第29話 プランジャー
スーパーヒーロー着地をしていた奴はゆっくりと立ち上がり、俺に視線を送ってきた。
目元を赤いアイマスクで隠していても、そいつが美男美女の類いであることを直感させる。
そして俺に投げかけてくる眼差しはどこか親しげだ。もしかして、もしかしてなのか…
そいつは、長身のファッションモデルのような体つきを黒装束で包み、その上に同じく漆黒のマントを羽織っていた。
その裾の隙間からは、まるで剣の柄のようなものがちらりと見えている。
悠然としたその姿はまさに華麗、その一言だ。
音楽はノイズのようなバンド演奏が終わると、割れる寸前の電子音によるバスドラムの四つ打ちが始まり、テクノかエレクトロ、インダストリアルのような激しい電子音楽へと変わった。
「詩郎、久しぶり」
激しい電子音の中から男の声が聞こえた。その声には聞き覚えがある。
高梨聡だ。
顔は赤いアイマスク越しからでも、以前と違うことがわかるのだが、俺を名で呼ぶのは世界に二人しかいない。
一人は高梨聡、もう一人はその妹である高梨結衣。
その声と長身のモデル体型からして高梨聡で間違いない。
危うくシャンデリアの下敷きになりかけた奴らからの怒号が聞こえ、男たちは凄まじい気合いを発し、高梨に向かって殺到する。
その刹那、幾重もの光流が流星の如く宙を走った。
男たちは制止する。
一瞬の沈黙の後、男たちから嘆きのような悲鳴のような声が漏れた。
殺到した男たちは皆、下半身だけ裸となっていた。
高梨はマントの下から片手剣、サーベルの抜く手を見せず、幾重もの白光を走らせ、突進してきた男らのズボンを切り裂いたのである。
さながら下半身だけハニーフラッシュか。
半裸にされたある者は瞬間的に股間を隠し、またある者は茫然自失とし、またある者は失禁していた。
その様子を見て二号は哄笑する。
「やるねぇ🎵」
二号は歌いつつ、バーカウンターの陰から何やら取り出した。
「こんなものがあった🎵」
二号は両手に何本かの棒を握っていた。
その棒の先にはゴムか何かで出来ているカップ状の物が取り付けられている。
それを見た堀込が口笛をひと鳴らしした。
「プランジャーかよ🎵」
堀込は笑いながら、二号が持っているうちの一本を受け取る。
「プランジャー?何だよそれ?」
「ラバーカップ、いわゆるスッポンのことだよ🎵」
俺の疑問に榎本が答えた。榎本も二号からプランジャーとやらを受け取る。
その棒の先端に取り付けられたゴム製のカップをよく見ると、今になってその正体が何であるのかがわかった。
「トイレ詰まりの…、アレか!」
「そうだ🎵」
二号は事もあろうに、プランジャーを俺には投げてよこした。
「おい!お前!」
と言いながら、カップの部分を避けつつ、なんとか柄の部分を掴む。
受け取ったプランジャーを見ると、カップの部分はかなりの使用感があり、今にも臭ってきそうな年季を感じさせる。
俺はそのプランジャーをフェンシングのように構えた。
「お粗末な一物集団よ。
これを見るがいい。この使用感は昨日今日の物ではない。
この一撃を恐れぬのなら掛かってくるがいい。
話はそれからだ…」
俺が決め台詞を吐くと同時に男が気合いと共に突進してきた。
男は花瓶を振り下ろしたのだが、俺は寸前でそれを交わしプランジャーで突く。
その一突きは男の顔面に直撃し、男は呻き声を上げる。
その刹那、軽いはずのプランジャーから重さを感じた。
男の顔面がラバーカップに上手い具合にはまったのだ。男はその臭気か、呼吸出来ないかで呻き声を上げる。
「ぬっ、抜けない!」
ラバーカップが抜けなくなった。それならばと、俺はプランジャーを勢いよく引き寄せると同時に男の腹部を蹴る。どこか間抜けな音と共に、男はもんどり打って吹っ飛ぶ。
「こいつは使える…」
ふと俺たちを囲む男らを見ると、皆一様に慄いているような表情を浮かべている。
「やっちまえ!🎵」
堀込が男らへ向かって行くと、二号、榎本、パリスがそれに続く。
会場は今や大乱闘といった様相を呈した。
これまでの仮面舞踏会なぞ嘘だったかのようだ。参加者の殆どは敵も味方も関係無く、感情の赴くままに暴れ、それを楽しんでいるような節が見られる。破壊への欲求だろうか。
大乱闘の最中、気が付くと俺はダンスフロアの真ん中で黒薔薇婦人と背中合わせになっていた。
互いの背後に迫る敵を叩いているうちにこの体勢となっていたのだ。
黒薔薇婦人がプランジャーで突けば俺がその背後を守り、その逆も然り。攻防一体の完璧な連携、その戦い方は優雅に踊っているかの如くである。
そんな最中、どこからか不意に金属音が鳴り響き、俺はその音に気を取られる。
それは高梨のサーベルが折れた音であり、その刀身は半分以上も失われていた。
高梨によって半裸にされた奴らが、ここぞとばかりに高梨へ飛び掛かる。
多勢に無勢、高梨は背後を取られて羽交い締めにされ、顔面を殴られた。
「高梨ーぃ!」
俺の叫びは虚しく響き、高梨は数回にわたって顔面を殴られ、倒れると足蹴にされる。そして再び起こされると羽交い締めにされた。
高梨は危機的状況だ。どうすればいい!
不意に俺の背後からプランジャーが差し出された。
黒薔薇婦人からだ。
「彼にこれを渡して」
「しかし婦人、貴女は」
俺のその一言に黒薔薇婦人は口元を綻ばせた。
「私にはこれがある」
黒薔薇婦人は、豪奢な黒いドレスの裾から黒く細長い物体を取り出した。大気を切り裂くような一閃が炸裂音を伴って放たれ、周囲で身構えていた二人の男たちを、まるで物のように打ち倒す。
黒い一閃、それは黒の長い鞭であった。
「彼はお友達かしら?」
「……少しばかり面倒な奴ではあるが…」
俺は黒薔薇婦人の問いかけに答えつつ、差し出されたプランジャーを受け取る。
その時、黒薔薇婦人はマスクの上からでもわかる、暖かな微笑みを浮かべた。
「早くお行きなさい」
「ありがとう。感謝する」
俺はその一言を言い残し、一目散に高梨の下へ走る。
俺の前に半裸男が立ちはだかった。
「邪魔だ!」
半裸男が持っていた角材を振り下ろすよりも先に、俺は体勢を低くする。
そしてプランジャーで半裸男の股間を突く。
その刹那、男は声にならない叫びを上げた。
ラバーカップは上手い具合に男の一物を捕えて離さない。俺はこの隙にもう片方の手に持っていたプランジャーを高梨へ投げる。
「高梨!受け取れ!」
高梨は上手い具合に柄の部分を掴み、折れたサーベルを羽交い締めにしていた半裸男の腹へ突き立て拘束を解くと、プランジャーを構えた。
「詩郎!ありがとう!」
高梨の動きは電光石火の如く、目にも留まらぬ速さで半裸男らへ一撃を加えていく。
大乱闘はどのくらい続いていたのか。破壊や暴力を楽しむ者たちの多くから疲れの色が見え始めていた。休憩と言い、破壊されたバーカウンターから飲み物を漁る者、座り込む者、様々だ。
俺も疲れ始めていた。休憩するかと思った時、どこからかサイレンの音が聞こえてきた。
「何だ?」
「警察だ!」
俺の疑問にプランジャーのカップ跡を顔に付けた男が叫んだ。
そのサイレン音に仮面舞踏会会場内の皆が慄き、一斉に会場出入り口へと向かう。
「何だよ、そんなにびびることなのかよ」
「どうやら不味い事態のようだ🎵捕まったら島流しだってよ🎵」
二号だ。いつの間にか二号が近くに居た。
「島流し?いつの時代の話だよ」
と呆れつつも、島流しを想像すると背筋の凍る思いがする。
しかし逃げるにも、今や出入り口付近には人が殺到し、身動き取れなくなっていた。
どうするかと考え始めたその時、爆音と共に会場内が大きく揺れた。
間髪入れずに再び爆音が鳴り響くと、仮面舞踏会会場の一方の壁が崩れ落ち、トラックのボンネットのような物が姿を見せる。
そのボンネットはエンジン音のうなりを上げて、壁を突き破り会場内に突入してきた。やはりトラックだ。
逃げ道を求めて出入り口に殺到していた人々がさらなる混乱状態へ陥る。
その混乱の最中、トラックの運転席から榎本の姿が見えた。
「急げ!ここから離脱する🎵」
その榎本の叫びに、俺たちはトラックへと突っ走る。
トラックの荷台に皆が乗り込む。先に乗り込んだ高梨は俺の姿を見ると、その手を差し伸べてきた。
「詩郎!早く乗って!」
高梨の手を取るも、不覚にも俺は大事なことを忘れていた。
「黒薔薇婦人はっ!」
俺は振り返り、彼女の姿を求め会場内を見回す。
しかし姿は見えない。
「あの女は捕まるような下手は打たないだろうよ🎵」
二号が乗車を促すように俺の背を押す。
「しかし!」
「彼女は神出鬼没の黒薔薇婦人だ🎵
捕まりはしない🎵」
榎本だ。
「そうだ。捕まるわけがない🎵
榎本が脱出する為にこれを用意したんだ!早く乗れ!🎵」
二号だ。
確かに榎本の言う通りだ。彼女は神出鬼没である。
俺は後ろ髪を引かれる思いに蓋をしつつ、トラックの荷台へと乗り込んだ。
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