第5話
次の休みの日。私たちは常磐線の始発に乗り込んでいた。
父の実家と疎遠になっていたのは、この常磐線が震災で途切れていたことも一つにあった。
車を持たない私たちが、父の実家のある磯原に向かうには、一度東京に出て、常磐線を北に向かわなくてはならなかった。常磐線が完全な形で復旧したのは、つい最近の出来事。まるで常磐線の復旧を待っていたみたいだ。私はそう思った。
浜吉田を過ぎた頃から、新しい駅が続く。この区間は、内陸に移設して運転再開した区間だ。初めて常磐線で南下する娘でさえ、真新しい高架の駅が伝える震災の傷跡に、自然と無口になっていた。
原ノ町で乗り換え、野馬追の発車メロディに送られ更に南下すると、ふと気が付く。車両に私たちだけしかいない。
原発事故によって、帰宅困難区域になった土地と、それが解除された土地を縫うように走る新しい線路。まるで異世界を走るように、悲しげな風の音だけが聞こえていた。
ボックス席の向かいの席から、娘が隣へと移ってきて、私の手を握った。私は娘を安心させるように小さく微笑むと、娘の温かく少し湿った手を握り返した。
もう世間は全てが元に戻ったように感じているのかもしれないけれど、ここで失われたものは、どんなに新しくなっても、綺麗になっても、永遠に元通りにはならないのだ。
Jヴィレッジを過ぎると、また少しずつ人が乗り込んで来た。モノクロのように感じていた車内が、少しずつ色を取り戻すように、会話や笑い声が聞こえ、車内が色付いていく。いわきに着く頃には、学生たちの集団が、あちこちで会話に花を咲かせていた。
いわきで学生たちが降り、車両はまた一気に景色が変わった。一つの路線を南下するだけで、車窓の外だけでなく、車両の内側でも景色が変わっていく。だから普通列車の旅は面白い。
「あっ、海」
娘が向かいの席に戻って、車窓に顔を近付けた。
海が見えてきたということは、目的地が近付いてきたことを示している。
父の運転する車で来る時は、岩礁の二ツ島が見えると磯原に着いたと思ったものだった。
私は車窓から二ツ島を探したが、見えそうになったところで電車はトンネルに入った。
磯原駅に着くと、改札で従兄弟の貴雄さんが手を振って待っていた。
長い間、不義理を働いたのに、伯母さんに話を聞きたいこと、祖父や伯父さんの墓参りがしたいと連絡をすると、快く迎えの車まで出してくれた。
従兄弟と言っても、私とは二十歳くらい齢が離れている。私に短大生の娘がいるように、貴雄さんもまた随分と老け込んでいた。
「母ちゃんに、一美ちゃんが会いに来るって言ったら、やっぱりって笑ってたっけ」
車に乗り込むと、貴雄さんが言った。
この辺りの語尾にけが付く訛が懐かしい。
「伸子さんが亡くなったら、来るんでねぇかって、思ってたんだど」
そんな風に予想されていたなんて。私は苦笑いしながら、シートベルトを締めた。
駅からさほど離れていない介護施設に、伯母さんは数年前からいるのだという。海沿いを走ると、さっき見えなかった二ツ島が見えてきた。しかし、記憶の中の二ツ島と何かが違う。それに気付いたのか、貴雄さんが言う。
「二ツ島は震災で、小せぇ方が崩れて無くなったんだっけ」
「ああ、だから何か違和感があったんですね」
私が答えると、娘がキョトンとして私を見た。
「も一つね、島があったのよ。だから二ツ島だったの」
娘が納得して何度も頷く。
「じゃ、あれはどうなったんでしょう。島に触って願い事を三つすると、そのうち一つは叶うってやつ。島が一つになっても有効ですか?」
「さあな。帰りに試してみればいい」
バックミラー越しに、貴雄さんが笑った。
入館手続きをして、案内されるまま居室に通されると、そこには昔の面影が僅かに残る痩せ細った伯母さんが、車椅子で待ち構えていた。
「なんだっけ、話みたいだっけな」
小さく感嘆の声をあげて手を広げる伯母さんを、私は抱きしめた。
「娘も一緒なんです」
私は娘を手招きした。
娘が恐る恐る近付いて来る。
「大きな娘さんだっけ」
戸惑う娘に構わず、伯母さんは娘もその細い腕で抱き寄せた。
「この写真に見覚えはありますか?」
あの赤ちゃんの写真を見せると、伯母さんの口角が少しだけ動いた。
「伸子さんも同じ事、聞いたっけな」
私は娘と顔を見合わせた。
「母もこの写真を持って来たんですか?」
伯母さんが頷く。
「昭さんが写真と手紙を大事に持ってたのを見つけて、問い詰めたけど何も答えねぇから、お義姉さんに聞きに来た、って」
私は唾を飲み込んだ。
「教えたんですか?」
再び、伯母さんが頷く。
「隠したって仕方あんめぇ。もう手紙も読んでんなら、隠す方が酷だっけな」
「私たちにも、教えてもらえますか?」
伯母さんは、引出しを指差して、貴雄さんに合図した。
貴雄さんが引出しから、茶色に変色した封筒を取り出した。
「これは、伸子さんには見せてねぇ。何で昭さんが結婚を承諾して、仙台に行ったのか。これは隠しとかなきゃなんねぇ」
宛先は伯母さん、裏を返すと桐島志津子と名前だけが書かれていた。
「昭さんは次男でお義父さんの亡くなった先妻の子だったから、早いうちに東京さ
娘が私に耳打ちする。
「丁稚って何?」
「大きなお店屋さんに住み込みで働く十代とかの若い子の事よ」
娘にはピンとこないようだ。
それも仕方ない。私だって、朝ドラなんかを観て知ったくらいだ。学校にも行かず、働く子供がいた時代なんて想像も出来ないだろう。
「屋号は忘れたが、日本橋箱崎町の大きな商家で、昭さんは若い頃を過ごしたんだっけ」
「箱崎に住んでたのは知ってます。水天宮に通ってた話を、昔聞いたことがあります」
私の言葉に、伯母さんが二度頷いた。
「そこで志津子さんと出会った」
私はもう一度、封筒の名前を見つめた。
「その家の旦那さんの妾腹で、丁稚と同じ様に使用人扱いで働いてたんだど。二人のことは旦那さんも許していて、二人は結婚するつもりで家を出て、亀戸の時計工場で働き始めた。ところが……」
「ところが?」
「跡取りの長男が肺病を病んで、跡を継げなくなったもんで、志津子さんは婿を取る為に家に呼び戻された……」
「そんな……」
あまりにも身勝手な話。でも昔は当たり前にあった話。
「家に戻されたところで、お腹に子供がいることが分かったんだっけ」
私も、娘も、言葉が出なかった。
娘でありながら、外に出来た子ってだけで、使用人の様に扱われ、一度は結婚を許しておきながら、呼び戻され、知らない人と結婚させられる。ほんの数十年前の日本で、当たり前に起きていたこと。
「志津子さんは、是が非でも産むってきかなかった。それで、磯原にやって来たんだっけ」
「ここに?」
私は、涙が零れ落ちそうになるのを堪えて聞いた。
「お腹が目立つ前に本家に来て、女の子を産んで東京さ帰った。昭さんが鉄道好きなの知ってて、志津子さんが家を継ぐ条件として、昭さんを鉄道学校に通わしてくれって頼んだっけよ」
私の頬を涙が落ちていった。
それで父は車掌になったのだ。志津子さんは父の夢を叶えるべく、その身を投げうったのだ。
「でも、汐留の宿舎で、女との手切れ金で車掌になったと揶揄われて、喧嘩になって、車掌を辞めて、昭さんは磯原さ帰って来た」
あの東京大空襲の武勇伝を語る父を思い出す。
車掌だったことが誇りだった父。愛した人が叶えてくれた夢。でもその夢もまた失った。
「その手紙を読めば分かる。何で誰とも結婚せずにいた昭さんが、結婚して仙台に行く気になったのか……」
私は伯母さんに促されるまま、封筒から便箋を取り出した。母が持っていた手紙と同じ文字。
「娘は、仙台の桐島の遠縁に引き取られ、すくすくと育っているといいます……」
「仙台!」
娘が、手紙を覗き込んだ。
「名前は、
娘が私の顔を見つめた。
父は、瞳の漢字を忘れたのではない。一美と書いて、ひとみとも読めるから、確信犯的にこの名前を出生届に書いたのだ。
この世に生を受けながら、手許で育てる事が叶わなかった愛娘と同じ名を。同じ仙台の地で、生きているかもしれない二人の娘に、分かるように目印を付けたのだ。
「仙台は七夕の街だから、いつかきっと何処かで巡り会えるかもしれないでしょう」
そのフレーズを私は聞いた事がある。
『仙台は七夕の街だから、毎年その頃に手紙を書くわ』
私は震えながら、嗚咽した。
「伸子さんは、随分と気落ちして帰ったよ。親に言われてした結婚でも、昭さんのことを大切に思ってたんだと思うよ」
だから、母は許せなかった。父が、ずっと違う誰かを思っていることを。愛のない結婚じゃない。ちゃんと母は父を思っていた。
そして、父も……
「父に聞いた事があるんです。『なんであんなガミガミいうお母さんと離婚しないの?』って、そしたら『一緒にいてやらないと、お母さん、生きていけないだろう』って。今思えば、あれは照れ屋な父の精一杯の愛の言葉だったんですね」
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