一章 ①

土の匂いが鼻腔の奥を刺す山路を、青弦せいげんの一行は細かな息を漏らしながら登っていた。

 青いというより黒い、満月にあって光の一片さえ届かぬ。一歩、踏み外すことあらば、瞬く間に前後不覚に陥りそうな、禍々しい森だ。

「本当にこの道であっているのか」

 青弦の背を追う、枝の如きか細い体躯の小烏丸こがらすまるは怪訝な声を上げた。

「黙って、歩きなさい」

 最後尾を務める逞しい痩躯の青年、赤牛あかうしが嗜めるも、彼の声にも隠しきれない疲労の色が滲んでいる。赤牛は刀工であり、青弦の一番の側近でもある。灼熱のごとき鍛冶場で、一晩中、刀を打つこともあれば、政務の要として、三日三晩の徹夜など日常茶飯事。胆力に自身のある赤牛さえ、言葉の合間に短い息が混じるのだ。常なら自慢の双翼で領内を駆け回る小烏丸にとって、原始の姿そのまま、根とも岩ともわからぬ足場を自分の足で進むのはさぞ、苦行だろう。

 先頭を行く青弦の涼やかな顔が崩れることはない。が、彼の美しい顔にあって大きな違和感、左瞼に沿って滑らかに馴染む馬皮の眼帯はわずかに熱をもっていた。

 

 さらに半刻ほど道を進めば、青弦の足元、粘る土の付いた草鞋の鼻緒に針のような光が刺さった。それを発端としたように、一行の元に、ポツリ、ポツリ、雨のように月の恩恵が微かに漏れでてくる。

 わずかばかりの明るさに、ようやくあたりの様子が視認できるようになる。かろうじて見える三寸いちめーとる先、足の脛が当たりそうな位置に、蜘蛛の巣とみまごうばかりに細い糸が張り巡らされ、雨垂れのよう所々、鈴が釣るされているのが見えた。これが噂に聞く結界だろう。青弦は後方の二人を振り返る。

「では、ここで」

「本当に一人でいくのか」

 小烏丸の黒瑪瑙のような瞳が青弦を射抜く。先ほどまで文句を垂れていたとは思えないほど、それは主人を案じる忠臣の目だった。しかし剣とも称される冷き美貌の主人は、

「ああ」

 と揺らぐことのない声音で答える。スッと筆で引いたような整った眉の一本すら、動くことはない。青弦は誰より自身の役目を理解している。それをわかっていたのだろう赤牛は、

「お気をつけて」

 と短く言葉を吐くと、赤き頭を深く下げた。そんな青弦と赤牛の間、しばし視線を彷徨わせていた小烏丸も、しぶしぶと赤牛と同じよう、頭を垂れる。その思いをしかと胸に受け、青弦は鈴の内へと足を踏み入れた。

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