第1話
私にとってこの集落で唯一の娯楽といえば本を読むことだった。私はちっとも育ちやしない農作物を育てるための仕事を終えた後は専ら本を読むことに集中していた。
周りの奴らは各々の仕事が終わった後はただでさえ少ない食料を賭けた賭博かセックスで日々の退屈を誤魔化していた。
どの者も栄養状態がそれほど良くないから、仮に子供が出来ても流れるか、生まれてきてすぐに死んでしまう。
私が暮らすこの世界はそんな人間にとって過酷ともいえる場所だった。
祖先が住んでいた場所はこんな風ではなかったらしい。
集落にある書庫にはかつて我々の祖先が暮らしていた現世について書かれたものが数多くあった。それらの情報を参照すれば、現世には太陽という強い光が頭上から世界を照らし、海という水の塊が世界の半分以上を覆い、残った場所に大地があるのだとか。
大地には1億という数えきれないほどの人間が飢えないほどの農作物を育てることができるらしいが、今にも枯れてしまいそうな農作物しか見たことがない私には想像もつかないことだ。
いつか見てみたいと、そんなことを思いながら私は大人たちが異界と呼ぶこの世界で生きてきた。
けれど、そんな夢もそのうち諦めた。
本によれば食物が育ちにくい土地はやせた土地というようだが、異界にはまさにそうした瘦せた土地しか存在していない。
だから、その日の暮らしを営むのも苦しく、私たちは育つかも分からない農作物を育てることに生活の殆どを費やしていた。
辛うじて本を読むことくらいは許されても、夢を抱いている暇などどこにもなかった。
そんな暮らしの中で、本を読むことだけが私の救いだった。
けれどそれも今日で終わることになるだろう。
集落の書庫にはどこから持ち出したのか分からぬほどに膨大な蔵書があるが、無限にあるわけじゃない。
読破し続ければいずれ全てを読み終えてしまう。
私が今手に取っている本は私がまだ読み終わっていない唯一の本だった。
タイトルは『変わり果てた世界での冒険について』だ。
その本には現世に起きた劇的な変化と動乱について筆者が経験したことが事細かく書かれていた。
先祖の地について書かれた本の殆どは現世に大きな変化が起こる前の世界に関するものが多く、変化した後のことが書かれているものはごくわずかだ。
これまで多く本を読んだが、今の現世について詳しいことは何も分からなかった。
それも当たり前だろう。異界に来る前の人類であれば可能であった製本技術も異界に来たことで失われてしまったし、集落の外に出ていって帰ってきた者もいないからだ。
書き手がいなければ書には残らないし、それは本を作ることができない場合でも同じことだ。
あるいは、書かれている本も抽象的なものが多く、具体的なことは何も分からないような、私からすれば出来が悪い物しかなかった。
一度気になって探そうとしたこともあったはずだが、どういうわけかその時には『変わり果てた世界での冒険について』という本は見当たらなかった。
いずれ書庫にある本の全てを読み切るつもりでいたからそのうち見つかるだろうと思っていたため、変化した後の現世に関する本についてはそれほど熱心に探したわけではなかった。
また、探してもこの本は見つからなかっただろう。
最後の本だと思って手にした本の背表紙は『変わり果てた世界での冒険について』全く別のタイトルで、手に取った後にブックカバーが誤ってかけられていることに気が付いたのである。
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