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 やがて、琴子の胃袋が限界に近付いてきた頃――空腹はなくとも満腹はわかるらしい――ユーグが戻って来た。


「アイとコトコの背丈に合いそうなものを持って来たぞ」


 緑の毛玉から伸びた長い手が、畳まれた布地を抱えていた。受け取って広げてみたところで、琴子は思わず声を上げた。


「ふ、普通の服だ!」


 民族衣装を思わせる独特な模様の刺繍が施された麻の衣服が、大小の大きさで二着。服を洗濯している間に体を覆えるどころか、この森での暮らしであれば日常生活で着られるほど、まっとうな服だった。


「当然だ。服が欲しいとコトコが言ったのではないか」

「いや、言ったけど。まさか本当に服を持ってきてくれるとは思わなかったから」

「頼んだほうが驚くとは」

「……これ、あんたの私物じゃないよね?」

「我はそのような布は纏わぬ。コトコの願いのため、他の魔物より借りてきた」

「服着る魔物もいるんだ」

「いるにはいるが、それは人の服だ。人の町より拝借してきた」

「へえ」


 そうか。と納得しかけたところで眉を寄せる。


「……人の町?」

「ああ。この森の魔物には、衣服を纏うものがおらんのでな」

「いや、魔物と人は仲が悪いんじゃないの? それなのに、普通に入れちゃうの?」

「見つからないために姿隠しの術を使えば、だがな。だから術を使えるものでなければ入れはしないが。我も時々、人の住まう場所へ行っている」


 王の住まう都であれば、魔導師による強力な魔除けの結界があり入れはしない。

 だが<深夜の森>に近い国境の町を守護しているのは魔力のほとんどない軍の兵士であるため、姿を隠せば人は魔物の気配には気づかない。そのため、ユーグや森に棲む一部の魔物は、決して人に見つからないようにしたうえで、度々町へと足を運んでいるのだという。


「それでこうやって、物を盗んでるってこと?」

「盗んでいるのではない。拝借だ」

「でも服を着ないなら拝借したって意味ないじゃん。なんのために持ってきたの」

「探求の為にだ。我らは、人の生き方や使う道具、書物などに興味がある」


 ユーグは、伸ばしていた手で果物の乗った葉を掴むと、ぐわりと大きく口を開けた。

 毛むくじゃらから突如現れた真っ赤な口に「ひっ」と声を上げる琴子に構わず、残った果物を皿代わりの葉ごと口の中に流し込む。咀嚼するたび、丸い体の全体が揺れていた。


「でもユーグは、人間のこと嫌いなんじゃないの?」

「一部の者の行為の愚かさを嘆きはする。だが人そのものの文化というものには面白味を感じるのだ」

「ふうん……人間は、魔物のことをやっつけようとするのに」

「だから姿は見せられぬ。人には知られぬよう、人を知るのだ」


 その大して大きくない体の一体どこに入ったのか、咀嚼したものを飲み込むユーグを眺めながら、教えてもらった、この森の魔物たちのことを思い出す。

 知識欲を満たすことが、彼らの生において最も重要なことであるのだと。

 人間と魔物はまったく違った生き物である。互いが互いに理解の薄いままで、相容れることなく生きている。

 ユーグは、人間のことを知ろうとするが、関わろうとはしない。人間は、魔物のことを知らないまま、ただ恐れ遠ざけ、排しようとする。


「なんだか面倒くさいね」


 何がだ、とユーグが訊ねた。なんでもない、と琴子は返した。

 傾げる首のない代わりに訝しげに目を細めるユーグの前で、誤魔化しがてらげっぷをしたら、ユーグはあからさまに嫌そうな顔をして少し遠くへ逃げた。

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