第9話 人もどきは一角獣の夢を見るか

 西松がトイレから出て来るのを待った後、俺たちは再び先頭車に向かって歩き始めていた。


 西松が言うにはここは15両目らしいのだが、視線の先は未だに先頭車が見えてこない。

 電車の速度はその限界を超えたり、若干落ちたりを繰り返しているようだ。

 西松は焦燥感に駆られているようだが、一方の俺はと言うと膝が限界を越えていた。もう歩きたくない。


 いい加減、休ませてくれ!


 と言いかけたその刹那、俺たちの後方から怪鳥音のようなものが聞こえた。

 何事かと俺たちは振り返る。

 その音の主は漆黒の影、昼間の電車内に現れた影法師だ。

 後方、14両目の真ん中辺りから信じられぬ速度で、俺たちとの距離を詰めてくる。


「何ぃ、あれぇ!」


 ストレスの耐性が低い西松が一番最初に声を上げた後、二号が一歩前へ出た。

 二号は俺たちへ離れろとばかりに両腕を広げる。


「お前らに面白いものを見せてやる。

 離れて見ていろ」


 二号の指示通りに俺たちは二号との距離を開けると、衝撃音が鳴り響く。

 影法師が14両目と15両目の間の扉へ激突したのであった。

 影法師は扉を開けるということを知らぬのか、その身体で何度も扉へ激突し、その都度、例の怪鳥音を発する。

 扉のガラス窓から影法師が何であるか見えた。


 女だ。

 黒いロングコートのようなものを身に纏った女であった。

 ドレッドのような黒く長い、顔にまで垂れ下がった塊の様な髪の間から、女の大きく見開かれた双眸が見え隠れする。

 真っ赤に充血した目は瞳まで赤く見え、まるで怒りに燃えているかの様だ。


 車端部の座席に座る奴が見兼ねたのか、扉を開けてしまった。


「馬鹿野郎!なんで開けるんだよ!」


 西松の絶叫を他所に、二号は極めて冷静だ。


「いいから黙って見てろ」


 影法師は扉が開くと、一目散にこちらへ向かってきた。

 影法師の手元に白刃が光る。


「二号、奴は刃物を持ってるぞ」


「わかっている」


 と二号が言った時、すでに影法師は二号との距離を詰め、その白刃ごと二号の胸元へ突撃した。

 お世辞にも身軽には見えぬ二号だが、意外なほどの身軽さでそれを避けると、次は白い光芒が二号の顔面へ伸びる。

 その刹那、二号は影法師の腕を取り床へと組み伏せた。

 二号は影法師の腕を取り、少し重心移動させただけで完全に制圧したのだ。

 その間はほんの数秒足らず、信じられぬ光景に俺たちは言葉を失う。



「おい、ここからが本題だ。

 一号、こいつが答えられないような質問をしてみろ」


 二号は影法師の上に背を乗せ、余裕綽々の表情だ。

 一方の影法師は足をばたつかせながら、例の怪鳥音を時折上げている。


「え?何言ってるんだよ」


「いいから何か質問しろ」


 と急に言われても思いつかないものだ。



「おい、女。映画、ブレードランナーのラストでガフが折ったのは何の折り紙だ?」


「ユニコーン!」


 影法師は即答しやがった…


「一号、お前なぁ…

 それなら西松、お前が質問してみろよ」


 二号は呆れたように笑いながら西松へ振った。

 西松は戸惑ったような表情を浮かべた後、決心したかのように深呼吸をする。


「113系と115系の違いは?」


 影法師は何も言わない。激く鼻息を漏らしている。


「西松、それだよ」


 二号は西松へ親指を立ててみせると、西松は俺を見て胸を張り、勝ち誇ったような表情を浮かべた。

 調子に乗りやがって…


「お前ら、よく見ておけよ」


 二号のその一言の後、影法師の鼻息が落ち着いてきた。

 同時に影法師は髪の先から爪先まで、その色を失っていく。


「二号っ!まさか!」


「そのまさかだ」


 影法師はあれよあれよという間に半透明から透明となり、音を立てて弾け散る。

 粉々となり、その欠片もすぐに消えた。

 二号は自分の背中と尻をはたきながら立ち上がる。



「二号、お前はこれが何かわかっていたな!」


「まぁな」


「何故、黙っていた!」


「これもこの世界の話と一緒だ。この世界の不条理さを実感する前に、説明されて納得がいくのか?ってことだ」


 二号は不敵な笑みを浮かべる。

 そう言われると何も言い返せない。


「わかった。じゃあ、あの女は何なんだ?人間か?」


「なんと言うかその、実体化した幻影みたいなものだと解釈している」


「実体化した幻影ぃぃ!」


 西松がその細い眼を大きく見開いた。


「待てよ、西松。二号は解釈していると言ったぞ。根拠はあるのか?」


「これは俺の長年の経験と知見による仮説に過ぎないのだがな。

 俺は水晶化する連中のことを“人もどき”と呼んでいる。

 あいつらは誰かの想像の産物だ」


 俺からの問いに、二号は得意げに言った。


『想像の産物⁉︎』


 驚きのあまり、俺と西松は同じ事を言っていた。


「この世界を生み出した奴か、そのまた誰かによる、舞台装置の一部、脇役とかエキストラみたいなもんだ。

 あそこに新聞を読んでいる爺さんがいるだろ?」


 城本が近くで新聞を読む爺さんを指差す。


「あの爺さんは多分、実体化した幻影、人もどきだ。

 この世界の創造主か、この車内にいる誰か、俺かも知れないし、一号か西松か、パリスかも知れない。

 その誰かが無意識のうちに作り出した幻影かも知れない」


「世界の創造主が全てを作ったわけでもないのか?」


「何と言うかその…、事細かに作り込む創造主もいれば、適当な奴もいる。

 適当な奴の場合、俺たち脇役の影響も出てくるってことだ」


「なるほど」


「話を元に戻すが、この電車には新聞を読んでいる爺さんが乗っていると、誰かが想像しているのだろう」


 二号はその爺さんの側へ行く。


「なぁ、爺さん」


 二号が話し掛けると、爺さんはその視線を新聞から二号へと移した。


「俺って格好いいと思わないか?」


 二号のその一言の数拍後、爺さんは水晶化し弾け散った。

 二号は俺たちの方へ振り返り、


「幻影を作り出した奴の思いもよらない事、想像の範囲外の事を目の当たりにすると、なんと言うかその……、人もどきはバグって壊れるんだ。

 俺たちは予想外の事が起きても、精々驚く程度だが、あいつらにはそれがない。

 創造主の頭の中に無い事は反応出来ない、といったところか」


 二号のその話に心当たりがある。


「風間、これってお前が前に話していたジェフのことに当てはまるんじゃないのか」


 西松は俺と同じことを考えていた。


「そうだな。

 ジェフを作りだしたのがペヤングだとしたら、茶坊主はキズナ ユキトか」


「その二人のことは知らないが、こんな感じだ。

 人もどきの見た目は、まるっきり人間だから少々ややこしい。

 しかも身体の内部がどうなってるのかまでは知らないが、銃で撃てば血を流すし…

 そう、女ならば抱くことも可能だ。一度は試してみるといい」


 二号は意味深な笑みを浮かべた。

 二号のその一言に、パリスは好色そうな薄笑いを浮かべるが、対照的に西松は陰鬱そうな表情を浮かべる。


「それはわかったけど、じゃあ俺たちは何なの?」


 西松の一言に二号はため息をつく。


「それは俺にもわからない。ただ俺たちはあいつらと違う、としか言い様がない」


「本当は俺たちも何かあったら水晶化して砕け散るんじゃないかな?」


「それは無い。その根拠として俺たちは所沢駅前で処刑されても甦っていただろ?あいつらにはそれが無いんだ。

 あいつらの中には世界がリセットされても存在する個体もいるが、同時にあいつらの設定もリセットされる。

 だから、俺たちのように…、例えて言うなら“前世”の記憶みたいなものは無いんだ」


 二号のその言葉は聞き捨てならない。


「ちょっと待てよ、二号。

 俺の消えた記憶はどうなんだ?

 俺は所沢駅前で処刑される直前、俺の記憶には欠けている部分がある。と言ったよな?

 それに対してお前は[失った記憶を探せ]って言ったよな?あれは?」


 二号は思い出そうとしているのか、視線を忙しなく動かす。


「あぁ、あれか。入間川高校が占拠された後の失われた記憶ってやつだろ?

 多分そんなものは無い」


「え?」


「どこから記憶が途切れているんだ?」


「入間川高校地下のボイラー室から旧校舎へと抜ける地下道、そこで闇の中へ飲み込まれてから、大学生活始まった辺りまでの記憶が無い」


 ふとパリスを見ると、相変わらず薄笑いを浮かべているのだが、奴は俺を見て頷く。


「その地下道で闇へ飲まれた時に世界のリセットが起きたんだろうな」


「でもお前、あの時、失った記憶を探せって言ったよな?それをわかってて何故⁉︎」


「あの処刑直前の状況で、ここまでの説明が出来ると思うか?

 その失った記憶をとり戻そうとしたからこそ、お前はこの世界が何であるかを知る事が出来た」


「二号っ!」


 二号は悪びれもせず、


「いいじゃねえかよ。これが何であるのか知れたんだからよ。

 この世界が狂っていることを薄々気付いていながら、眼を逸らし自分の世界に籠る奴もいるんだからな。

 そいつらよりはマシだろうよ。

 それとだな。この世界に来て最初のうちは、前の世界のことを思い出すのに時間が掛かることもあるが、慣れてくればそれも無くなる」


「わかったよ…」


 西松だ。西松は下唇を噛み、今にも泣きそうな表情を浮かべていた。

 そうだ。西松にも俺と同様に入間川高校でのあの日から、記憶の欠落があったのだ。


「でも、だからって納得出来ないよ。

あまりにも理不尽過ぎるよ」


「西松、お前の気持ちはわかる。しかし、それでも俺たちはここで生き延びるしか無いんだ。

 だからこそ、楽しんだ者勝ちなんだよ」


 だなんて二号は言うが、西松と同様にして、俺にもこの世界に納得なぞ出来ない。

 しかし、それ以上に実体化した幻影というものが心の中で何か引っ掛かる。

 それは俺の脳裏で徐々に存在感を増していく。

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