十一、答弁
麗殊は翌日の早朝、再び黄瑞殿を訪れていた。
太陽を夏雲が遮っているため、昨日の鋭い日差しが和らいでいる。空気が微かに湿っており、夕立を予感させる空模様だ。
昨夜は惚けた頭のまま下嬪宮に帰り、せっかくの夕餉を残したまま、気絶するようにして眠ってしまった。幻食の儀式を行った日の夜はこうなることが多い。肉体疲労と心労が重ねて襲ってくるのである。
加えて、儀式後はしばらくの間、筋肉痛のような名残が生じる。そのため、幻食の儀式は最高でも月に三回が限度だ。
「
ぼんやりしていると、近くから名を呼ばれる。俯きかけていた頭をハッと持ち上げると、知らぬ間に孟飛が目の前に立っていた。相変わらず、足音が静かすぎる。
「孟飛様、こんにちは」
「中へどうぞ。主上が待ちきれないご様子で」
「ありがとうございます」
黄瑞殿の正殿に立ち入るのはこれが二度目だ。
今回は帳が降ろされておらず、中に立ち入った途端に、「待っておったぞ」と玉座の上の朧鳴帝から声をかけられた。玉座から少し離れた場所に、朔も控えている。
麗殊は拝舞して形式通りの挨拶を述べ、「問いの答えですが……」と、さっそく本題に入る。朧鳴帝は眉ひとつ動かさず、ただ琥珀色をした瞳を麗殊に向ける。
これまでの調査で知り得た謎を解く鍵──儀式で見た数々の記憶、竹妃の房室に隠されていた文、鎖徹と陶鼓の自白──を改めて繋ぎ合わせ、麗殊は朧鳴帝に奏す。
「竹妃様が命を絶たれたのは、密通と不義の子を宿した罪悪感、鎖徹への失望……悪阻で精神的に参っていたこともひとつの要因だろうと考えます」
麗殊はそこで言葉を区切り、軽く息をつく。そして、声色を僅かに変えて話し始めた。
「ですが、今まで述べたのはあくまで私の見解に過ぎません。甜氏の力で記憶を見ることができたとしても、死者本人の心が全てわかるわけではありません。……そのことを、承知していただきたいのです」
死人に口なしという言葉がある通り、全て麗殊の推測でしかない。一見腑に落ちる解釈を得たとしても、真実は竹妃本人以外、誰も分からないのである。
そこまで言い終えると、朧鳴帝はようやく口を開いた。麗殊の答えに驚いた様子もなく、ただ冷静に言葉を返す。
「──それは分かっておる。それでも知りたいと言ったのは朕の好奇心だ。そなたの答えは納得できるものであった。これで、心置きなく竹妃を弔うことができよう」
麗殊が答えの中で、"密通"、"不義の子"などと許されざる罪を提示したにも関わらず、朧鳴帝はそのことに一切触れない。
──あまりにも平然としすぎているわ。この御方はやはり……。
麗殊は、この問いを探る過程で感じていた疑念に確信を得る。しかし、主上、と切り出す前に、朧鳴帝の方がこちらの名を呼んだ。
「充媛、この件は決して口外しないように。竹妃の死は病による心労とし、調査に関わった者には箝口令を出す」
「御意に」
強い戒めに、麗殊はほとんど反射的に膝を折って拱手する。
元より、他者に告げるつもりはない。陶鼓が後を着けてこなければ、彼女にさえ話すつもりはなかった。
「鎖徹と陶鼓はどうするのですか」
「朔に任せる」
朧鳴帝が視線を向けると、朔はすぐさま「御意」と頭を垂れた。
処罰を任せるなど、信頼を傾けすぎではないか……とは思うが、麗殊が口を挟めるところではない。朔がどのような処罰を与えるかは分からないが、陶鼓はともかく、鎖徹には重刑がくだるかもしれない。
「全て甜氏の力か。そなたたちの前では、死者でさえ餌となるとは」
「私が持つ力は"幻食"といい、食事行為を介して、他者の記憶を見ることができます」
「ふむ……この世には様々な異能を持つ族がいるが、食で記憶を読むとはまた珍しい。朔によると、儀式はまるで呪術のようだったと。どうやら、そなたの力は本物らしいな」
「呪術……そうかもしれません。たしかに、我々の力は稀なるものといえます。食は人の心を知る術として最適といえるでしょうに、そのことに気づかない者も多いのです」
「自信があるのだな」
食はただ単に唇や舌、喉を使って行うものではない。その身全ての神経を使うことで、その行為が真に食となる。
そして、そのときに感じるものは、個々人で異なる。この差異を埋め、限りなく個人に近づくことができるのが甜氏の女だ。
甜氏は人間を喰らう……見方を変えれば、その評は的を射ているのかもしれない。
「ひとつ、私からもよろしいでしょうか」
控えめに挙手をした麗殊に、朧鳴帝は「言ってみよ」と促す。
「本当は最初から、真相が分かっていたのではないですか」
麗殊は朧鳴帝を、そして、朔を上目に見据える。
すると、二人は呼応するようにして同時に片眉をぴくりと動かした。
おそらく、朔は竹妃の妊娠に気づいていた。
彼は竹妃の遺体を見たと言っていたから、簡易的であれど検視も行ったはずだ。
皇帝直属の太医ともなると、懐妊による身体的な異変には気がつくはず。朔はその結果を朧鳴帝に報告しないはずがない。
「ふっ、生意気だな」
朧鳴帝は乾いた笑みを零して、脚を組み直した。
そして、鋭い視線で麗殊を突き刺す。
「そなたの読み通り、朕は竹妃と鎖徹の関係を把握していた。それは、竹妃が懐妊する前からな。二年も伴侶として過ごしているのだから、様子のおかしいことくらい分かる」
知らず知らずのうちに、麗殊は固唾を飲み込んでいた。手に汗を握り、脈が速くなってるのを感じる。
朧鳴帝は全てを知っていたという己の推測は正しかったのに、眼前の君主に対する得体の知れなさが拭えない。いや、正しかったからこそ、虞を感じているのだ。
「朕が臣下に求めるものの一つは"信頼"だ。朕は彼らを信頼していたからこそ離宮へやったが……実に残念だ」
朧鳴帝は憂いげに目線を下に落とした。
表情がうかがえないので、その言葉が本心かは分からないが、朧鳴帝はたしかに、竹妃を愛していたのだと思う。
竹妃様の房室にあった温石──皇帝の権威を示す鳳凰の彫刻が成されたあれは、竹妃の持病ではなく、腹の子を労わってのことだろう。
眼前の君主の心情に思いを馳せていると、朧鳴帝が「だが、」と言葉を続ける。
「鎖徹が竹枢宮の侍女とも関わりを持っていたとは知らなかった。そなたは朕の知らない真実も暴いてくれた。期待通りの働きだ」
どこか嬉々とした様子で話す朧鳴帝に、麗殊は恐る恐る尋ねる。
「……懐妊のことを知っていたのに、どうして、私たち九賓に謎を解かせようとしたのですか」
すると、朧鳴帝はこちらの問いに答えるでなく、声色を変えて話し始めた。
「──先々代の頃、朕の祖父が玉座にいた時代だ。後宮にどんな謎でも解いてしまう変わった妃がいた。彼女はある特殊な儀式を通して、他者の記憶を見ることができるという。たとえ、死者であっても」
──……椿妃様のことだわ。
幾度も伝え聞いた自分と同じ甜氏の妃のことを思い出し、麗殊は心の中で呟く。
「甜麗殊、朕が九嬪に問いを与えた目的は、そなただ。地位という報酬があれば、食いつくだろうと思ってな」
「全て、私の力量を測るためだったのですか?」
「ほう、よく分かっているではないか。甜氏の娘が入宮したのだから、素晴らしい力を借りなければ勿体ない。そろそろ程度が知りたいところだと思っていたのだ」
麗殊は朧鳴帝の話を聞いて、腑に落ちる。
あの不可解な招集と竹妃問いは、やはり、麗殊の力を値踏みするためのものだったのだ。
「朕の手足となるならば、甜氏が犯した過去の罪を赦し、そなたの栄華を保証しよう。そなたがここに来た目的は、甜氏の名誉挽回だろう?」
「……主上こそ、よくお分かりで。私は椿妃様の無実を晴らすために参りました」
麗殊は観念して、己の目的を告白する。この男には全て見透かされているのだろう。
朧鳴帝は見定めるような視線を麗殊に向ける。
「有能な寵妃が起こした凄惨な殺人……二十二年も前に起きた事件の結果を、どうやって覆すのだ」
「彼女に濡れ衣を着せた者はもう居なくとも、真実を知る者はまだ生きているはずです。その者の記憶を暴き、真相を明らかにします」
「そんなことが可能だというのか」
「はい、やってみせます」
きっぱりと言い切り、力強く頷くと、朧鳴帝は「ほう」と、眉を持ち上げた。
「やはり甜氏の力は、我々常人には理解し難いものだ」
自らを"常人"と称す朧鳴帝に、麗殊は「ご謙遜を……」と声には出さず、口の中で呟く。
この男こそ、こちらから見たら理解し難い存在だ。帝位に着く存在ともなれば、ある程度変わり者でなければいけないのかもしれない。
朧鳴帝は「よし、」と言って、目の前の文卓に紙を広げる。筆を取り、墨で何事かを綴り始めた。
やがて、手を止めて、髪を両手で広げる。
「約束通り、そなたを四夫人の位へ冊封する。妃に相応しい才覚を持っていることを証明できたからな。……そなたの号は
「感謝いたします」
麗殊は膝を着いてひれ伏す。
どうやら、朧鳴帝が書き綴ったのは冊封の令状だったらしい。
──桃妃って、少し気恥しいわね。
初対面時に、朧鳴帝から投げかけられた『桃でも食ったのか?』という言葉が、思い出される。
愛する桃の名を頂けるのは光栄であるが、その反面、揶揄われているような気もする。
「面を上げよ」
朧鳴帝に促され、麗殊は上体を起こした。
「朕が臣下に求めるうちの一つは信頼と言ったが、もう一つは才だ。愛ではない。美の才、知の才、多様な才が欲しい。つまらん女はいらぬ」
「才、ですか」
麗殊が瞠目しながら反復すると、朧鳴帝は「そうだ」と首肯する。
「そなたは朕に対して情など抱いていないだろう? それでいい。寵愛を得たくば、愛より才を示せ」
「御意」
蛇のような琥珀の瞳に見つめられ、麗殊は大人しく拱手して膝を折った。
愛より才。皇帝が妃に対して告げるには、なかなかに穿った言葉である。しかし、麗殊にとっては好都合だ。才を示しさえすれば、成り上がれるというのだから。
「力を貸すというのは、私はいったい何をすればよいのですか?」
「朕の命令に従うこと、ただそれだけだ。そなたには、幻食の力を活かして宮中の事件に対処してもらいたい」
「なるほど、分かりました」
簡潔なその答えに、麗殊はこくりと頷く。どんな命令が下るのかは未知だが、己のやるべきことが明確なのは有難い。
「今後、朔は桃妃に預ける。これはそなたに興味があるみたいだから良くしてやれ。自由に使っていいぞ」
「な……」
麗殊がぎょっとする一方、朔は一歩踏み出してにやりと笑う。
「相棒として、これからもよろしく」
なにを考えているのか分からないその笑みは、麗殊には不気味に映る。
琥珀の瞳にずっと見つめられているのが落ち着かなくて、麗殊はさっと目を逸らす。
そして、いつから相棒に……と突っ込むのはやめて、控えめに頷いた。皇帝の命令なのだから、文句はいえない。
朧鳴帝はこれから政務のため外朝へ行かねばならないからと、麗殊は追い出されるようにして黄瑞殿の外へ出た。昨日は急な凶事のために一日休廷にしていたので、今日は中々忙しそうだ。
そして、なぜか朔も共に出てきたので、二人並んで門の前に佇んでいる。
──厄介な人に目を付けられたかもしれないわ……。まあ、監視役なんだろうけれど。
どうしたらいいか分からず互いに無言のまま突っ立っていると、朔が唐突に尋ねてくる。
「ねえ、褒美はなにが欲しい? 主上は俺が決めろって言うんだ」
「褒美? 四夫人の位では」
「そう、あなたはめでたく四夫人に冊封されたから、その褒美としての下賜品はなにがいい? ってこと」
「下賜品……」
まさかこんなに早く四夫人の恩恵を受けられるなんて。今こそ、欲を満たす好機だ。
「その、桃を賜りたく……」
麗殊はもじもじと恥じ入りながら告げる。昨日、最後の一つを食べ切ってから、ずっと欲しくて堪らなかったのだ。
すると、朔は目を丸くして僅かに首を傾げた。
「桃? 金や宝玉じゃなくていいの」
「ええ。ほんのり甘い、極上の桃が欲しいのです」
「そんなに桃が欲しいの?」
「はい……」
消え入りそうな声で返事をする麗殊に、朔は目を細める。
「了解。数日以内に極上の桃を用意するね」
そして、ひらひらと手を振って、黄瑞門の方へ去っていった。
これから太医署に戻るのだろうか。預けると言われたが、朔は宦官ではないため、流石に麗殊の宮に留まるわけではないようだ。
一方、取り残された麗殊は、"極上の桃"という甘美な響きに心を奪われてしばらく動けず、その場から立ち去ったのはそれから数分後のことであった。
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