ち着いてくれた、という良い方向に考えようと思います。


「それではエミィ。改めて」

 改めて、微笑みひとつ。

 そっと両手を伸ばし、エミィの手のひらを握りしめます。

 一瞬、ビクッと彼女の全身が震えますが、すぐに止まり、じっと、視線。

「詳しいお話を、聞かせてもらえますか?」

「……はい」

 


「みんなで、畑や豚の世話をする。わたしが住んでいたのは、そんな村、です。村の名前……ですか? ……わかりません。わたしたちは、ただ、村としか呼んだことがないんです」


 普通に暮らしていれば、自身が住まう村の名前など、考える必要も無いものです。

 名前というものは、それを外部から見た時、に必要となるものですから、これは当然の反応と言えます。


 ですがそもそも、おそらくはまともな教育を受けたことがないのでしょう。学ぶことが出来るほど余裕が無い、ということも勿論あるのでしょうが、農村では、学をつけることよりも手に技術を身に着けることが優先されがちです。

 

 エミィが言う村とは、おそらくは修道院から南方にいくつか点在している、帝国領土内の農村のひとつ、でしょうか。

 思い返せば、アニタの育った村も、この辺りの農村だったのかなとか。

 ……いえ、それは今は、関係の無い話ですね。


 国境を挟んでいるとはいえ、近隣の村。この修道院とも交流がある村もありますので、そのいずれかだったのでしょう。

 少なくとも、外部からの情報が極端に少ない農村において、ここに修道院があることを村民が知っている、程度には交流があったものと思われます。


 そこで父と母、エミィと二人の弟妹ていまいの、あわせて五人で暮らしていた、ということです。


「お父さんは……気に入らないことがあると、すぐにわたしたちを、お母さんを殴ってきました」


 お父様はあまり人の良い方ではなかった……いえはっきりと、下衆げすと評するべき人物なのでしょう。


 対するお母様は気が強い方ではなく、何事かあれば一方的にお父様がお母様に手を上げることも多くあったようで、更にその暴力が子供たちにも向けられることも度々あった、と。

 やがてエスカレートした暴力は、遂にお母様の命を奪い。……そして、子供たちにも。


 エミィは詳しく語りませんでしたが、どうもお父様はお母様を殺めた後、エミィを組み伏せ手籠てごめにしようとしたようです。そしてそれを止めようと立ち向かった弟妹達は返り討ちにあい。けれどその時にできた隙をついて彼女は逃げおおせた……。


「逃げながら、村から川伝いに下っていった先に修道院がある、そうみんなが言っていたことを思い出して」

 

 これも言葉をにごしていましたが、村民は、彼女は、知っていたのでしょう。

 ここが修道院であることを。

 『赤い噂』の絶えない修道院であることを。

 そうしてわずかな希望をいだいてここまで辿たどり着いた……。


 

 話しながら、エミィはまたしゃくりあげるように泣いていました。そして今も、うつむくように泣いています。


 辛いことを口にさせてしまいました。

 もう一度、ハンカチでその涙をぬぐい。「エミィ」と名前を呼ぶと。

 くしゃりとした表情ではありますが。顔を上げ、真っ直ぐな瞳でわたしを見てきます。


 ぐっと。手を握る力が強くなったのは、わたしだったのか、彼女だったのか。


「神は力無き者が何もできなかったからと、罪をお与えにはなりません。そして罪のない者が、回心する悔い改める必要など、ないのです」


 弱い者は搾取さくしゅされ、しいたげられ、その理不尽を一身に背負うことになります。

「ですが」これから話される内容は。「あなたが今抱いている懺悔ねがいはきっと、本来であれば罪を問われる内容になるでしょう。その罪は背負わなければなりません。けれどそれを覚悟の上で、この修道院に訪れたのだとは思います」


 これは真っ当な救いではないのかも知れません。

「……それでもこれは確認です。あなたの口から、お聞かせください」

 けれど。


「……はい」

 少女は小さく頷きました。

「お父さんを……」口にし、俯く。やがて顔を再び上げて、エミィは願いをつむぎます。


「あの人を、殺してほしい」


 けれど、これは確かに救いであると信じたいのです。

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