第28話 光を見下ろす者

 ダンスフロアに緩やかなテンポの音楽が流れる。

 踊っていた者たちは皆、それぞれパートナーと身を寄せ、音楽に合わせて揺れている。

 俺と黒薔薇婦人、西松とコレット、二号と何処ぞの婦人も御多分に洩れず、だ。

 これはチークタイムってやつなのか。



「まるで夢みたい」


 黒薔薇婦人が呟いた。大袈裟過ぎて、俺は思わず吹いてしまう。

 確かに今の俺はアラン・ドロン似の絶世の美男子だ。しかし元を辿ればただの肥満体。黒薔薇婦人はそのことを知っているはずだ。


「相変わらず大袈裟だ」


 前から黒薔薇婦人は一々大袈裟なのである。ここまで大袈裟だと、俺は茶化されているのか、誉め殺しにでもされているような気分だ。

 黒薔薇婦人は俺の一言を受け俺の目の前、顔と顔が触れそうな距離で悪戯な笑みを浮かべた。



 緩やかなテンポの音楽が終わり、ダンスフロアで踊っていた者たちの多くが一旦、休憩を取ろうとフロアを離れる。俺たちもその流れに合わせフロアを離れた。その時、


「私と変わってくれ🎵」


 と男の声が聞こえた。

 男は西松とコレットの前に立ち塞がる。


「休憩するのでごめんなさい🎵」


 コレットは断り、頭を下げたのだが、男は引き下がろうとしない。


「疲れているので、また後にして下さい🎵」


 西松が歌いつつ、コレットの前に立つ。


「さっきからお前ばかり、その女を独り占めするんじゃない!🎵」


 男は西松の肩を押し除ける。


「私と踊るんだ!🎵」


 男の鼻息は荒く、コレットの腕を掴んで離そうとしない。

 バーカウンターでコーラを注文していた俺の横で溜息が聞こえた。


「野暮な御仁ですこと」


 黒薔薇婦人はそう一言言うと、バーカウンターにあったボトルのネックを掴み、それをコレットに絡む男へ投げつける。

 ボトルは上手い具合に男の後頭部に命中し、音を立てて粉々に割れると、コレットに絡んでいた男の服は薄紅色に染まった。


「投げたのは誰だ!🎵」


 男の逆上した歌唱に黒薔薇婦人は哄笑で答え、男が振り返ると黒薔薇婦人は手招きをする。


「お前かーっ!🎵」


 男が黒薔薇婦人へ向かって突進し始めたその刹那、黒薔薇婦人は再びボトルを投げつける。

 ボトルは男の顔面に命中すると音を立てて割れ、男はそのまま無様に倒れた。

 この出来事に仮面舞踏会会場内が騒然とした。

 黒薔薇婦人の行いに血相を変える男たち、黒薔薇婦人を賞賛する者たち等、様々だ。

 倒された男の連れと見られる連中が黒薔薇婦人に向かって殺気立つ。

 そんな中、殺気立ち憎悪を露わにする男らと黒薔薇婦人との間に、一人の男が疾風の如く姿を現す。



「婦人!何故です⁉︎何故私では駄目なのですか⁉︎🎵」


 聞き覚えのある台詞、姿を現した男が何者なのかすぐにわかった。

 尻毛だ。

 アイマスクで目元を隠しているものの、古びて所々破れた黒のタキシードと、肩に降り積もったフケは間違いなく尻毛だ。

 いつかのサンデーサンで、枯れた花束片手に待ち侘びていた時の尻毛である。

 尻毛の登場に黒薔薇婦人は呆れた様子で深い溜息をつく。


「貴方、ナンセンスなのよ。同じことを何回言わせたいのかしら」


「貴女は私にとって麗花なんだ!🎵」


 この尻毛の歌唱に、黒薔薇婦人は心の底から呆れ果てたと言いたげな表情を浮かべる。



「おい、ここはお前みたいな汚い奴が来る場所じゃねぇんだ!引っ込んでろ!🎵」


 殺気立った男らの一人が尻毛の肩を掴むと、尻毛は振り向き様、電光石火の様な肘の一撃を男の顔面に叩き込む。その男は見事なぐらいにもんどり打って倒れた。


「こいつっ!女ごとやっちまえ!🎵八つ裂きにしろ!🎵」


 男らから怒号があがる。

 尻毛の一撃は男らの怒りの炎に油を注ぐこととなってしまった。

 俺と黒薔薇婦人、尻毛はバーカウンターを背に男らから包囲される。

 バーカウンターには二号と堀込、榎本、パリスもいた。



「おい、二号。銃持っているだろ?なんとかしてくれ」


 二号に向かって声をひそめる。


「残念だが、銃はあっても弾丸が無い🎵」


 二号の意外かつ、能天気な調子の歌唱に目眩がしてきそうだ。


「何だと!使いきったのか⁉︎買ってなかったのか⁉︎」


「違う🎵手に入らないんだ🎵

 この世界は銃はあっても銃弾が無いのだ🎵全ての銃弾が無い🎵」


 非常時だというのに二号の態度からは緊張感が感じられない。絶望的だ。


「西松の野郎っ…」


 思わず舌打ちが溢れる。

 ここは西松の世界だ。奴は銃弾を世界から消し去ったのかもしれない。

 一方の西松はコレットを背にして庇いつつ、男に襟首を掴まれていた。

 その男に迫られ追い込まれていると思いきや、西松は両手の親指で男の目を突くと、男は悲鳴を上げる。

 そんな中、俺の横でガラスの割れる音が聞こえた。


「銃が無いならこれだろう🎵」


 堀込はボトルをカウンターに叩き付けて割り、それを構えて闘志を漲らせる。



 匿名性は人の隠された本性を白日の下に晒すのか。

 黒薔薇婦人のボトル投げと尻毛の一撃は、波紋となり参加者の心に何らかの影響を及ぼしたようだ。

 仮面舞踏会会場内の各所で混乱が始まった。ある者は暴力を振るい、別の者は女を追いかけ回す。

 オーケストラはいつの間にかいなくなり、ドラムとベースとギターだけとなっていた。ドラムが性急かつ激しいリズムを刻むと、その上に唸るような重低音のベースが絡み、歪みきったギターが自由にノイズを撒き散らす。

 この混沌に相応しい環境音楽だ。



「詩郎ーっ!」


 そんな中、誰かの叫び声が聞こえた。突然の事で一瞬、何が何だかわからなかったのだが、誰かが俺の名を呼んだのだ。

 父である烈堂さえも俺を名で呼ばぬのに、敢えて俺を名で呼ぶ人間は限られてくる。


「詩郎!みんな!危ないからカウンターの中に入って!」


 その声は頭上からであった。

 ふと見上げると、高い天井から吊るされている、豪奢かつ巨大なシャンデリアの上に人の影が見えたのである。

 人影は俺たちを見下ろしていた。


 シャンデリアは小刻みに揺れ、少しずつ下に落ちてきそうな気配を感じる。


「早く!」


 その声につられて、俺たちは背にしていたバーカウンターによじ登り、その向こう側の陰へ身を滑り込ませる。

 その頃合いを見計らったかのようにしてシャンデリアが落下し、衝撃と凄まじい音がダンスフロアに響き渡る。



 人の呻き声やパニックを起こした者たちの声が聞こえる。

 俺は立ち上がりながら、恐る恐るカウンターの向こうを見ると、落下したシャンデリアの中心部辺りに、拳を床に突き、片膝を立てて着地している者の姿が見えた。

 あぁ、あれはスーパーヒーロー着地ってやつだ。

 落ちて粉々になったガラス片が光を照り返し、スーパーヒーロー着地をし続ける者の姿を引き立てる。

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