第31話 気魄一閃、無職

 白いフレーム下の眼差しがにんまりと細くなる。

 そのあざといぐらいの微笑みに反吐が出そうになるのだ。

 俺のひねくれた無頼の根性が、こいつを信じるなと言っている。



 30分ぐらい前の事だ。

 俺がいつものように西松の店に着くと、テラス席には既に先客がいたのである。これは別に珍しいことではない。

 西松の店はそれなりに人気店だからな。テラス席が埋まるのは珍しいことではない。

 それなら何が問題なのか、先客の中に歓迎出来ぬ奴がいたのだ。



「お前、風間か⁉︎随分と男前になったな!🎵」


 開口一番、奴は俺の姿を見るなり大きな声で歌った。酒焼け気味の低音の声、その酒焼け系の持つ聴覚への引っ掛かりが不快な響きなのである。そしてこいつも歌っていやがることで、不快感がさらに増してくるのだ。

 その奴とは、白いフレームの眼鏡と、牙を剥いた犬が胸元にプリントされた服が目印、


 宮塚だ。


 宮塚は前の世界のラ・セクタ・ミヤツカの時と寸分違わぬ姿で、当然のような態度でテラス席に陣取っていたのだ。

 今日は眼鏡のフレームと色を揃えたのか、白地の長袖Tシャツ、もちろん例の犬が胸元にプリントされているものを着ている。

 しかもそのテーブルには西松と堀込、パリスまで居た。

 宮塚は緊張感溢れる表情をしている。



「風間、お前もここに座れよ🎵

 大事な話があるんだ🎵」


 宮塚は隣のテーブルの空いている椅子を自分の隣に引き寄せる。

 他に空席が無かったので、仕方なく宮塚の隣に座った。


「最近のテレビ見たか?新聞報道見たか?♬東欧の戦争は終わりそうに無いな♬」


 俺が隣に座ると、宮塚は低音酒焼け系のデカい声で矢継ぎ早に捲し立ててきた。


「そうですね」


 と言いつつ頷く。こいつわざわざ、この世界に来て時事問題を語りに来たのか?


「しかも中東も中東でずっと小競り合いが続き、いつ全面戦争が始まるかわからねえ状況だ🎵東アジアも互いに領土問題抱えているし、いつ飛び火するかわからないぞ!

 これは第三次世界大戦の始まりじゃないのかと思っている!🎵」


「そうですね」


 俺は適当に相槌を打つのだが、俺の斜め向かいに座る、西松の表情が明らかに恐れ慄いていることに気付いた。


「問題は国際関係だけじゃねえんだ!🎵国内だってきな臭い!🎵」


「そうですね」


 この世界に国際問題だの国内の問題なぞ、関係あるのだろうか。

 あぁ、鬱陶しい。一人熱唱している宮塚の野郎を外へ叩き出してやりたい気分だ。こいつを店に連れてきたのは誰なのか!

 宮塚の歌唱は一々、言葉を英語風にし、一々唾を飛ばしてくるような唱法だ。二号の歌唱とは違った方向性で聞いていられぬ。


「増税が決まったようだが、これは軍備拡張の為のものなんだよ!🎵

 政治家の連中は戦争を始める気満々じゃねえか!🎵各国の首脳だの政治家も同じだ!🎵政治家共がが勝手に戦争を始めようとしているのに、結局は俺たちが行くことになるんだぞ!🎵

 そのうち召集令状が家に届くぞ!🎵」


 その召集令状という言葉に西松は両手で耳を塞ぐ。

 そうだった。西松はコレットとの仲を戦争によって切り裂かれた、という設定だったな。


「俺たちが戦争に行ったら残された家族はどうなるんだ!🎵」


 宮塚のその歌に西松は大きく目を見開く。


「このままだと軍備拡張の為に大増税となれば、大不況が来る!🎵そのせいで俺たちの暮らしは間違いなく苦しくなる🎵

 さらに戦争の準備の為、物資や食糧、燃料等も不足し供給統制や武器工場での労働を余儀なくされる!🎵

 西松!お前はパン屋なんてやってられなくなるぞ!🎵」


 宮塚のその歌に西松は両腕で頭を抱えた。

 その時、宮塚の白い眼鏡のフレーム下の眼差しがにんまりと細くなる。


「そんな時だからこそ、これだ🎵

 俺はこの状況を乗り越える為に、多くの仲間たちとこれを立ち上げたんだ🎵」


 宮塚は膝の上に乗せていた鞄から、パンフレットのような物を四部取り出し、それを一部ずつ俺たちの前に置いていく。

 そのパンフレットには、なんとか共同組合と書かれていた。


「この不安定な世情を皆んなで心一つに力合わせて、戦争や貧困、失業を無くそうという理念の下、活動しているんだ!🎵」


 まるで宮塚の単独公演である。

 そんな中。熱く歌う宮塚の口から唾液が飛んだ。その唾液は堀込の前に置かれたコーヒーの中に落ちた。


「戦争に対して世界中の市民でNoを突きつけ、武器を持たず手を取り合えば争いは防げるはず🎵

 貧困や失業も相互扶助の精神の下、自治と連帯、公平と公正を呼び掛ければ無くなるんだよ!🎵

 これは命の尊厳と人らしい仕事と暮らしを約束する運動なんだ🎵

 素晴らしいと思わないか?🎵

 お前らも俺たちの仲間になれよ!🎵」


 宮塚は矢継ぎ早に捲し立てた。既にメロディらしきものは消え失せ、ド下手くそなラップのようであった。

 後ろで流れる音楽も、いつの間にかヒップホップ調となっている。


 西松と堀込は真剣な眼差しでパンフレットを読んでいた。

 パリスは…、パンフを見てはいるが、いつもの薄笑いを浮かべている。


「風間、お前はどうなんだ?🎵」


 パンフレットを手にもしない俺の様子に、宮塚は痺れを切らした様子だ。


「確実に言えることは、不況を前にして俺たちの雇用は危機的状況だ🎵自営業だって他人事じゃないぞ🎵

 だけど、俺たちの仲間になれば暮らしは守られるんだ!🎵

 ところで風間。お前は今、何の仕事をしているんだ?🎵」


「無職です」


 俺は即答する。その一言に宮塚は沈黙した。


「風間はそれでもいいから、とにかく俺たちの仲間になれ!🎵

 とりあえず俺たちの仲間になるには、出資してもらわなければならないんだが、通常なら30口からが今だけ特別キャンペーン中で15口からでいいんだ!🎵

 凄いだろ?お得だろ?出資しねえか?🎵

 このキャンペーンは期間限定、数量限定なんだ!実はもう枠が埋まってるんだけどよ、俺を通じてなら枠増やせるんだよ!お得だろ?🎵

 絶対、絶対、絶対にっ!損は無いから出資してくれ!🎵」


 宮塚は矢継ぎ早に捲し立てた。


 これは人の不安を煽るだけ煽って、その不安に漬け込むやつだ。健康食品だのカルト教団の勧誘みたいなものだ。

 このサプリ飲めば膝が痛くならない、顔の皺が伸びる、髪が増えるだの、だけど効果は人それぞれ的なものと同じだ。

 信じれば救われるだの、修行すれば魂が次のステージへ上がれるとか、その辺のオカルトと一緒だ。

 こんなものに誰が入るのか。宮塚の野郎、人を見くびっていやがる。



「俺、出資するよ🎵」


 一瞬、狐につままれたような気分になった。西松だ。


「俺もやっておくか🎵」


 続いて堀込までも….

 事もあろうに、こいつら何を考えているのか…


 その二人の歌を聞き、宮塚はこれ以上無いぐらいに目を細め薄笑いを浮かべる。

 宮塚は鞄から今度は別の書類を取り出す。


「ありがとうっ!🎵

 お前ら二人は絶対救われるからな!🎵

 よし、善は急げだ!🎵これが申込書だから早速書いてくれ🎵ペンはあるからよ🎵」


 宮塚は申込書とペンを西松と堀込へ差し出す。


「おい、お前ら。それでいいのかよ」


 俺は西松と堀込に向かって声を潜める。


「いいんだよ。入っておけば安心だろ」


 堀込が声を潜めて答えた。



「お二人さんはどうするよ?🎵」


 宮塚は不気味なぐらいの満面の笑みを浮かべながら歌った。


「俺も入ろうかな🎵」


 パリスまでもが!


「パリ!よく言った!🎵お前も絶対救われるからな!🎵」


 宮塚はそう歌いつつ、パリスに申込書とペンを渡した。

 パリスは申込書に目を通す。


「ちょっと家に帰って調べないと書けない部分があるから、後でもいい?」


「もちろんだ、パリ!🎵家に持って帰ってくれ!🎵」


 宮塚は改めて俺へ向き直る。


「おい、カザ!🎵お前はどうするんだよ?🎵」


 宮塚はそう歌った。カザ?カザって何だ?


「カザって何ですか?」


「風間!お前のあだ名に決まってるだろ!🎵お前は今日からカザだっ!🎵」


 こいつ、勝手に俺のあだ名を決めやがって!宮塚の図々しさに腑が煮えくり返る…


「こういうのやらないんで」


 そこで出した俺の答えがこれだ。


「そう言わずによ、二、三日したらまた来るからよ!🎵考えておいてくれ!🎵」


 宮塚は俺の前に申込書を置いた。

 こいつ、諦めないのか…



 西松と堀込が申込書に記載を終えると宮塚はそれを受け取る。


「俺はこれで帰るが、ここは俺の奢りだからよ!🎵」


 宮塚はテーブル上の伝票を手に取って立ち上がると踵を返す。


「それじゃ、カザ!🎵いい返事期待してるからな!🎵」


 宮塚は背を向け、レジカウンターへと向かう。

 その時、俺は宮塚の背中に違和感を感じた。

 白の長袖Tシャツ越しのその背中、肩甲骨の下辺りに幅の広い白の横線が見えたのである。

 その横線は肉が食い込んでいるかのような盛り上がりがあるのだ。

 さらに目を凝らして観察すると、その横線は両肩から紐の様なもので吊るされている。

 これはまさか…


 その刹那、会計する宮塚の声が聞こえてきた。


「領収書にはあすなろ共同組合と書いて下さい!🎵」


 こいつ、奢ると言って領収書切ってやがる…

 てめえの金じゃねえのかよ。

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