第9話 素直な勇運くん③
「ゆ、勇運くん!」
こんな近くに夏海がいたら、また勇運くんの調子が悪くなっちゃう!
冷や汗をかきながら勇運くんを見る。すると、
「……」
勇運くんは、腕を組んで壁にもたれかかっていた。顔だけ窓の方へ向け、空に線を描く飛行機を目で追っている。その様子は、いたって普通で。昨日の勇運くんとは、全く違っていた。
「勇運、くん……?」
「ん? なんだよ」
「なんだよ……、って」
こっちが「どうしたの」と聞きたくなる。だって勇運くん……平気なの? 夏海だよ?
すると夏海が勇運くんを見つけた。そして「あぁ、昨日の!」と。勇運くんをめがけて、半ばタックルしながら抱き着いた。
ギュッ
「!?」
驚いて、目を開いた勇運くん。
だけど、夏海は……
「にーちゃん~、ありがとう! にーちゃんがねーちゃんを助けてくれたんだよね!」
「や、お……俺は、」
「ねーちゃんを守ってくれたんだ! にーちゃん、超カッコイイよ!」
「!」
夏海の言葉に、勇運くんはゆらっと体を揺らす。それが体調が悪くなったからなのか、単によろめいただけなのか――それは、勇運くんの表情を見ても分からなかった。
「夏海、おねーちゃんの所においで」
「え~、なんで?」
なんにせよ、勇運くんをフォローしないと!
ベッドを降りて、スリッパを履く。そのスリッパに一瞬だけ目を移した、その時に、信じられない事が起こった。なんと、勇運くんが床に片膝をつけ、夏海と視線を合わせていたのだ。
「ゆ、勇運くん……?」
「……」
勇運くんは真顔だった。真顔で、夏海を見ていた。背の高い人が、いきなり自分と同じ大きさになった事に驚く夏海。そんな夏海を見て、勇運くんは――
ぽんっ
「お前のおかげで、ねーちゃんを助けることが出来た。教えてくれてありがとうな」
「え、う……うん!」
勇運くんは夏海の頭に手を置き、そして……ニッと笑ったのだ。
「……~っ」
それを見た瞬間、なぜか私は泣きそうになって。
――いくら三石が”私と関わらないで”って言っても、もう俺は決めたんだ。三石の傍を離れない、絶対に守るって
――だから……覚悟して。そして潔く諦めろ。俺はお前と一緒にいたいんだ
昨日は顔を青白くした勇運くんが、自分から夏海と関わってくれた。それは、さっき勇運くんが言った言葉を、自分で証明してくれている気がして……。さっきの言葉は本当なんだって。私に向けてくれる気持ちは、本物なんだって――勇運くんの全身から、私へと伝わってくる。
「俺、にーちゃんみたいなカッコイイ大人になる!」
「……まだ高校生だけど」
「じゃあ、コーコーセーになる! それで、ねーちゃんを守る!」
「ふっ、頼もしいな」
両手に握りこぶしをして「フン‼」と意気込む夏海。勇運くんは、その様子を見ながら穏やかに笑っていた。ずっと………………
ん?
なんか勇運くん、固まってない?
「ねーちゃん、にーちゃん動かなくなったよ?」
「き、きっと無理しすぎたんだよ! 勇運くん、しっかりっ!」
勇運くんに近づくと、石像みたいに固まったまま、ピクリとも動かなかった。やっぱり、完璧に子供嫌いを克服したわけじゃないと分かり、急いで二人の距離を空ける。ベッドから遠い入口近くにパイプ椅子を置き、勇運くんに座ってもらう事にした。
「夏海、いい? この線から向こうに行っちゃダメだよ? おねーちゃんとお話しようね」
「え~。俺、にーちゃんと話がしたいんだけど」
「そんなこと言わないで。おねーちゃんも、夏海とお話ししたいの」
「ちぇ~」
「……」
いつもの私たちの、なんてことない会話。その光景を、だんだん魂が戻って来た勇運くんが、静かに見つめていた。すると背後でガラッと音がして、スライドドアが開く。立っていたのは、お医者さんと話が終わった、お母さんだった。
「あ、おかーさん」
「お母さん! 来てくれたんだね」
「うん。冬音、元気そうで良かった」
私たちを、優しい目で見るお母さん。お母さんに挨拶をしようと、勇運くんは立つため足に力を込める。だけど、それをお母さんが止めた。
「あなたが勇運くんね? パパから話を聞いているわ。冬音を守ってくれて、本当にありがとう」
「え、あ……いえ、俺は」
顔を見て話したいのに、お母さんが勇運くんの背後に立ち、さらには勇運くんの両肩を押さえるものだから……勇運くんはなすすべなく、座ったままお母さんの話を聞く。
「今は夏海もいる事だし、無理しないで座っていて」
「! それ、どうして……」
「ごめんね、パパから教えてもらったの」
「……そうですか」
ならお言葉に甘えて、と。勇運くんは本当に抵抗するのをやめて、座ったまま私と夏海を見た。
「二人、仲が良いですね」
「あら、でも勇運くんとパパも仲いいでしょ?」
「………………へ?」
俺と冬音のおじさんが、仲が良い――?
ピシリと。またまた石像のように固まった勇運くんを見て、お母さんは笑った。
「あまりスマホを持たないパパがね、昨日から肌身離さずスマホを持ってるの。それで”どうしたの?”って聞いたら、あなたと連絡先を交換したって言うものだから」
「冬音さんの入院の事、おじさんから聞きました。連絡先を交換した理由は、このためだったのかって……。でも、それだけです。仲が良いと言われるほどの事じゃ……」
素直に自分の考えを言う勇運くんに、お母さんは「ふふ」と笑う。
「でもね、連絡先を交換したのは、それだけが理由じゃないのよ」
「え?」
「これは内緒なんだけどね、」
『勇運くんは、冬音の事を好いてくれてるみたいだ。もしもあの子が冬音の夫になったら、』
『パパ……さすがに気が早いわよ?』
『そうだね。でもね、もしも二人が結婚しなくても……勇運くんとは、ずっと連絡を取っていたいな』
お父さんは、そう話したそうだ。もちろん、勇運くんは首をかしげて不思議がった。お母さんは勇運くんの肩に両手を乗せ、続きを話す。
『子より先に旅立つ父親の気持ちは、痛い程わかる。そして残したわが子の身を、どれほど案じるかも分かる』
『”父親代わり”なんて恐れ多い事は言えないけど、気軽に相談できる大人の男がいるんだって……勇運くんに知っていてほしい。そして、安心してほしいんだ』
『そういう存在がいるだけで、心強くなる事もあるから。もちろん頼ってくれたら、なおさら嬉しいけどね』
「だから、困った事や悩みがあれば、いつでも連絡して……って。パパが言ってたわ」
「おじさんが……」
「図々しくてごめんね、見た目に寄らず熱い人なの」
困ったように笑うお母さんを見て――勇運くんは、潤んだ瞳を隠すように、くしゃりと笑った。同時に、頭の中で過去の私を思い出す。
――私、悔しい
――ちがうって、どういう事? 教えてよ、勇運くん
――勇運くんと、話したかった
「見た目に寄らず熱い……か。親子でよく似てますね」
「ふふ、そうでしょ? 冬音も静かに見えて、実はそうじゃない一面もあるから」
だから勇運くんに苦労かけるかもしれないわね――なんて。真剣な声色で言われ、思わず勇運くんは吹き出した。
「ふっ。でも、おじさんが俺にそう言ってくれたように。俺も……冬音さんに頼ってもらいたいですから。冬音さんが困った時、すぐ俺が思い浮かぶような――そんな関係になれたらいいなって思ってます」
「勇運くん……」
今度はお母さんが涙ぐむ。その気配を背中で感じ取った勇運くんも、穏やかに笑った。
「はぁ、若いっていいわね、久しぶりにときめいちゃった。今度ウチに遊びに来てね。あ、私とも連絡先を交換してくれる? もういっそ、グループを作っちゃおうかしら!」
「え……」
それはちょっと……、と勇運くんの笑顔が引きつった時。バッグの中からスマホを探すお母さんが「そう言えば」と、またまた何かを思い出す。
「パパがね、こんな事も言ってたのよ。勇運くんがお父様の話をしてくれる時。同じ表情をした人を、前にも見たって」
「俺と同じ表情?」
すると、お母さんは「あった」とスマホを握った。半ば強制的に、勇運くんもポケットからスマホを取り出す。そして連絡先をとばし合うのだけど……なかなか繋がらない。お母さんは「難しいのね」と奮闘しながら、続きを話す。
「路地裏で冬音が警察の人に助けられた時。あの時、交番に冬音を迎えに行ったのはパパだった。そして、その時――冬音と一緒にいた警察官が、勇運くんと同じ表情をしていたらしいの」
「! 俺と同じ”顔”じゃなくて、”表情”?」
「顔も似ていたらしいんだけどね。それよりも表情なんだって。なんていうか、」
悔しそうで、怒りも含んでいて。それでいて、悲しい表情。
「あぁいうのを”複雑な表情”って言うんだなって、お父さんがしみじみ言ったものだから、私も記憶に残っててね」
「それって、まさか……」
その時、互いの連絡先が、互いのスマホにピコンと入る。「交換してくれてありがとう」と笑うお母さん。だけど勇運くんは……口を硬く閉ざして、何やら考えていた。
「どうしたの、勇運くん?」
「いえ、何でもありません。……家族水入らずなようですし、俺はここで失礼します」
ガラッ
勇運くんは、スラリとドアを通り抜け、出て行った。受付の前を通った時、またもや受付の人が「イケメン」と言ったけど、勇運くんの耳には入らない。
今、彼の頭の中にあるもの。
それは――
『父さんの人生の上に、あの子の人生が続いた。あの子には……これからを大切に生きてほしいな』
「……」
あの日、一粒も涙を見せなかった守人さんだった。
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