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 石窯を使うのは初めてだったから、ユーグに火加減の調整をしてもらっても、やや焼き過ぎてしまった。

 だが思っていたよりは上手くできた。久しぶりに作ったパイは、小さい頃から食べていたものと同じ、甘くて蕩ける匂いがした。


「さあアイ、できたよ。んん、美味しそう!」

「何それ、コトコ。いいにおいする」

「でしょ。特製のアップルパイだよ」

「あっぷるぱい?」


 机代わりの丸太へ運び、丸いパイを放射線状にいくつか切り分ける。そのうちの一番美味しそうな部分の三角形を、木皿に移しアイの前に置いた。


「はいどうぞ。食べていいよ」

「……いただきます」


 食事前に両手を合わせるこの仕草は、教えたわけではなかったが、琴子を見ていつからか真似るようになった。律儀に食材への感謝の意を唱えたあと、アイは恐る恐るアップルパイを手に取った。

 一口齧る。それからもう一口。

 見る見る、アイの瞳の色がいつもの緑色から変わっていく。


「……おいしい!」

「本当? 美味しくできてる?」

「うん、すごくおいしい!」


 アイの瞳は鮮やかな橙色に変わっていた。これは楽しいときや、興奮したときの色であることを、琴子はすでに知っていた。

 アイは夢中でパイを頬張って、あっという間に切り分けたひとかけらを平らげてしまった。

 だが目線は余っている残りの分に向いている。琴子は黙ってもうひとかけらをアイの皿に乗せた。するとアイは途端に表情を崩し、それもあっという間に食べてしまった。

 普段は心配になるくらい食べない子だ。少しずつ量を摂るようにはなってきたが、いまだにバナナもどき二本で満腹になってしまうほど。だから、これほど食べてくれることに驚いた。そして嬉しかった。


 アイがアップルパイを気に入ってくれてよかった。アップルパイは、琴子にとっても、特別なお菓子であったのだ。

 子どもの頃、たまに遊びに行く祖母の家で、琴子はいろんなお菓子を食べた。

 料理が得意だった祖母が、腕を振るって様々なものを作ってくれたからだ。ロールケーキ、苺大福、スイートポテトや巨大なエクレア。

 甘いものが大好物だった琴子は、その全部を美味しく食べていたけれど、その中でとりわけ好きだったのが、りんごをいくつも使って作る祖母秘伝のアップルパイだった。

 祖母の作るパイはとびきり甘い匂いがして、だが食べると甘いだけではなく、ほどよくりんごの酸味も効いていた。齧ったときの食感や音に気持ちが高揚し、食べるほど、腹と共に胸もいっぱいになっていく。

 きっと幸福というものを具現化したらこれになるのだろうと、子どもの頃の琴子は本気で思っていた。


 それほど大好きだったから、自分でも作りたいと思った。琴子は祖母に学び、数えきれないほどアップルパイ作りを練習した。その甲斐あって、いつしか琴子も美味しいパイを作れるようになった。

 だが、祖母の作る味にはまだ敵わないし、ずっと追いつけないのだろうと思っている。味だけではなく、あのときの「幸せだ」という気持ちや、祖母のくれた愛情まで含めて、祖母のアップルパイの味として記憶に根付いてしまっているからだろう。

 だから琴子にはいつまで経っても祖母のアップルパイ以上のものは作れない。

 その代わりに。


「どう、アイ。アップルパイ好きになった?」

「うん、大好き!」

「そっか。じゃあまた作るね。いつでも作ってあげる。これなら、材料はどうにかなるから」

「ほんとに? うれしい」


 こうして満面で笑ってくれる、今のアイの記憶の中で、このアップルパイが最高に美味しいものであってほしい。

 美味しさも、嬉しさも、あたたかさも大切にしまわれて、いつかアイが大人になっても、幸せな思い出として覚えていてくれたらいい。

 これまでの思い出は、寂しくて悲しいものが多かったかもしれない。

 それでも自分は確かに愛されていたと、大人になったアイが思えるように。

 この日のこの味を覚えていてくれたらいいと、琴子は思った。

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