第18話 *守人*



*守人*




いつものように、僕と勇運がケンカをして。そして、いつものように母さんに叱られて。


「勇運がわるい」、「守人がわるい」なんて言い合って疲れた僕たちは、まるで折り重なるように横になり、いつの間にか眠っていた。そして、先に僕が目を覚ました。


勇運が足の上にいるせいで、上半身を起こせても、動くことができない。喉が渇いた僕は、「動きたいのに動けない」――ただ、それだけの事で泣いてしまった。



「う~……っ」



すると、その時だった。



「守人、ほら。これ」

「父さん……」



母さんに怒られた僕たちを慰めるのは、父さんの役目だった。それは、この日も同じで。父さんは、動けない僕を見越して。コップに、ジュースを注いで持ってきてくれた。



「勇運は、まだ起きそうにないね」

「うん……」



ズビ、ズビと。鼻を鳴らして、嗚咽をもらす僕を見て。父さんは、優しい声で笑った。



「ふふ。お前はよく泣くね、守人」

「……むぅ」



図星だからこそ、何も言い返せない。勇運よりお兄ちゃんなのに、勇運よりも泣く回数は多かった。だけど父さんは、泣き虫な僕を責めるとか。そういうことは、一切しなかった。


むしろ――



「守人はよく泣く。だけどね、とっても優しい子だ」



そんな事を言った。



「でも……優しいだけじゃ、ダメでしょ? 僕は泣き虫だから、カッコ悪いよ……」

「でもね、優しい子が、人を守れるんだよ。守人には、誰かを”守”る”人”になってほしい。そんな願いを込めて、”守人”と名付けたんだ」


「え……」

「守人は、大きくなるにつれて強くなる。泣き虫も、そのうち卒業できるさ。だけど、どうしても不安になる事もあるだろう。その時は――弟を頼るんだよ」


「勇運を?」



なんで勇運を頼らないといけないの?


そんな僕の不満を感じ取った父さんが、「そう顔をしかめるな」と。少しだけ困った顔をした。



「”勇”気を”運”ぶ。それが”勇運”だ。挫けそうな守人に、勇気を運んでくれるように。勇運から勇気を貰った守人が、また誰かを守れるように――そうやって兄弟寄り添って協力し合えるようにと。お前たちに、ぞれぞれ名前を付けた」

「ゆう……、しゅうと……」



改めて名前を繰り返す僕を見て、父さんは、またほほ笑んだ。そして、涙が止まった僕と、そんな僕の上で眠る勇運を、交互に見やった後。大きくて温かい手を、それぞれの頭に置く。



「お前たちは兄弟だ。決して、一人じゃないからね」

「……うんっ」



その時、僕が僕である理由を、初めて聞いて……すごく嬉しかったんだ。だから、僕に寄り添って眠る勇運と一緒に、父さんに負けないくらい大きく強くなろうって。


あの日、父さんの温かな手に撫でられながら、そう思った――





「――……ん、さん。守人さん!」

「え、あ」


「大丈夫ですか?」

「……うん」



冬音ちゃんの隣で、ベッドに座る勇運。生意気な顔で「気絶してなくて良かったな」なんて。そんな憎まれ口を叩いている。


ねぇ、勇運。


お前がお前である理由、きちんとあるんだよ。知ってる? いつか、父さんから教えてもらったのかな。……いや、きっと知らないだろうな。


父さんも、分かってるはずだ。勇運に「兄弟寄り添って」と話したところで、舌をべーっと出して、反抗的な態度をとるに決まってるから。


だけど、父さん。

勇運はね、きちんと僕に勇気を運んでくれたんだよ。


あの時、



――警察官なんだろ、前をみろ。兄貴の目に写ってるのは、正義じゃないのかよ

――弟を信用しろ。兄貴が戻って来るまで、死にはしないって



勇運の言葉がなければ、僕は動けなかった。警察官として、間違った行動をしていたと思う。あの時の僕を、勇運が正しい道に導いたんだ。僕に勇気を、運んでくれたんだよ。



「ねぇ、勇運」

「なんだよ?」



ありがとう、って。そう言いたいけど……冬音ちゃんの隣にいる勇運に、この気持ちを素直に伝えるのは、なんだかしゃくだから。



「……やっぱり、」



教えてやらない。

兄のプライドとして、しばらくは僕の胸の中だけに、とどめておくことにする。



「なんか今、妙に腹立ったんだけど」

「そう? 気のせいじゃない?」



兄弟ケンカをおっぱじめそうな僕たちを察してか。冬音ちゃんが、遠慮気味に話し掛ける。



「守人さん、大丈夫ですか? 夏海がそばにいて……」

「冬音ちゃん……うん、大丈夫だよ。少しずつ慣れていきたいって、僕もそう思ってるから」

「守人さん……」



今もなお、僕の前にいる冬音ちゃんの弟――夏海くん。その小ささが、あの日、父さんの話を聞いた僕とよく似ていて。



ぽんっ



あの日の父を真似て。思わず、夏海くんの頭に手を乗せた。



「え……」



驚いたのは、僕以外の全員。ゴクリと、生唾を飲む音さえ聞こえてくる。確かに、僕自身も驚きだよ。子供は生涯嫌い続けると、無意識の内に、自分の中で決めていたから。そんな僕が、夏海くんの頭を撫でているなんて。


だけど、どうしても託したいんだ。



「……待ってる」



あの日、家族を守りたいと。その一心で警察官を目指した、僕の安直な気持ちではなく。僕みたいな心の弱い警察官を見て、それでも「警察官になりたい」と。そう言ってくれる、この子の未来を信じたい。



「夏海くんが大きくなって警察官になった時、一緒に働けることを楽しみにしてる。だから、待ってるよ」

「う、うんッ!」



小さな頭の上で何度か手を往復させると、夏海くんは顔をほころばせた。「へへー!」と、なぜだか誇らしげで。



「……ふふッ」



その姿を見ると、どうしてか。僕まで嬉しくて、笑ってしまったんだ。



「おまわりさん、なんで笑ってるの?」

「うん。こんな可愛い後輩が出来るなら大歓迎だな、てねっ」



夏海くんは訳が分からずに首を傾げた。だけど、どうやら一線を越えることは出来たらしいと安堵した冬音ちゃんは、涙を浮かべながら、僕たちのことを見守ってくれていた。そして、人知れず心配していた、僕の弟も。



「おい、いい大人がなに泣いてんだよ」

「……な、泣いてない」



ねぇ父さん。

やっぱり、勇運には一生教えてやらない。僕と父さんだけの、内緒の話ってことにしていいかな?



「ちょっとだけ窓を開けるね」

「おい。病人に風邪を引かす気かよ」

「すぐ閉めるってば」



泣き顔を見られたことが気に食わなくて、しかめっ面で窓を開けた。

すると、十二月だというのに。温かな風が、ふわりと中へ入って来て……


サラッ


僕の頭をひと撫でした後、静かに消えた。


それは、まるで父さんが、あの日みたいに僕の頭を撫でてくれたようで。今もなお、あの優しい目で、温かく見守ってくれているようで。



――いいよ。名前の話は二人の秘密だ



って。

僕に向かって、そうほほ笑んでくれた気がした。




*守人*end

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