第14話 泉と練習の日々
アリアが泉から顔を上げた時、頬には涙が伝っていた。それは悲しみの涙ではなく、大切な思い出の温かさに触れた時に自然と零れる、優しい涙だった。
「アリアさん…」
リリーが心配そうに近寄ってくる。しかしアリアは、穏やかな笑顔を浮かべていた。
「大丈夫よ。むしろ…すごく清々しい気持ち」
アリアの言葉に、マチルダは満足げに頷いた。
「次は私が!」
リリーが元気よく手を挙げ、泉に向かう。彼女が水面を覗き込むと、魔法の杖が反応するように光を放った。
映し出されたのは、リリーが初めて魔法を使えた日の光景。必死に練習を重ねる姿、そして魔法の光が初めて指先から溢れ出た瞬間の喜び。続いて、カフェでの日々―魔法を料理に活かすことを学び、誰かの笑顔のために使う喜びを知った時間が映し出される。
「私の魔法…こんなに成長していたんですね」
リリーの声には、感動と誇らしさが混ざっていた。
最後にエリオが泉を覗き込む。彼の思い出には、幼い頃から料理と向き合ってきた日々が映る。失敗を重ねながらも諦めなかった時間、そして「夢見のカフェ」で見つけた、自分の居場所。
三人が試練を終えると、泉の水面が虹色に輝き始めた。マチルダは静かに説明を始める。
「思い出というのは、時として私たちの心を縛ることもある。でも、本当に大切な思い出は、未来への力をくれるもの。あなたたち三人は、それを証明してくれたわ」
マチルダは革の本を開き、続きのページを見せた。そこには、特別な製法の最後の工程が記されていた。
「マーマレードを作る時は、自分の大切な思い出を一つ、原料と共に溶かし込むの。それによって、食べる人の心に寄り添える魔法の力が宿るわ」
「思い出を…溶かし込む?」
エリオが不思議そうに尋ねる。
「ええ。でも心配しないで。思い出がなくなってしまうわけじゃないの。むしろ、誰かと分かち合うことで、より輝きを増すのよ」
夕暮れが深まり、果樹園全体が幻想的な光に包まれていく。マチルダは三人を小屋に戻し、最後の指導を始めた。
「さあ、もう一度マーマレードを作ってみましょう。今度は、泉で見た思い出を心に留めながらね」
新しい工程は、より繊細な作業を必要とした。果実を刻む時、砂糖を加える時、火を入れる時…全ての瞬間に、思い出の力を込めていく。
リリーの魔法が、より深い輝きを放つようになった。エリオの手さばきには、確かな優しさが宿る。そしてアリアの導きのもと、三人の想いが一つに溶け合っていく。
出来上がったマーマレードは、先ほどとは明らかに違う輝きを放っていた。一瓶一瓶に、七色の光が渦を巻いている。
「完璧よ」
マチルダは心から満足そうな表情を浮かべた。
「これなら、食べた人の心に、確かに寄り添えるはず」
「でも、マチルダさん。一つ気になることが…」
アリアが恐る恐る尋ねる。
「このマーマレード、カフェまで持って帰れるんでしょうか?」
マチルダは楽しそうに笑った。
「それがね、思い出の力が加わったマーマレードは、不思議と光が消えないの。だからこそ、特別な製法が必要だったのよ」
三人は安堵の表情を浮かべる。せっかく学んだ特別なレシピ、カフェのお客様にも味わってもらいたいと思っていたのだ。
「ただし、約束してほしいことがあるわ」
マチルダの表情が真剣になる。
「このマーマレードは、本当に必要としている人にだけ出すこと。そして、決して強要はしないで。相手の心が受け入れる準備ができているときに、そっと差し出してあげるの」
アリアたちは固く頷いた。マーマレードの持つ力の大きさを、身をもって知っているからこそ、その使い方には慎重でありたいと感じていた。
「さあ、もう日も暮れてきたわ。今日は本当によく頑張ったわね」
マチルダは三人に、できあがったマーマレードを丁寧に詰めた籠を手渡した。
「これからも時々は、果樹園に来てね。歳をとった私には、こんなに素敵な後継者ができて、本当に嬉しいわ」
帰り道、夕焼けに照らされた空の下、三人は新しい挑戦への期待に胸を膨らませていた。カバンの中のマーマレードは、まるで小さな宝物のように、温かな光を放ち続けている。
(次回に続く)
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