第041話 昔話と予兆

◆ ◆ ケンゴウの独白 ◆ ◆


 あれは忘れもしない、2103年、17年前か。


 当時、俺は権力者や反社を問わず有力者のボディガードとして日銭を稼いでいた。腕の良さだけは認められていたから、仕事に困ることはなかった。金は生活に必要なだけ稼ぐだけで、安定した生活は求めていなかった。ただ、俺はやりごたえのある戦闘を求めていた。だからこそ、危ない臭いを放つ仕事じゃないと俺の心を満たすものはなかった。


 そのときの俺には何でも斬れる能力なんてものはなく、ただ真剣を1本だけ携えて活動していた。銃やら毒やらで依頼主に危害を加える奴らがほとんどだったが、闇に乗じる腰抜けの相手は1本の刀だけでもどうにでもなった。

 ある時から、ボディガードの依頼を受けていても襲撃に遭うことがほとんどなくなった。どうやら、俺がいるとほぼ100パーセント襲撃が失敗するという評判が広まり、襲撃を断念する腑抜けが増えたらしい。依頼者も俺の名声を利用したい奴らが増えてきて、俺をボディガードに付けたことを周りに言いふらしやがる。契約もしていないのに、勝手に俺の名前を持ち出す奴らも出てきたな。俺は、いつの間にか雑な抑止力として扱われるようになった。

 そうなると、ただ戦いたいだけの俺にとって過ごしにくい環境しか残されていなかった。


 もう引退して姿を隠してしまおうかと思っていた時分、面白そうなボディガードの依頼が届いたのが2103年だ。

 そう、嬢ちゃんの父親、コルネウス=ホイールからだ。

 大層な科学の賞を受賞したとかで、世間の注目の的となっている人物からの依頼だ。そういう人間の周りには、金が大きく動く。金が動けば、人が人を攻撃する動機が生まれる。そうすれば、俺が楽しめる状況が現れる。その時、もっとも興味をそそられる人物からの依頼だった。有名になる前は一介の研究者でしかなかったホイールが俺へのコンタクト方法をなぜ知っていたのかは知らんが、あいつは口が上手いからお偉いさんとのコネを使ったんだろうな。

 とにかく、その連絡を受けた瞬間に承諾の返事を書き始めていたね。


 2103年の年末に、俺はとある施設に呼び出された。そこには、ホイールの他、何人かの有名どころが並んでいた。有名どころっていうのは、俺のいた世界での話だからお前たちに言っても分からんかもしれんな。

 いや、そう、ミデンのことを忘れてはいけなかったな。あのときコソン=ミデンが連れていた少年が、坊主、お前だな。あのミデンという男は、俺がこれまで出会った中でも五指に入る実力者だった。その坊主がこうして逞しく育っているのを見るとなんとも感慨深いもんだな。


 その会議室でコルネウスが何を話し、集められた俺達が何を為したのか、それは話すことはできない。お前たちも知っているだろうが、能力を持たない者は《眼の能力オキュリシムス》に関する記憶を忘れてしまう。残念ながら、当時能力を持っていなかった俺も大部分は忘れてしまっているんだ。逆に考えれば分かることだが、俺達が話したことというのは、《眼の能力オキュリシムス》に関係する何かだと理解してもらって構わない。

 その後に俺はどんなものでも斬ることができる《眼の能力オキュリシムス》を手に入れた。それ以降のことはよく覚えている。


 ん? ああ、俺はあの球体とそれによって得られる超能力のことを《眼の能力オキュリシムス》と呼んでいる。

 ほぉ、ガラムの上層部の能力者もそう呼んでいたのか。ホイールがそう呼んでいたから俺もそれに倣っている。もしかすると、あのとき集められていた奴らのうち誰かがガラム上層部と絡んでいるのかもしれんな。あの正義一本道のホイールがガラムの連中と協力するとは考えられん。


 話を戻そう。《眼の能力オキュリシムス》を得てからは、俺はホイールのボディガードというよりは同士として行動を共にすることになった。ミデンとも一緒に活動していたよ。ホイールやミデンたちと共に、《眼の能力オキュリシムス》によってもたらされる危害を防ぐべく行動していた。

 2年後の2105年ごろ、俺達の活動が軌道に乗り始めたときに、ホイールは急に別行動を取ることを宣言した。その時の言葉、しっかり覚えている。


「この仕事、お前たちに残していく。俺は探さないといけないもの、守らないといけないもの、そういうものを優先する必要に迫られてしまった」


 それは、何も説明していないことと同義だった。納得はもちろんできなかったが、理解はした。あのホイールが何も考えずに、その場の感情だけで勢いで行動するわけがない。何か理由があるはずだった。


 ああ、「守らないといけないもの」ってのは嬢ちゃん、あんたのことだと思うぞ。ホイールは事あるごとにお前のことを話題に出していた。正直、うるさかったな。あの親バカが嬢ちゃんの状況を分かっていないということはないだろうから、「探さないといけないもの」は嬢ちゃんとは別口だろうな。


 コルネウスが離れてからはミデンと一緒に仕事を進めていた。途中、事故でミデンが亡くなってしまったのは痛かったが……。後釜となる人材も十分育ち、俺は晴れてその活動を引退した。

 こうして、今はボディガードとして舞い戻っている。《眼の能力オキュリシムス》という概念がこの世に生まれてから、それなりに刺激的な戦いができるようになっているから楽しくやっているよ。今日も楽しかった。


◆ ◆ 第三者視点 ◆ ◆


 ケンゴウは、窓枠に腰掛けたまま腕を組み、語りを終えた。天井を見上げ、軽いため息をついた。


「こうして思い返すと、懐かしいもんだな」


 腕組みを解き、顎からモミアゲにかけて繋がっている灰色の髭をさすりながら、ケンゴウは干渉に浸っていた。氷と水が入り混じる冷たい床に倒れているレティナは、上半身だけを起こして小さく手を挙げた。


「ケンゴウさん、もう少しだけ質問してもいいですか?」

「おん? 俺が知っていること、話せることならなんでもいいぞ」


 レティナの父、コルネウス=ホイールはケンゴウ目線から見て正義に立つ男であった。父への不信感を解消するケンゴウの言葉は、レティナにとって一種の精神的な助けであった。

 しかし、ケンゴウの話にはコルネウスの行動を疑うきっかけとなった人物は登場しなかった。レティナのクローンと推定される、スクレラのことだ。彼女のことをレティナは訊きたかった。


「ありがとうございます。ケンゴウさんは、スクレラという女性を知っていますか? 私よりも6歳ほど若い推定16歳の子ですけれど、私とそっくりな容姿の女性で、身体能力が非常に高いそうです」

「んー、嬢ちゃんにそっくりな女ねぇ。残念ながら、知らないな。嬢ちゃんはなかなか父親にそっくりじゃないか。そんなに似ている人間と出会っていたら、少なくとも俺の記憶に残っているはずだ」


 ケンゴウがこの返答をすることを、レティナは予想していた。この会議室でセロとレティナの顔を見てすぐに双方の父親との関係性に思い至ったほど人相に対して勘のいいケンゴウが、レティナと瓜二つとされるスクレラの顔を見て勘付かないはずがない。

 レティナは少しだけ気落ちしたが、スクレラについての情報を付加する。


「そうですよね……。私の父さんが私のクローンを作り出していて、それがそのスクレラという子ではないか、という疑惑があります。長年父さんのボディガードを務めていたケンゴウさんは、クローン生成に関して何かご存知ではありませんか?」

「……ほぉ、クローン、なるほどね」


 クローンという単語を聞いたケンゴウは、不敵な笑みを漏らした。スクレラと関係しているのかは分からないが、コルネウスとクローン技術については関係性が少なくともある。レティナはその笑みをそう理解した。


「嬢ちゃん、残念ながらそれは俺が答えられない質問だ」


 ケンゴウはわざとらしく口元を手で隠した。


「答えられない、というのは守秘義務契約に抵触しうる内容だということですか?」


 ケンゴウはラフな物言いで自由人らしさを感じさせるが、契約を始め約束事に関しては厳密に履行する性格であることを、この短い対話の中でもレティナは理解できた。

 クローン技術に対するコルネウスの姿勢に関しては、レティナたちが抱える謎の核心に迫る情報である。ケンゴウから聞き出す価値があると踏んだレティナは、語気を強くしてケンゴウに問いかけた。


「17年前の会議室の件で覚えていることについても話せないというのも、そういうことでしょう。ケンゴウさんは先ほどシンワダチの役員に対して『依頼者が生きている限り契約は継続だ』とおっしゃっていました。それは父さんとの契約においても適用されているんじゃないですか? ケンゴウさんは父さんと契約が継続していて、守秘義務契約を履行し続けていると理解しました。つまり、父さんは生きていて、必要であればケンゴウさんと連絡できる状況にあると推察します」


 レティナの淡々とした口調で展開される推理を、ケンゴウは口角を軽く上げて楽しそうに聞き入っていた。


「ほぉ、やっぱりお前、ホイールの血が流れているな。顔だけじゃなく、そういう理詰めな物言いもそっくりだ。まあ、今の推察には肯定も否定もしないでおく」


 そう言いながら白い歯を覗かせて、音の立たない程度の柔らかい拍手をレティナに送るケンゴウ。実質的に、それはレティナの推理を肯定しているのと同義であった。

 契約に関することだけには口が硬いケンゴウから、クローン技術に関する情報をこれ以上訊きだすのは難しいとレティナは判断した。《眼の能力オキュリシムス》の性質に関する話にシフトする。


「話を変えましょう。ケンゴウさんが私の父さんと出会ったとき、父さんは触れたものを粉々にする能力を実演したとセロさんから聞いています。そして、《眼の能力オキュリシムス》に関することは記憶から消えてしまう性質にも関わらず、セロさんは覚えていました。ケンゴウさんも覚えていますか? そして、父さんの能力が情報消失の対象外となっている理由は分かりますか?」

「覚えているか否かでいえば、覚えているな。どうしてそうなっているかについては、知っているが答えられない」


 核心部分に関しては、やはり伏せられてしまう。しかし、コルネウスの能力には情報消失が確かに適用外であり、そして、それには第三者であるケンゴウが理解できるだけの理由がある。それを聞くことができただけでも大きな収穫であった。そして、コルネウスの能力が「触れたものを粉々にする」というものであることに、訂正も異論も出なかったことから、それが真実であることもレティナは確認できた。


「……ありがとうございます。先ほど質問に出たスクレラという女性や、ガラムの一員であったカルダモという男は、常人では考えられない凄まじい身体能力を持っているにも関わらず、《眼の能力オキュリシムス》のことを忘れてしまうのです。そういった存在のことを知っていますか?」

「ほぉー、それは知らないな。初耳だ。ぜひとも戦ってみたいもんだ」


 ケンゴウは眼を丸くして驚いた。

 カルダモに関して行われたシンワダチ病院における人体実験は、ケンゴウは知り得なかった情報である。コルネウスが関わっていたことを否定する材料にはならないが、共に活動していたケンゴウが知らなかったことから、少なくともケンゴウの目の前で深い関わりはなかったのだと推定できる。


「ありがとうございます。私からの質問は以上です」


 レティナは立ち上がり、ケンゴウに深々と頭を下げた。


「ああ、あと俺のボディガードの無料特典をご褒美として贈ってやるんだったな。ほれ、この番号を電話に登録しとけ。あんたらからの依頼なら楽しそうだから優先するが、俺も忙しいから早くに予約をいれてくれよ」


 ケンゴウは作務衣の胸元の内側から長方形の紙片を取り出し、回転させてレティナの方へと飛ばした。一部が濡れてしまっていることにより回転して飛翔する名刺は少し逸れてしまうが、レティナは《観測スペクティ》による動体視力を活かしてなんとかそれをキャッチした。そこには、世界の重要権力者しか知り得ないケンゴウへのコンタクト先が記載されていた。

 名前も何も書かれておらず、単なる番号の羅列。レティナはケンゴウと接敵する前から所持品を透視していたが、これがケンゴウのコンタクト先だとは思っていなかった。今ではリングフォンの近距離通信で連絡先を交換するのが一般的なので、名刺や電話番号自体を交換する前時代的である。


「ああ、これは言ってもいいだろ。ホイールは、俺の知る限りそのスクレラという子のクローン生成には関わっていないぜ」


 スクレラという子、という箇所をケンゴウは強調して述べた。


「俺の勝手な推測だが、ホイールはお前たちの活動を認識しているはずだ。あのクソ子煩悩が自分の愛娘を気にかけねぇわけがねぇ。そして、お前が会いたがっていることも理解したうえで会わないようにしているはずだ。なぜ会わないのか、その理由は俺も知らん。ただ、事情があって会おうとしない相手に、お前たちから会おうとするってことは、デカい困難があると考えたほうがいい」

「……ありがとうございます」


 レティナは、自身が父から愛されていたという話はエリオン教授と叔父からしか聞いたことがない。仕事仲間であったケンゴウからもそのような評価を伝え聞き、その言は確かのだと実感してレティナは小っ恥ずかしくなってしまった。

 その後ろで、倒れていたセロがレティナの肩を杖代わりにして立ち上がった。レティナは急に片側の肩に重量がかかってバランスを崩すが、セロの上体を支えつつ踏ん張った。


「ケンゴウ、すまない、俺からも質問させてくれ。俺の父コソンがコルネウスやあんたと一緒に活動していたというのは、まさかアレのことか?」


 スクレラやコルネウスに関する謎を一通りケンゴウに投げかけたレティナは、セロからそれらに関する追加確認の質問が呈されると想定していた。しかし、セロから投げかけられた質問は、指示語で曖昧に暈されたものであった。レティナは、その指示語が何を意味しているのか思い当たらない。


「ああ、アレってのは、『コントローラ』のことか。《眼の能力オキュリシムス》を使って長年活動しているんだ。ミデンの坊主なら当然知っているか。そうだ、合っている」

「つまり、始まりはコルネウスとあんただったってことか。それに、俺の父も……」


 ケンゴウにはアレという指示語が伝わっているようで、セロとケンゴウ間で何らかの確認が行われた。レティナは眉をひそめて疑問を呈した。


「セロさん、何の話をしているんですか?」

「ホイールの嬢ちゃん、あんたはまだアレについて知らないのか。そうか、坊主が情報をうまく絞ってんだな。知らないなら、知らないままのほうがいいぞ」

「えぇ、そんなこと言われたら気になっちゃうじゃないですか」

「レティナ、知るべきではない何かがあるとだけ覚えておいてくれ。いずれ知ることになるだろうが、その時が知り時だ。今、俺やケンゴウの口から聞くのはレティナにとって良くない」


 知ることがトリガーとなって、何らかの不利益なことが生じる何かがある。つまり、《眼の能力オキュリシムス》に関する何かがあるのだとレティナは理解した。


「……なんだかよくわからないですけど、《眼の能力オキュリシムス》関連の何かってことですね。ティオ君は知っているんですか」

「いや、ティオも知らないはずだ」


 壁際で氷の塊に包まれて突っ伏しているティオの様子を、セロとレティナは振り返って確認した。ティオは怪我を負っていないが、壁に衝突したショックによって全身が痺れて立ち上がれていない。


「え、何のことです?」


 遠くから話を耳だけで聞いていたティオは、セロとケンゴウが話題に上げていたコントローラという存在に関しては本当に知らない様子だ。セロの質問が発端として漂いはじめていた深刻な雰囲気が、ティオの惚けた声で解消された。

 セロとレティナは小さく声を漏らして笑い、それにつられてケンゴウも大きく笑った。


「くはっは……、いいなぁお前たち。んじゃあ、もういいか? 俺はこのシンワダチの情報資産と奥の部屋でガクガク震えている役員を守る必要がある。さっさと帰ってくれるとありがたい」

「すみません、最後の質問です。元々、私達は十数年前にシンワダチ病院で行われていたとされる身体能力が向上する人体実験、そしてトスタ市長に対する脅迫の動機についてタヅナ役員に直接尋ねようとしてここにやってきていたんです。ケンゴウさんが契約で情報を守っている以上、そのことは諦めて帰ります。でも、タヅナ役員が起きたらそのことを伝えていただけないでしょうか」


 レティナは自分たちが確認したいことを先行して話してしまい、このシンワダチ先進研究センターにやって来ていた元来の目的を二の次にしてしまっていた。しかし、ケンゴウがタヅナ役員とシンワダチの情報資産について保護することを契約に含めている以上、これ以上タヅナ役員から情報を得ることは難しいとレティナは判断した。

 それならば、ケンゴウから自発的に調査をしてもらえるように誘導してみることとした。ケンゴウは身体能力が向上する特殊な処置について関心を抱いていることをレティナは読み取ったからである。


「ほぉーん、人体実験ね。いいぞ、俺も興味あるし、サービスで伝えておいてやる。どうせ俺の契約期間が終わったあとで、またお前たちはなんとかして聞き出そうとシンワダチにやってくるんだろう? 面倒事を避けたいなら俺との契約を更新し続けるか、早めに俺とお前たちに情報開示しておいた方が良いってことを伝えておいてやる」


 レティナの企みは成功した。

 ケンゴウとの契約金は多額であると噂されている。シンワダチの役員といえども長期間契約を継続することは難しい。ケンゴウからの圧に負けて、どうしても隠したがっていたシンワダチ病院閉鎖の背景や脅迫の動機について、タヅナ役員はいずれ話してくれるはずだとレティナは判断した。

 セロも、今回の目的は十分以上に達成できたと判断し、レティナに頷いてその意を示した。


「セロさん、いきましょう。私もヘトヘトですから、肩とか貸せませんよ。さあ、ちゃんと立って!」

「ぐ……、レティナ。もう質問はいいのか?」

「欲しい情報は得られたと思います。父さんに関する直接的な情報も守秘義務の内でしょうし」


 レティナは壁際に倒れているティオの方へと小走りで近づいた。


「ティオ君、意識ある?」

「ぐむ、なんとか……大丈夫」


 レティナはティオの腕を引き上げ、それを自らの首の後ろに回してティオの身体を引き起こした。ティオも身体の感覚をようやく取り戻し、地面を踏みしめてレティナに預ける体重を軽くした。


「はあ、復帰直後に全身骨折するかと思ったよ……」

「ティオ君、ほんとにありがとう。ティオ君が居なかったら負けてたよ」


 レティナはティオの背中を優しく叩いてその健闘を称えた。

 セロも足を引きずりながらゆっくりと2人に近づいた。そして、高い位置から両手を下ろし、その大きな手のひらで2人の頭を包み込んで撫でた。ティオの方は、髪型が大きく崩れるほど強く撫でられた。


「ケンゴウ、感謝する。あんたの力を借りたいとき、連絡させてもらうよ」

「おう。坊主の空中を跳ねる能力は磨けば光りそうだ。次会うときはもっと化けていることを祈っているぜ」


 セロは2人の頭から手を話し、両腕を大きく横に広げて2人を抱きかかえて持ち上げた。ケンゴウとの会話の時間を使ってセロの体力は回復し、能力もある程度は使うことができるようになった。

 エレベータでは認証が必要なので、ティオも含めた3人で正規のルートからシンワダチ先進研究センターを退場することは難しい。ここから逃れるためには、外に飛び出すしかない。


「あの、セロさん、窓から行くんですか?」

「それしかないだろう。ティオも頑張って飛んだんだから、レティナも経験しとけ」

「は、はひぃ……」


 セロは、2人を抱えたまま高速移動の能力で割れた窓から飛び出した。

 レティナの情けない叫び声がフェードアウトしていくのを聞きながら、ケンゴウは窓の外を向いて手を振って見送った。


◆ ◆


 ガラスと水と氷が散乱した広い会議室にケンゴウだけがぽつんと取り残された。作務衣の左脚側と右腕側は露出してしまっており、夏場とはいえ氷に包まれたので少し寒さを感じている。

 ケンゴウは金属棒を拾い直し、それを自身の斜め上の空間に横振りする。金属棒の先端が通った空間に音も立てず楕円形の穴が開く。直径30センチほどのその穴の奥には、何者も見通すことができないと思わせる完全な闇が広がっている。

 そこから、ぬるりと新品の作務衣が落ちてきた。ケンゴウはそれを空いていた左手でキャッチし、さっと着替え直す。

 ケンゴウが新しい作務衣の袖に腕を通すと同時に、会議室の出入り口の扉が開いた。


「映像も音声も全部切れてしまってどうしたかと思ったよ、ケンゴウ君」

「おお、会長。別会議に出ていたんじゃないのか?」


 わずかに黒い毛が混じった白色の髪を頭の中心で分け、その隙間から覗く切れ長の眼が特徴的な男性が会議室に踏み込んだ。幾本もの深い皺が顔面の立体感を強調し、艶やかに蓄えられた白い口ひげを強調している。ケンゴウを少し細身にした程度の恵まれた体格によくフィットした紫色のスーツに包むこの男が、シンワダチの怪物と呼ばれる新轍クサビ会長だ。


「君の安否が心配になってね」

「くははっ! 嘘を言いなさんな。何でも屋のことについて聞きに来ただけだろ」


 クサビはケンゴウの言葉に軽く肩をすくめて軽くはにかんだ。柔和な笑みを浮かべたまま、クサビは手のひらを上に向けて指を揃えて曲げ、ケンゴウの報告を促した。


「ミデンの坊主は戦闘に関しちゃあ、かなりの域にいる。父親をも超えるだろうな。ホイールの娘については、底が知れねぇな。あまりにも虚弱だが、それを十分にカバーする状況判断能力が見て取れた。突撃してきた氷の坊主と交えたのは一瞬だったが、精神的な未熟さを克服すれば化けそうだ。そんな印象だ」

「ほおぉ、君が他人をそんなに褒めるとはね」


 クサビはゆったりとしたリズムで拍手を鳴らしながら、散乱した会議室をぐるりと一望した。窓際に立つケンゴウに視線を留めると、拍手を継続したままケンゴウの近くへと歩き出す。


「会長のことだ。あいつらがミデンとホイールの血縁だと知っていただろ。どこまであんたの手の内なんだ? 俺と何でも屋を接触させて何をさせたい?」

「手の内なんて言われると悪いことしているみたいに聞こえるじゃないか。私は眺めていただけだよ」


 ケンゴウとクサビの両者が腕を軽く伸ばせば触れられる程度の距離でクサビは立ち止まった。


「妹を操って市長を困らせる。市長の相談先が何でも屋になるように裏側で斡旋する。何でも屋は困り事解決のためにシンワダチを調べる。それが『眺める』の範疇に収まるんなら、そうなんだろうな」

「まったく君は面白い想像をするね」


 クサビの声は喜色に富んでいるが、その眼と顔から先ほどの柔和な表情は失われていた。


「折角会えたんだから聞いておこうか。シンワダチが運営していた病院で人体実験みてぇなことをやらかしていたらしいが、会長は承知してんのか? 十何年前って言っていたから、アンタの政権下での話だろ?」

「ああ、難病対象の臨床試験のことかな? 責任者が妹のタヅナで、私はその尻拭いをした案件だね。中間評価で達成基準が未達で早々に終了したと報告を受けていたし、私自身もそう認識していた。人体実験と呼べるようなことは本当に何も知らないね」


 クサビは眼を閉じて軽く下をうつむき、首を横に振った。ケンゴウはその表情から真偽を読み取ろうとしたが、鉄面皮の怪物から有用な情報を得られるはずもなかった。


「会長らしくないな。何でもかんでも120%理解して掌の上で転がすって印象だったが、どうにもアンタが後手に回っているように思える。意図的なのか、そうならざるを得ないのか」

「その人体実験とやらに《眼の能力オキュリシムス》が関わるんだったら、私のチカラでもどうにもならんよ。文字通り何でもアリなんだからね、この世界は。それに、私ももう歳なんだ。人に完璧を求めるのは酷だよ」


 訝しむケンゴウの突っ込みを、流れる水のようにのらりくらりとクサビは躱す。その様を見て、ケンゴウはこれ以上クサビに追求しても欲しい情報は得られまいと観念した。


「ま、そういうことにしといてやるか」


 ケンゴウは手にしていた金属棒を杖のように地面に突き立て、すぐに手を離した。支えを失った金属棒は、ゆったりと自重に任せて地面に倒れ、2人の男しかいない広い会議室にガランガランと何度か音を響かせて静止した。割れた窓から生ぬるい風が吹き込んで、両者の髪を揺らした。


「ああ、しまった。もう次の会議に行かないと。ケンゴウ君、それじゃあまた。この会議室については妹経由で警備部長に知らせておいてくれ。警備部長は話の分かる人だから、この惨状の後処理もしてくれる」

「はいよ、わざわざどうも」


 クサビは左手首のスーツから僅かに見える機械式の高級腕時計を見て時間を確認した。同時に装飾の多いリングフォンを起動して、次の会議の予定を一瞥した。そのまま、会議室の出入り口ドアの方へと振り返った。


「いつもの口座に特別ボーナスも含めて送金しておくよ。ああ、何でも屋にも詫びの品を送っておくように妹に調整させよう」


 クサビはそう言いながらドアに向けて足早に歩き、手を上方でひらひらと振って退室していった。

 ケンゴウは再びこの広い会議室に独り取り残された。ケンゴウがふぅと深いため息をつくと部屋に吹き込む風が止まり、辺りに数秒の静寂が訪れた。その静寂を破ったのは、肩をふるわせるケンゴウの笑い声だった。


「くぁーっはっはっ! ガラムもシンワダチも、何か動き出そうとしてやがるな。その2つが動くんなら、コントローラも表立って行動し始めるだろう。その渦中に、何でも屋の奴らが否応なく入り込むことになる。利用権を送っておいて大正解だな」


 タヅナのボディガードとして気怠そうにしていた当初とは打って変わって、ケンゴウはその眼に夢見る少年のような輝きを携えていた。ケンゴウは、軽くスキップでも踏むような軽い足取りで、今回の一件の後処理をするべくPA室へと向かった。


◆ ◆


 トスタ市から海を越えた、エントと呼ばれる新興国家の地。大陸に面した広い土地に加えて、複数の細かい諸島に跨がってその領土を有している。数十年前に軍事クーデターとともに成立したエント国は、合法・非合法問わずに高品質な武器を製造し周辺各国に技術者とともに売り込むことで財を成していた。

 物流の盛んな大陸側のエントは軍事産業に関わらず発展し、いつの間にかその首都は観光地としても衆目を集める存在となった。当時の独裁者の趣味が反映された首都は城壁都市として丁寧に区画化されており、正方の広い城壁の中央に聳える電波塔はエント国のシンボルであった。

一方の島側のエントは、技術者育成の専門施設が監獄のように立ち並ぶ閉鎖空間であった。


 政治の中心も、華美な産業の中心も、すべて大陸側が支配している。島側は、ただ奴隷のように人を育て、機械のように動く人間を兵器とともに出荷する、非人道的な人間農場であった。


 この事実が世界に明るみとなるのは、2102年のことだった。

 その年、エント国の首都に、人類がこれまで使用してきた中でも比較的小規模な戦術核兵器が投下されたと云われる。爆心地と思われるのは電波塔の上空であるにも関わらず、電波塔だけが形を残して、首都のあらゆる建造物が砂塵へと帰された。

 電波塔に滞在していた35名の職員、16名の観光客だけがこの被害の生存者である。城壁内部に在住する人間、または仕事や観光に来ていた人間、その計およそ25万人には、一切の生存者は認められなかった。爆破の衝撃で弾き飛ばされた瓦礫により首都の城壁外部の都市にもいくらかの建造物への被害はあったものの、不思議なことに爆破によって首都の外で直接的に死亡した人は報告されなかった。


 本当に戦術核が利用されたのかさえ怪しいと思われる事態にも関わらず、あらゆる社会学者や軍事評論家はその詳細を調査することはなかった。近代史の専門書や教科書に、エント国の悲劇が綴られる文量はごく僅かである。

 ただ、エント国への国連の強制立ち入りの調査によって、「大陸エントの島側エントに対する処遇に業を煮やした技術者の一派が独自に核兵器を作り出し、自国の首都に放つという国家無理心中によってもたらされたものだ」との結論が公表された。


 エント国に訪れた悲劇は、《眼の能力オキュリシムス》による人類史上最大の厄災だった。情報消失の性質により、その真相を認知できる者はほとんどいない。


 エント諸島のある1つの施設、まるで中世の宮殿のようにも見えるその建物に、男と女がいた。

 男は浅黒い肌にわずかな肥満体型。剃り込みの入った坊主頭に、切れ長の目尻。艶やかな模様が浮かぶ緑色のシルクのスーツに身を包んでいる。

 女は、20代にも40代にも見えるようなカッチリとキメた厚い化粧を施している。ツヤが輝く灰色の長い髪をハーフアップで後ろにまとめており、結んでいない髪は肌まで透けて見える全身を包む肌着にやさしく腰まで沿っている。

 ロッキングチェアに座るその女に、男がレンガ造りの壁を拳でコンコンと叩いて話しかけた。


「ボス。今、時間よろしいか?」

「あら、マジョラムが私を訪ねるなんて珍しいわね」


 ボスと呼ばれた女は、ガラムの元老マジョラムの方を一瞥もせずに気怠そうにチェアで揺れていた。


「主幹のフェンネルが1週間音信不通だ。その配下の地区幹部カルダモも部下含め行方不明とのことだ」


 自身にほとんど関心を寄せない女のことを厭わずに、マジョラムは報告を続けた。


「へぇ。幹部レベルが死んだり飛んだりなんてこと、よくあるじゃない」

「ボスが人間に興味がないのは知っている。そのフェンネルとカルダモの管轄地域が、トスタってのが問題なんだ」


 その言葉に、女はようやくロッキングチェアの揺れを止めた。首を動かして、女は視界の中心にマジョラムをとらえた。


「それを早く言いなさいよ。その幹部連中は、コントローラに粛清でもされちゃったのかしら」

「まだ調査中だ。しかしまあ、フェンネルが粛清されるのは分かるが、カルダモが粛清される対象になるとは思えん。あの男は実験の成功例であって、《眼の能力オキュリシムス》を有していたわけではない」


 女はゆったりとロッキングチェアから立ち上がり、側の机に乱雑に放置されていた鮮やかに赤い織物の上着を羽織った。マジョラムに背を向けて、陽の差す広い採光窓の方を見やった。

 宮殿様のこの建物には格子状の色付き窓が採用されており、マジョラムからは女の薄い衣服を透過して虹色の光が放射されているように見えた。


「ああ、思い出したわ。カルダモって、実験で重ねられた人間のことね」


 女は両手を横に大きく広げて胸を拡げて伸びをした。しばらく椅子に揺られて身体が固まっていたようだ。


「そうだ。それを俺が回収して組織で運用していた。しかし、フェンネルを上に付けたのは俺の失態だったな。組織のシステムを刷新したことは評価できたんだが、指揮者には向かなかったか。外様の人間はロクなもんじゃあない」

「主幹の配置がマジョラムの仕事でしょう? 後任を早く決めなさいよ」


 女は赤い上着をはためかせながらマジョラムの方に振り返り、唇を軽く突き出してマジョラムを非難した。


「言われるまでもなく選出済みだよ、ボス」

「あ、そう」


 マジョラムに軽く言葉を返された女は、面白くなさそうに眉を上げて、再びロッキングチェアにトスンと音を立てて座った。その勢いで、チェアは激しく前後に揺れ動き始めた。


「ねぇ。そのボスって呼ぶのやめてくれないかしら。混乱するから、いつもの呼び名でいいわ」

「分かったよ。ガラム様、でいいか?」

「ええ。様も要らないけど、その辺りは勝手にして」


 ガラムという犯罪組織の長。あらゆる警察組織が血眼になって追いかけるその人物が、この女であった。

 あまり強くは畏まる様子のない元老のマジョラムの雰囲気も相まって、ガラムという女は威厳を感じさせない様子だ。


「しっかし、幹部連中がやられた原因が粛清にしろ、他の要因にしろ、トスタがこれから荒れるのは否めないわね」


 ガラムは身体を揺らしながら天井をぼんやりと見つめて、今後の成り行きを想像した。


「そうだな。あの子が育った地でもある。知らせたら悲しむかもしれないな」

「そんな性格じゃないと思うけれどねぇ。あの子、スクレラは」


 ガラムが呟いたその名前は、セロの因縁たる少女の名前だった。

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オキュリシマ Oculissima 眼に宿る超常の力 鬱金みね @ucommine

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