第20話 全否定だよ、ナンセンス
そんな中、ガラスの割れる音が鳴り響く。
しかもちょっとしたものではなく、大きなガラス窓が一気に割れ落ちたような音だ。
この食堂にいる皆が驚き、思わずその音の方角へ視線を走らせる。
それは食堂の入り口であった。
入り口には大きなガラス戸があり、それが粉々に割れていたのだ。
そこには見覚えは無いのだが、何かを直感させる人影が颯爽と姿を現していた。
「麗花!」
尻毛が言うまでもなく、そこには黒薔薇婦人がいた。
昨日までとは打って変わった黒装束、その身に纏った黒くタイトなロングコートは踝近くまであり、目深に被った帽子は所謂、女優帽ってやつであろう。
全身黒、これぞまさに正調な黒薔薇婦人だ。
この装いを違和感無く着こなせるのは彼女しかいない。だから黒薔薇婦人なのだ。
ガラスが割れる音と共に現れるなんて、これ以上無いぐらい出来過ぎている。
黒薔薇婦人は右手にライフルを持ち、その長い銃身の先にある銃口から硝煙が煙っていた。
食堂のガラス戸を銃撃して割ったのだろうか。
黒薔薇婦人はライフルの引き金辺りを支点にして、片手で銃を縦に一回転させた。
この動きは見たことがある。アーノルド・シュワルツェネッガーがターミネーター2で披露していたやつだ。
「スピンコックか。通だねぇ」
二号だ。黒薔薇婦人の一連の動作を見て感嘆の声を上げた。
そうだ、あれはスピンコックというリロード方法だ。
これはレバーアクション方式のライフルや散弾銃のみで出来るリロードであり、銃を一回転させることでレバーの前後スライドを片手で行う、合理的かつ見た目も良い方法なのだ。
黒薔薇婦人は割れたガラスを踏みながら、悠然とした足取りで食堂内へと入ってきた。
その突然の登場に食堂にいる一同、黒薔薇婦人の一挙一動に目を奪われる。
黒薔薇婦人は食堂の上座に当たる、尻毛が陣取るテーブルの前に来た。
ゴマシオ銀縁はテーブル上のノートパソコンを手に取り、黒薔薇婦人の前に駆け寄った。
「婦人!
彼らはラ・セクタ・ミヤツカからの刺客か、公安警察のスパイです!
昨晩、彼らは先生を暗殺する為の密談をここでしていました。
証拠の音声がこのパソコンの中に」
一発の銃声がゴマシオ銀縁の言葉を遮った。
黒薔薇婦人は天井に向けてライフルの引き金を引き、再びスピンコックさせる。
「私には関係の無いこと」
黒薔薇婦人が無表情で言い放った一言によって、ゴマシオ銀縁は目を剥いたまま固まる。
「婦人、何を言うのですか!
彼らはスパイなんですよ!」
長くも短い間の後、ゴマシオ銀縁は食い下がった。
「貴方はしつこい」
黒薔薇婦人がそう言い放った刹那、一発の銃声と共にゴマシオ銀縁の頭部が弾けた。
「麗花!来てくれたんだね」
黒薔薇婦人はスピンコックさせながら、その一言を発した尻毛へ視線を移す。その眼差しは冷たい。
「麗花?
それは貴方がお人形につけた名前かしら?
貴方、センスが無い。ナンセンスよ」
黒薔薇婦人は“ナンセンス”をさり気なく強調していた。さらにその眼差しはまるでメドゥーサである。尻毛は蒼ざめた表情のまま固まった。
「貴方のお人形はここよ。受け取りなさい」
黒薔薇婦人の左手には黒いビニール袋が握られていた。それはまるで季節外れのスイカが一玉、入っているかのような大きさがあり、婦人はそれを尻毛へ軽く放り投げた。
尻毛は呆然とした表情でそれを受け取ると、袋の中を確認する。
食堂内に言葉にならない雄叫びが響き渡った。
尻毛が奇声とも悲鳴ともつかない言葉を連呼すると、ビニール袋からその中身がテーブル上に転がり落ちた。
中身は黒薔薇婦人と全く同じ顔をした女の生首であった。
「麗花麗花麗花麗花〜〜っ」
尻毛は麗花の首を抱き締め、天に向かって泣き叫ぶ。
「私のレプリカを作って遊んでいたなんて、どこまで悪趣味かつ下劣な品性をしているのかしら」
黒薔薇婦人はライフルをテーブルの上へ置き、尻毛の頭髪を鷲掴みにすると、ロングコートの懐からナイフを取り出し、泣き叫ぶ尻毛の首元へ突き付ける。
そして躊躇する事なく尻毛の首元を一気に切り裂いた。
尻毛は天を仰ぎ、その首元から噴き出した血は食堂の天井を真紅に染める。
その直後、尻毛が抱えている麗花の首は色を失っていく。
「麗花ってのは尻毛が作り出した人もどきってことか」
二号だ。
麗花の首は透明となり弾け散った。
「そのようだな」
と言った時、突如として食堂内にサイレンが鳴り響いた。
「ミヤツカ派の襲撃だー!」
バリケードで見張りをしていたと思われる学生らが食堂へ殺到してきた。
食堂内は一気に混沌の坩堝と化した。
指導者を失い、烏合の衆となった学生らは我先に逃げる者、その逃げる者捕まえ殴りつける者、勇ましく戦いを呼びかける者、様々だ。
そんな中、食堂のガラス窓を突き破って何かが投げ込まれた。
火炎瓶だ。
投げ込まれた火炎瓶は一瞬にして食堂の床に燃え広がる。
しかも一本、二本、三本と大量の火炎瓶が投げ込まれ、食堂内はあっという間に火の海の化した。
「よし、脱出するぞ」
二号の声が遠くで聞こえた。
「風間、行くぞ」
「風間、逃げよう!」
堀込の声の次に西松の声が聞こえた。
西松が俺の手を引くのだが、俺は全く動けない。
俺もメドゥーサに魅せられた一人と化し、身動きが取れないも同然となっていた。
俺の視線の先には黒薔薇婦人が佇み、俺の視線と黒薔薇婦人の視線が交錯している。
懐かしく暖かであるも謎めいた光に照らされ、身動きを取れるわけが無い。俺はこの光から目を離せないのだ。あぁ、離してなるものか。
「おい、風間!」
堀込と西松が俺の両腕を引っ張る。しかし俺は微動だにしない。
「一号のことはほっておけ。どう足掻こうとここはもう終わりだ」
二号だ。そうだ、ここは終わりだろう。
「そこの顔だけ二枚目さんはどちら様かしら?」
黒薔薇婦人は微笑みを浮かべている。答えを半ばわかっているのだろう。
「俺だ。シロタンこと、風間詩郎だ」
「やっぱり。お久しぶりね」
「ああ。久しぶりだな」
と言ったものの、後に続く言葉が見つからない。
辺りは完全に火の海だ。
俺と黒薔薇婦人、それ以外に炎しかない世界と化している。
しかし、その炎が不思議なことに熱さを感じないのだ。
「あんたは一体、何者なんだ?」
「私?
私はただ、綺麗なものと素敵なものが好きなだけ」
そうだ。俺は前にもこの台詞を聞いたことがある。
炎の勢いは凄まじく、天井にも燃え広がり、瓦礫が落下し始めていた。
それでも俺と彼女は燃え盛る炎の中、ただ見つめ合っていた。
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