第25話 傀儡人形

——二〇時一八分、テント内にて


「皆さん、外に出てください」


 静かだったテント内にマロンの叫び声が響く。ローズとジェイミーはすぐに外に出てきて、奥で寝かしているメジロさんをマロンとノアの二人が肩を貸す。


「なに、あれ……」


 ローズが崖を見て口を半開きにしたまま、その場で固まった。ジェイミーもローズの様子を見て、崖の方を見てみるが、同じように呆気に取られている。


「急に崖の方から現れたんです」


 そこには黒い液体が崖を流れ落ちているのを見て、その場にいる全員が困惑した。


「とにかく、あれは危険なものに間違いないです。あっちの方へ逃げましょう」


 黒い液体とは逆の方向を指したノアがすぐに全員を走らせる。液体は辺りのものを全て巻き込みながら崖を流れてきているため、速度もかなり速い。


「マロンとノア! そっちはダメだ!」


 全速力で走っている四人の後ろからそんな叫び声が聞こえてきた。その声は泥と並走していたグレイだった。


「間に合ってよかった。そっちに逃げてもあれはどこまでも来る。逃げるならあの崖の上だ」


「でもあそこから液体が流れているんですよ」


 一度立ち止まり、ノアが崖の方を指さして言う。


「とにかく、そっちの方が何倍も安全だ」


「……わかりました。グレイ様について行ってください!」


 ノアは少し顔を顰めて、一瞬悩んだがすぐに決断をした。先ほどグレイがメランダと戦っていた場所へとひたすらに走り続ける。


「んなっ……」


 坂を登りきった時、その光景を見て一番驚いたのはグレイだった。たどり着いた場所は確かに黒い液体には侵食されていない安全に見える場所だ。だが見るべき場所はそこではない。液体に侵食されていない場所の奥には上へと続く階段が形成されていたのだ。階段の先には黒い液体の液だまりが見える。明らかにグレイを誘っているような、そんな形をしていた。


「俺、行かないと駄目みたいだ」


 そう言った時、黒い液だまりから飛ばされた黒い塊がベチャッ、と生々しい音を立てて地面に落下した。やがて地面に落ちた泥はみるみる変形して、最後には人型に変化した。


「理由は分かりませんけどグレイ様は行ってください! ここは私たちで食い止めます!」


 どこからか引っ張り出してきた剣を片手にマロンがそう叫ぶ。他の三人もグレイの方を見て頷く。


「……っ、すまない」


 グレイはうつむきながらポツリと言い残し、液体で形成された階段をテンポ良く登っていった。階段は思っていた何倍もしっかりとしていて、とても液体で出来ているとは思えなかった。登っている最中に何回も黒い液体がベチャッ、と落ちてきたがグレイは全てを無視した。一番上には何かがあるかも知れない。いや何かがあると信じているからだ。


「あそこで終わりか」


 グレイの目にはようやく階段の終わりが映る。階段を登り切った先、そこは大きな広間になっていた。天井は黒い液体が綺麗に球体を作り、光は入っていないはずなのに広間はなぜか明るい。真ん中に置いてある台座の前に立っていたメランダが向きを変えずに喋りだす。


「死ぬ覚悟がようやく出来たのか」


 重低音の声がその空間全体に響く。


「素晴らしいだろう、この力は。最もウィリアムは力を抑えきれずに暴走してしまったようだが」


 暴走? まさか、あの紫色の液体はウィリアムがあんな怪物になったのと同じなのか?


「ならお前は何で暴走しないんだ?」


「ウィリアムと私たち四人は違うんだよ。

しかも、こいつもいる」


 体の下半身が床にめり込んでいるメランダが、にゅるっと方向を変えてこちらを見た。


「フィオナ!」


 クレーンゲームのように黒い手の形をした液体がフィオナの頭を鷲掴みにする。ぷらーんと下半身が自然と揺れるフィオナをメランダは不気味な笑みを浮かべながらグレイに見せつけた。


「人間の生き血は養分になるんだ。覚えておけ」


「やめろ!」


 右手の大きく伸びた爪を立てたメランダは、それを後ろに引いた。

グチュ、と嫌な音が聞こえた。


「ふぅん、生き血は自分を抑えるのにやはり適切だな」


 ゆっくりとフィオナを台の上に戻しながら、自分の爪に付着した血をぺろりと舐めて言った。その瞬間、グレイは喪失感と憎悪に駆り立てられメランダに剣一本で突っ込んだ。


「うあああぁぁぁぁ!!!!!!」


 隙だらけの格好でグレイはメランダに斬りかかったが、そんな生半可な剣技で戦えるはずもなく。


「先が見えるな」


 グレイが振り下ろした剣はひょいと避けられ顔に一発、腹に二発の拳を食らった。瞬く間にで十メートルほど後ろまで吹き飛ばされ、壁に激突してようやく止まる。


「兄としてどうだ? 実の妹を失う気持ちは。ハハッ、アハハハハハハハハ!!」


「うる……いちいち、やかましいんだよクソ野郎がッ! さっさとくたばれよ!」


 再度剣を手に取ったグレイは、思う存分叫んだ後に並行斬撃を出す体勢をとる。攻撃を出すことが出来ると踏みこみ、すぐにメランダに向けて斬撃を繰り出す。


「頭を冷やしたから少しは戦略が出来たようだな。それでも私は倒せないがなっ!」


 メランダは自分の長く伸びた爪を立てて、グレイの斬撃を片手間に受け流した。またしても攻撃後の硬直で動けなくなり、完全に隙を見せたグレイをメランダは捉える。グレイは単調に死んだ、と心の中で思った。メランダの長く伸びた爪でフィオナのように腹を貫かれる。自分の死を覚悟して全てを諦めたその時のこと。グレイの体は垂直に地面に落ちた。


「それは面白くない話だ。必死に戦っての死ならば私は認める。が、自ら諦めて死ぬのは好かない。それならば自分で自分の首でも斬ればいい」


 ガンッと頭に一回、気を失うほどの強い衝撃を一発。壁にぶつかり背中を打ちつけて、体が痙攣し呼吸が出来なくなった時に腹に一発。その後、ぐったりと地面に倒れ込むグレイの腰に一発。合計三発の拳骨を頭に喰らい、グレイはまるで生まれたての動物のように立とうとしても地面に滑る。何度も何度も立とうとしても立つことが出来ない。全身の至る所はズキズキと痛み、体から流れ出る血の量も尋常ではなかった。そんなボロボロになったグレイをメランダは頭から鷲掴みにする。


「もういい。お前は何も出来ずに死んでいく無能な兄だったんだな」


 フィオナを串刺しにした時のようにメランダは右手を後ろに引いた。自分もフィオナと同じように死ぬのかと覚悟を決め目を閉じる。


「グレイッ!」


 メジロさんの大きな声で再び目を開けた。剣を片手に持ったメジロさんはグレイの体を捕まえているメランダの左腕を剣で斬り落とす。力の作用点を失ったメランダの左腕はぼとりと生々しい音と共にグレイも地面に落ちる。


「グレイ、大丈夫?」


 メジロさんは剣を床に落とし、グレイの元へと駆け寄った。

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