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「大丈夫だよ」


 小さな白い手に、擦り傷と土まみれの手を重ねた。ぴくりと震える指先を、できるだけ優しく握ってみる。

 琴子の手は、子どもの手と同じくらいに心許ない。

 困難には立ち向かえず、答えを探すこともできない。だが。


「大丈夫。わたしが来たよ。ここにいる」


 今の琴子に言える、たったひとつのことだった。


(わたしも怖い。これからどうしたらいいのかもわからない)


 けれど、確かなこともある。

 この森でお互いを探し、見つけ、そして今、ふたりでここにいること。


「……」


 子どもの渇いた唇がゆっくりと動いた。動いただけで、音は発さない。

 子どもは、一度唇を閉じると、ぎこちない動作で体を起こした。倒れかける体を支えると、丸い目が、琴子を見上げた。

 瞳は緑色に戻っていた。

 見間違いでも錯覚でもない。不思議なことだが、この子どもは、感情か何かで瞳の色が変わるようだった。


(この世界の人は、みんながそういう体質? それとも、この子だけが特別で……それが原因で、ここに縛り付けて置き去りにされたとか)


 在り得る話であった。自分たちと違うものを排斥するなどよくあることだ。宗教であったり人種であったり、大きなことから、些細なことまで。


「……っ」


 子どもが、二回大きく瞬きをした。長い前髪が顔にかかっていたが、その隙間から宝石のような緑の瞳が覗いていた。

 小さな唇が震え、浅く息が吸い込まれた。


「だい……じょう、ぶ」


 出た声は微かで、吸い込んだ息のほとんども吐き出せていなかった。

 でも子どもは確かに、「大丈夫」と、琴子の言葉を繰り返し、応えたのだ。


「……うん、大丈夫。もう大丈夫」


 わたしもきみも、きっと大丈夫。

 何も持たないひとりぼっち同士だけれど、お互いもうひとりではない。


「ねえ、きみ、行くところはある?」


 訊ねると、子どもは少し顔を歪めて、首を弱々しく横に振った。


「そう。わたしも無いんだ」


 ユーグは「王国」と言っていた。つまりこの世界にも人が社会性を持って暮らす場所があるということだ。

 だがそこは、この子どもに酷いことをし、魔物の住む森へ置き去りにした人間たちがいる場所でもある。そのような場所にこの子どもを帰すわけにはいかないし、琴子も向かう気はなかった。

 であれば、残す道はひとつしかない。


「よかったら、わたしとここで暮らさない?」


 子どもは、大きな目を何度か瞬かせ、琴子を見上げた。

 その瞳を見つめ返しながら、変なことを言ってしまったと、一瞬で後悔した。ほとんど何も考えずに口にしたことであり、自分でも驚いてしまった。

 できるわけがない。まだ自分を警戒しているはずのこの子どもと、何も持たず何も知らない状態で、魔物がいるようなこの森で暮らすだなんて。あまりに馬鹿げている。

 しかし、思いがけず、小さな頭が縦に頷いたのを見て、決心した。

 馬鹿げていてもやらなければ。生きなければ。


『今を生き、耐え忍ぶことだ』


 この場所で、この子とふたり。

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