裁断

 俺が眠っている間に、フィルは対象に蔓延った陰素いんそを取り除く方法を遂に見つけ出していた。

「ナラスの花弁。これを特定の素材と混ぜることによって任意の陰素いんそを打ち消す基となる。お前の場合はそれがディラエイの茎だった。さぁ、これを飲め」

試験用の器に注がれたそれは、紫色とも土色とも思えるような濁った見た目をしている。本当にこれで呪いが解けるのだろうか。いざ口に運ぼうとしても、命に影響が出ると思うと手が進まない。何より、自分がいなくなった後の兄さんの顔が浮かんでくる。すると躊躇っている俺を見てフィルが器を取り上げた。

「どうせ死んだらどうしようと思っているんだろう。見てろ」

何の迷いもなくフィルは薬を一口飲み込む。

「毒は入っていない。どれだけ時間をかけたと思っているんだ。お前の呪いが解けた時、兄の目的も果たされるんだ。ここでいきなりお前を殺しはしない。だから、飲め」


——頼む。飲んでくれ。


言葉と共に伝わる”気持ち”には、悪意や憎悪が一切混じっていない。多分、本当なんだろう。もしこれが俺を殺す為のものでも、その時はその時だ。甘んじて受け入れよう。

「疑ってすまなかった」

そう伝えて渡された液体を全て飲み干す。不思議と味はせず、水を飲んでいるような感覚だった。痛みや苦しみが襲ってくる気配もなく、毒は入っていないことが分かる。

「どうだ? 何か変わったか?」


——薬が効いてほしい。

——薬が効い……。

——くす……。

——……。


脳内の声が次第に薄れていく。それだけじゃない。兄さんの声も、存在しない人間の責め立てる声も。その全てが一気に消え去った。

「変わった。確実に」

「本当か! やった……やったぞ……!」

フィルの笑顔を見られたのは初めてだった。彼女はこんな風に笑うのか。俺がこの笑顔を奪ってしまったんだな。

「フィル。ありがとう」

そう告げてそのまま横に倒れる。抵抗なんてしない。無防備な状態のまま、殺してくれ。もう兄さんのことなんて考えない。そしてフィルは何かを取り出し側に寄ってきた。これで全て終わる。そう思った矢先。

「まだ終わってない」

身体に向かってくるのは刃ではなく、また別の液体だった。無理やり口に詰められ溺れそうになる。何が起きたのか理解出来ない。

「……っ!」

予期しないまま注がれた何かに咽せ返る。なんだこれは。毒薬か? 死ぬ直前まで苦しめということなのか?

「なんだ、何をしたんだ!」

動揺しながら思わず問いただす。

「……陰素いんそを含む素材とリオロスの生き血を交えた液体を取り込んだ生物は、他者に特定の作用を媒介させる。条件は直接触れること」

何を言っているんだ。全く理解ができない。それでも彼女は続ける。

「これから私はお前を殺す。だが、肉親を失った悲しみは計り知れないほど大きいんだ。弟が死んだ事を知ったら、きっと耐えきれないほど打ちのめされてしまうだろう」

その言葉で、彼女が何を言いたいのか察した。

「忘れさせろ、って言いたいのか」

「あぁ。とっとと行って、戻ってこい」


 家に戻っても、兄さんは眠っていた。当たり前か。まだ日は昇っていないんだ。楽しそうな夢を見ているといいな。

「……兄さん」

言葉が返ってくる訳もないのに一人でに話しかけてしまう。これから居なくなるのに勝手な独白が口から溢れる。

「ごめん、本当に、ごめんね。今まで、嘘しか吐いていなかった。俺はただの罪人なんだ。数えきれない程の命を奪って、金を稼いできた」

泣くつもりなんてなかったのに泣いてしまう。

「でもね、兄さんの病気が治って本当に良かった。これからは一人でも生きていけるんだ。俺がいなくても大丈夫だよ、きっと。素敵な神官になって、色んな人を導いてあげてね」

頬が涙に浸されていく。もうこれ以上言葉が出ない。でも、振り絞る。

「さよなら」

最後の想いを込めて、手を握った。触れた肌と肌の間が燃えるように熱を帯び始める。あの時俺が老人から受けた感覚と一緒だ。だが身体に異変を感じたんだろうか、兄さんは目を覚ましてしまった。そして怪訝そうな顔で俺に尋ねる。

「……誰ですか?」

良かった。成功したんだ。でも何も言葉を用意していない。

「通りがかりの者です。貴方は賊に襲われ、ずっと眠っていました」

咄嗟に吐いたこんな安っぽい嘘を信じてくれるんだろうか。でも、続けるしかない。

「そして、非常に申し上げにくいのですが……弟さんは貴方を庇い、そのまま帰らぬ人となりました」

「弟?」

「えぇ。でも、最後まで幸せそうでしたよ。『兄さんが生きてて良かった』と」

「そんな」

「それでは、お大事にして下さい」

「待って下さい! 待って……」

待てる訳もなく、その場を後にするしかなかった。


 歩き続けながら色んなことを思い返す。朧げな記憶の中、両親がいなくなったことを知った時のこと。こんな俺を立派に育てようと兄さんが無理をしようとしていたこと。兄さんが倒れ、俺が動くしかなくなったこと。そして、初めて人を殺した時のこと。その全てが責め立てるように脳裏に浮かび上がってくる。これから俺は死んで罪を償う。でも、それだけじゃ足りない。俺に殺された人々の家族だって今でも帰りを待っているのかもしれない。誰かに命を奪われたと知った人だっているだろう。フィル以外にも、俺を殺したくてしょうがないと思っているんだろう。今から俺が死んだって、その人たちの気が晴れることはない。それぐらい卑怯なことを今からしようとしている。なんて浅ましく、醜い人間だ。誰かの命を奪って誰かを生きながらえさせるなんて、その考え自体が烏滸がましかった。許してほしいなんて言わないから、もう二度と、こんなことが起きない事を願う。

「なんでこうなっちゃったんだろうな」

無意識に呟いた言葉は夜に消えていき、気付けばフィルの家の目の前に辿り着いていた。今度こそ本当に思い残すことはない。


躊躇うことなく戸を叩く。これが俺の鳴らす最期の音だった。

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重ねた罪に侵食の報いを 百舌野 @mozuno

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