第42話 不快、不愉快、亜熱帯
「風間!お前、風間だな!」
遠くから呼ぶ声は宮塚であった。
あの酒焼け気味の低音の声、それは間違いなく宮塚だ。
例によって、牙を剥いた犬の絵がプリントされた、いつものシャツを着ている。
「風間!良かった!無事だったんだな!」
宮塚は一目散に駆け寄ってきた。
だらしない体型の中年男が走る様は無様の一言。
揺れる肉に虫唾が走る。
ただでさえも湿度が高く不快なのに、こいつの登場でこの空間がさらに不快となる。
これは心をざらつかせる風景だ。
「風間、探していたんだぞ!」
宮塚は少しばかり、感極まったような表情を浮かべた。
何故に宮塚がこんな顔をするのか。不可解、そして不愉快だ。
「俺を探していただと?
わかった、あれか。勧誘の件だろう?
はっきり言うが、俺はなんとか共同組合には出資しないからな。
話はそれからだ…」
決め台詞を放った後、俺は力を込めた流し目加減の眼差しを宮塚へ送る。
「何を言っているんだ?」
意外なことに、宮塚は鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべた。
「あんたが俺を探す理由なぞ、それ以外に何がある?」
俺のその言葉に宮塚は首を傾げる。
「風間、お前は何を言っているんだ?俺は教師としてお前を探していたんだぞ」
「教師としてだと?インチキ鼠講に勧誘していた奴が何を言う。
そもそもだな、宮塚よ。俺が入間川高校を卒業して何年経ったと思う?
お前は学校出た後も、教え子と教師の関係が続くとでも思っていたのか?
さらにだな、俺はお前の授業さえ受けたことがないのだ。調子に乗るのもいい加減にしろ。
話はそれからだ…」
俺はより力の入った流し目加減の眼差しを宮塚へ送る。
宮塚は俺のその台詞に呆然とした。
宮塚は瞬きもせず、口を開けて間抜けな表情を浮かべる。
「風間…」
宮塚はまるで、やっとの思いで声を絞り出したかのようだ。
「さっきからわけのわからないことを言うのは、きっと事故で頭打ったか、何かあったからなんだな。俺が悪かった。
待ってろ、すぐ救助を呼んでやるからな!」
宮塚は堰を切ったように捲し立てると、ズボンのポケットから無線機のような物を取り出し、何やらボタンを押すと耳元へ当てる。
「宮塚です。風間を見つけました!今すぐ、今すぐ救助をお願いします!」
救助?宮塚は何を言っているのか。わけもわからず南国風のこの地へ来ていたのだが、これは一体、何なのか。俺の身に何があったのか。
ものの数分も経たぬうちにローター音が聞こえ、それと同時にヘリコプターの姿が見えた。
「風間、もう少しで救助ヘリが来るからな!」
宮塚は救助ヘリを呼んだのか。
ヘリに乗るのは初めての経験だ。それも悪くないな。
だなんて、俺は呑気過ぎた。
ヘリが着陸する際、空気を叩き割るような羽音をたてながら、凄まじい砂埃を立てたのだ。
お陰で俺は砂まみれになりながら、ヘリに乗り込むこととなった。
俺は宮塚が呼んだ救助ヘリに乗せられ、数分も経たぬうちに大きな病院へと搬送された。
そこで頭や、身体のあちこちをレントゲンだのMRIだか、CTスキャンだの検査をされたのだ。
結果、どこにも異常無し、事故によって一時的に錯乱しているのでは、という診断結果だった。
事故に遭った?その事故ってのは何なのか。
俺は錯乱などしてないと力説するものの、誰も俺の話に耳を傾ける者はいない。
このわけのわからなさ…、俺は誰の世界に来たのであろうか。
検査後、俺は看護師と通訳に連れられ待合室に来た。通訳が言うにはここで暫く待っていてくれ、と言う話だ。
待合室…、と言うにはかなり広い場だ。無数の長椅子が規則的に並べられ、俺はそのうちの一つの長椅子に腰掛けることとした。
遥か向こうの壁に壁掛け時計が見える。
時刻は18時30分ぐらいか。
外来の診察時間は終わり、この広大な待合所には人の影は無く、照明も落とされている。
不気味とまでは言わぬが、何かありそうな空間だ。
ここはどこだ?今度は誰の世界か?
物思いに耽っていると、遠くから足音が聞こえ、それは段々と近付いてくる。
その足音は靴のゴム底が床材と擦れるような音だ。
「風間。無事か?」
これは足音の主の声か?
その声の主へ視線を送ると、そこには見覚えのある顔がいた。
高校時代の担任である、牛浜であった…
違う。高校時代の担任は植村という奴だったのだが、こいつがあまりにも役立たずだったことから、学年主任の牛浜がほぼ俺たちのクラスの担任を兼任していたようなものだったのだ。
身長は165センチぐらい、顔はジョン・マルコビッチと酷似し、常にジャージの上下を着用しているのが目印だ。
「牛浜…、なんであんたがここに…」
俺のその一言に牛浜の眼差しが鋭くなる。
そう、この鋭い眼差しだ。父である烈堂ほど理不尽なまでの暴力性は無いのだが、このひと睨みでどんな不良学生も震え上がる程の気を発しているのだ。
身長165センチとお世辞にも大きいとは言えないその体躯であるが、いざとなったら心の中に隠した、ナイフのような殺気を見せてくる。
そのことから入間川高校はもちろんのこと、周辺の中学高校大学の学生から恐れられている存在だ。
「私を呼び捨てにするのか…
今日は錯乱しているようだから大目に見る。お前らの担任の植村がホテルから出てこないゆえに私が来た」
俺たちの担任の植村?植村が出て来ない?なんだ、それは…
牛浜は何の話をしているのか?
「先生…、何を言っているんだ?
俺は…、何故ここにいるんだ?ここはどこなんだ?」
「宮塚の言う通り、事故で錯乱しているようだ。
風間。ここはサイパンだ。
私たちは修学旅行でここに来ている。
そしてお前らのクラスは遊覧船の沈没事故に巻き込まれ、遭難していたのだ」
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