第37話 逃走無頼
遠くから人の言い争う声が聞こえてくる。
[いいから付けろ!🎵]
[なんでこんな事をしなくちゃならないんだ!🎵]
朝から何やら騒がしい。
騒がしく、そして眩しい。
寝返りを打つがそこは余計に眩しく、どうやら光の当たる場に向かって寝返りを打っていたようだ。
俺は上半身を起き上がらせつつ、未だに重い瞼をゆっくりと開く。
光は部屋の窓からであった。閉じかけのカーテンの隙間から、強い日差しが差し込んでいるのだ。カーテンが風に揺れている。
俺はどうやら窓を開けたまま、カーテンもしっかり閉めずに眠っていたようだ。
入ってくる風は心地良い。もう少し眠りたいのだが、日差しだけが俺の睡眠の邪魔をしている。
カーテンを閉める為、俺はベッドから降りた。
この部屋は広く、ベッドから窓際まで距離がある。
正直なところ、俺はこの部屋の広さを持て余していた。だからといってこの部屋はスイートルームとかの類ではなく、このホテルからして特別高級なホテルではない。
このホテルに限ったことではなく、この世界の建物は総じて部屋が広く、天井も高い。
俺は今、身長180センチぐらいあるようだが、それでも天井が高く感じるのだ。
窓際に着くと、カーテンの隙間から下の様子が見える。
外はまだ騒がしい。
[黙って付ければいいんだ!🎵]
[越権行為じゃないのか!🎵]
ホテルの向かいの建物の下で、警官数名と通行人が何やら揉めているようだ。
何事かと、目を凝らし観察する。
警官数名が通行人を並ばせ、その先頭の男に黒い何かを顔に付けさせていた。
その黒い何かはアイマスクだ。
通行人に黒のアイマスクを付けさせ、紙と見比べ、さらに写真を撮っている。
恐らく警官が見比べているものは、アイマスクを付けた西松の似顔絵だ。
この前、榎本が持ってきたあの紙を手にして、片っ端から手配書の駆け落ち犯を探している、といった状況か。
この眼下に広がる状況に、俺の眠気は一気に吹っ飛んだ。
何なんだ、これは…
まるでガラスの靴の持ち主探しだ。
いや違う、アイマスク姿が絵と合致したら地獄行き、逆シンデレラである。
これは厳しめの中学高校における服装検査さらながらの、アイマスク検査と言ったところか。
トゥーペイ公爵って奴は、嫁が男と駆け落ちしただけで、警察を使って間男を探し出そうとしているのか…
一人の警官が黒のアイマスクを装着させられた男と紙を見比べ、顎をさすりつつ何か思慮に耽っている。
その警官が頷くと、近くに待機していた大柄な警官二名が、アイマスク装着男を両脇から取り押さえ、近くに停車してあった護送車へと連れていく。
その次に並ばされていた男が同様にして、黒のアイマスクを付けさせられる。
遠目から見ても、警官に連れ去られた男は似顔絵と似ていなかったと思うのだが、疑わしい奴は片っ端に連行するという方針か…
これは不味い状況だ。
俺のアイマスク姿は西松のそれとは似ていないのだが、あの取り押さえられた奴よりは近いだろう。
俺はアイマスクが似合う美青年だからな、あの検査をされたら連行されること間違い無しだ…
どうする…、今すぐホテルから出たいのだが、あの取り調べの待機列はこのホテルの正面玄関すぐそばだ。
正面玄関から出れば自ら待機列に並ぶも同然。
ならば、どうする。このホテルに裏口はあるのか。
部屋の机の引き出しに、このホテルについての客室案内の冊子みたいなものがあるはずだ。
俺は早速、机へと向かい引き出しという引き出しを片っ端から開ける。
しかし、客室案内の冊子は無かった。
どうする、どうする…
気持ちだけが先走る中、ふと外を見ると警官たちは通行人らの取り調べを終え、今度はこのホテルや周辺の建物の中へと入って行く姿が見えた。不味い状況だ…
どうする、どうする、どうすればいい。
ここで音楽は環境音楽から、俺の焦燥感を煽る早いテンポの劇伴のような音楽へと変わる。
宿泊者ではなく、このホテルの職員の振りをするのはどうだ?それならこのホテル内を堂々と移動しても、怪しまれることは無いだろう。
このホテルの職員はどんな格好していたか…
俺は足早にクローゼットへと向かう。戸を開けて白のシャツを選び、黒のセンタープレスがしっかりと入っているパンツを選んだ。
ホテルの男性従業員は、この上にクリームホワイトのジャケットを着ていた気がするのだが、クリームホワイトのジャケットは無い。ならば白のジャケットを代用しよう。
選んだ服に着替え、寝癖のあった髪を整髪料で整えると美青年ホテルマンの出来上がりだ。
昨晩、ルームサービスでアイスクリームとコーラを頼んだのは正解であった。
これらを運んできたワゴンに、シーツを適当な大きさに畳んだ物を掛ければ、ルームサービスの回収にしか見えないであろう。我ながら良いアイデアだ。
よし、これで脱出だ。
俺は慎重に部屋のドアを開け、ワゴンを室外へと出す。
「失礼いたします」
と言いつつ方向転換し、周囲をさりげなく見渡す。
誰もいない。よし、このままエレベーターへ行くとしよう。
俺はワゴンを押しながら、足早にエレベーターへと向かい、エレベーター前に付くと下降ボタンを押す。
このエレベーターはかなり古い物なのだ。作動音が大きい上に扉が蛇腹の手動で開けるものなのである。
エレベーターの到着を知らせるチャイムが鳴った。俺の肝を冷やすのに充分なぐらいの大きな音だ。
蛇腹の扉を開けると、ワゴンを回し、背中からエレベーターへ乗り込む。
するとほぼ同時に、近くの階段から何者かが駆け足で上ってくる足音が聞こえた。
俺は焦りつつ、一階のボタンを押し扉を閉める。
「おい、あんた🎵」
蛇腹の扉越しに警官の姿が見える。階段を駆け足で上ってきたのは警官であった。
しかし時すでに遅し。エレベーターは下降を始めていた。
俺が会釈をすると警官は悔しそうな表情を浮かべる。ギリギリ間に合ったようだな、このまま一階から脱出だ。
一階到着のチャイムが鳴る。
俺は扉を開け、ワゴンを押し出そうとしたその刹那、エレベーターホールに別の警官の姿があった。
焦るな、堂々としていろ。と自分に言い聞かせつつ、さも当然のようにワゴンを押しエレベーターから降りる。
警官は俺の姿に気にも留めていないようだ。
よし、このまま…
と思ったのだが、俺と警官の視線が交錯する。
「このホテルの従業員の方にも捜査の協力をお願いをしているのですが、少々お時間を頂けますか?🎵」
年配の警官だ。手には黒のアイマスクが握られている。
「何でしょうか」
とぼけつつ、焦りを悟られまいと微笑んでみせる。
「これを目の周りに当てて頂きたい🎵」
警官はアイマスクを差し出してきた。
やっぱりそう来たか…
ならば…、とぼけ通す。
「既に上の階でやりましたよ」
「そうでしたか🎵これは恐れ入りました🎵」
年配の警官はそう言いながら、アイマスクを下げ、俺の通行を許可するかの如く前から退いた。
「嘘だ!そいつはまだだ!🎵」
その刹那、一階エレベーターホールにその声が響いた。
さっきの警官だ。そいつが息を切らせながら、階段を駆け降りてきたのであった。
その声を受け、年配の警官は俺の前に立ちはだかる。俺はワゴンを思い切り蹴り、年配の警官へ激突させるとホテルの正面玄関を見る。
駄目だ、正面玄関にも警官がいる。
ならば上か。俺はエレベーターに飛び乗り、扉を閉めて一番上のフロアである十階のボタンを押す。
「待て!お前!🎵」
再びさっきの警官の姿が蛇腹越しに見える。
待てと言われて素直に待つ奴がどこにいるのか。
エレベーターは上昇し続ける。階を通り過ぎる度、蛇腹越しに様子が見えるのだが、警官の姿は見えない。このまま十階まで追いつかないことを願う。
十階に到着すると、俺は一目散に非常階段へと向かう。
階下から駆け上がるって来る足音が聞こえるのだが、その音はまだ近くはないようだ。
俺は非常階段を駆け上がる。
屋上への扉を蹴り破り、屋外へと出ると一気に俺の全身へ強い陽射しが降り注ぐ。その眩しさに思わず掌を眼の上にかざす。
ここから助走を付け、隣の建物へ飛び移るのだ。隣の建物はこのホテルよりも低く、多分八階ぐらいだろうか。
建物と建物の間は恐らく二、三メートルはあるだろう。
こんなアクション映画のような真似事などしたことないのだが、今の俺なら多分出来るはずだ。
何てたって、今の俺は絶世の美青年、映画スターそのものの容姿だからな。アクション映画のワンシーンだと思えば余裕だ。
俺は隣の建物と反対側の端へと向かう。
端へ着くと振り返り、改めてその先を見る。
アクション映画のワンシーンだと思えば余裕だ。なんて思ったが、やはり恐ろしい。全身に震えが走る。
しかし、やるしかないのだ。
俺は昂る感情を抑えるかのようにその場飛びを繰り返す。
そして気を落ち着かせると、跳び越える先をじっと見据える。
「時は来た。それだけだ」
誰かが言った台詞である。まさに今の俺の心境だ。
俺は最初の一歩を踏み出すとすぐさま全力疾走する。
その最中、さっきの警官が階段から姿を現す。警官は止まれと声を上げているのだが、疾走する俺を止められるはずがない。
ホテルの端の先に隣の建物が見える。何の躊躇いもなく完璧な踏み切りで地面を蹴り、俺は天高く跳躍した。
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