第6話 逃げない④

「私……ずっと、覚えてる」

「冬音?」



成希が優しかった頃の事も。成希が私に優しくしてくれた事も、鮮明に覚えてる。


そして、同じように。


成希がキツくなった頃も。私に厳しくあたった事も――全部ぜんぶ、覚えてる。



「私は、あの日の事を思い出すと……気分が悪くなって……、まだ、しんどい」



むしろ。忘れたいのに忘れられなくて。刺さった釘が抜けないみたいに、ずっと私の心に傷を負わせ続けている。



「今度……、なんて。私は、いらない。私の人生に、もう……成希は、いないの」



だから成希、もうサヨナラだよ。

私はもう、あなたと反対の方を向いてるの――



「……」

「成希……」



俯く成希に、なんて声をかけようか迷った――その時だった。



「あーあ。もう使えないのかよ。つまんねー」

「え?」



成希は「ヨッ」と言いながら、地面に手を伸ばす。掴んだのは――鉄パイプ。



「もうちょっと楽しめるかと思ったのに、なーんで、そんなに強情なんだよ、お前」



ポンポンッと、リズム良く鉄パイプを振り、反対の手に着地させる成希。その顔には、優しかった頃の名残なんて全くなくて……。



――今度こそ、お前を大事にしたいんだ



さっきの成希は、全て演技だったと思い知らされる。思えば、成希が更生なんてするはずない。だって、この廃墟に来た時、彼はなんて言った?



――俺、何も悪い事してなくね?



廃墟に着いて、開口一番。彼は自分の非を認めなかった。「俺は悪くない」の一点張り。それに……本当に「私を大事にしたい」と思ってるなら、こんな廃墟に連れてくる?


さっきの全ては、私を騙す為の芝居だったんだ――



「……っ」

「ハッ。解せねーって顔だな。でもな、解せねーのはコッチなんだよ。なんで高校生ごときに、俺が警察の世話にならねーといけねんだよ。親にもバレるわ、学校にもバレるわ……、おかげで大学でも肩身狭いっつーの」


「そ、んなの……」

「知らない、ってか?俺が悪い、ってか?なら、思い知らせてやるよ。どっちが悪いのか、誰が正しいのかを」



その時、成希が鉄パイプをガンッと私の真横に振り下ろした。「ひっ」と悲鳴をあげた私を見て、成希はニタリと笑う。


焦点の合ってない目がぐにゃりと曲がった笑顔が怖くて、怖くてこわくて――足がもつれながら、何とか走って距離を取った。



「はぁ、はぁ……! 早く、外へ!!」



日が沈んで見えずらくなってるけど、確か、こっちが出口だったはず。この廃墟を抜ければ、きっと――!!


だけど、その時。


私のすぐ横を、ビュンッと重たい音と共に何かが横切る。ガランガラン……と耳をつんざく金属音が響くと共に、私の目の前に鉄パイプが落ちてきた。



「きゃぁっ!?」



あと少し横にズレただけで、もろに私に当たってた。「当たってもいい」と思って投げてるとしか思えない。


成希は……本気なんだ。

本気で、私を――!


怖くて動けなくなった私の上に、成希がドサリと多い被さった。簡単に押し倒され、成希の重みがお腹にズシリと加わる。



「つーかまえた~」

「……っ!!」



この格好に付け加え、すぐ目の前に成希の顔――ついに恐怖で涙を零す私に、成希は更に顔を近づけた。



「世の中な、強いもん勝ちなんだよ。

もちろん、弱いもんが悪い。


自分の弱さを思い知れ、冬音。

そして後悔しろ。

ま、後悔したところで――


誰も助けちゃくれないがな」


「〜っ、それでも……!」



最後の望みで、ポケットから素早く出したスマホを操作する。操作と言っても、リダイヤルを押して、電話をかけるだけ。だけど手が震えて……目的の場所をタップ出来たのは、まさに奇跡に近かった。



「電話……? おい冬音!!」

「あ、!」



まさか私が今、電話で助けを求めるとは思わなかった成希は、電話を止めさせるために私の手首を強く握る。


だけど、その時。


プルル――プッ



「おねが……、助けてっ!!」

「静かにしろ!」

「んーっ!」



叫んだ私の口を急いで手で塞いだ成希は、もう一方の手で、私からスマホを奪い取る。そしてブンと音がするほど、思い切りスマホを遠くへ投げた。


その時、私の耳の横を通ったスマホ。

そこから、あの人の声が聞こえた。



『「お前は、よく頑張った」』



それは間違いなく、私が電話をかけた相手。だけど今、スマホからじゃなくて、すぐ近くで聞こえたような――


ドガッ



「ぐわぁ!?」



私の上に乗っていた成希が、突然に吹っ飛ばされる。すごい力だったのか、成希は何度か回転した後、コンクリートの壁にぶつかり、しばらく動けずにいた。



「うぅ……」



呻く成希を見て、今がチャンスだと。起き上がるため、腕に力を入れる。だけど恐怖に支配された体は、全く言うことを効かない。「うぅっ」と力む声が、虚しく響くだけ。


だけど、その時。私の体が、ふわりと宙に浮かぶ。



「へ――、っ!」



目の前の人物を見て、驚き過ぎた私は……声を出す事をスッカリ忘れていた。


なぜなら、私の目に写る人物。

その人は――



「悪い、待たせた」

「ゆ、勇運くん……っ」



ぶっきらぼうに見えるけど優しくて、どこかいつも冷静に見える勇運くんが――


はぁ、はぁと浅い呼吸を繰り返し、冬だというのに顔から汗を流し、切羽詰まった目で私を見つめていた。



「三石の弟が教えてくれて……、それで異変に気付いた。お前のSNSも。アレがなければ、ここまで来れなかった」

「……っ」



勇運くんは、子供を許せないほど嫌ってるって、守人さんが言ってた。



――勇運はね、子供が嫌いなんだよ。特に君の弟くらいの年齢の子が許せないんだ



それなのに、夏海と話してくれた。夏海が話すことを、ちゃんと信じてくれた。全ては、私を助けるために――



「う~……っ」

「無事で、本当に良かった」



泣く私を見る勇運くん。その顔が、なんだか青白い気がして。その顔色の悪さは、もしかしたら夏海と話したせいじゃないかって――そう思うと、むせかえるような申し訳なさが、内側からこみあげる。


勇運くん、ごめんね。

SOSに気付いてくれて、ありがとう。


私ね、ずっとずっと――



「勇運くんと、話したかった……っ」

「っ!」



ごめんね、勇運くん。

頼ってごめんなさい。


電話をかけようと思った時、真っ先に浮かんだのは、勇運くんの顔だった。


交番でのお礼を言いたい。

くれたメールの事で話がしたい。

勇運くんの事をもっと知りたい――


そんな事を思っていたら、指が勝手に、勇運くんの電話番号を押していた。その時に、思ったの。どんなに避けられても、これまで通り勇運くんと話したいって。「気にするな」って言われても、気にしちゃうんだって。



――もう三石とは関わらない



そう言われても、私は……勇運くんと関わっていたいんだって。気づいてしまった。



「う~……っ」

「……バカだな。お前」



困ったように眉を八の字にして、口の端を上げた勇運くん。お姫様だっこをしたまま、私の顔を覗きこんだ。



「こういう時に兄貴に頼らなくて、どうすんだよ」



その時の勇運くんの顔には、すごく綺麗な笑みがあった。だけど前髪のかかった瞳は、嬉しそうにも見えるし……どこか切なそうにも見えた。



「勇運くん……」



勇運くんの気持ちが知りたくて、私は震える手を伸ばす。だけど――フイと、勇運くんに顔を逸らされる。避けられたのかと不安になったけど、そうじゃない。勇運くんの視線の先には、成希。勇運くんに吹っ飛ばされていた成希は呻きながら立ち上がり、私たちを睨んでいた。



「ガキが、よくも……!」

「……」



勇運くんは、冷たく鋭い瞳で成希を見る。

そして――



「“世の中は強いもん勝ちで、弱いもんが悪い”? 人一倍弱いお前がイキがるな。それに、三石は――冬音は弱くない」

「っ!」



顔を歪め、忌々しそうに吐き捨てた勇運くん。その時、成希の不満に染まった顔が見えた。だけど、それをもう「怖い」とは思わなくて……



――冬音は弱くない



「~っ」



今まで「恐怖」で流していた涙。それが途端に温かな温度へ変わり、私の心に優しく降り積もる。



「あり、がと……っ」



歯を食いしばりながら泣く私を見て、勇運くんの眉に力が入る。だけど険しい表情とは裏腹に、「ん」と穏やかな声が返ってきた。


その時。


廃墟の外で、パトカーのサイレン音が聞こえる。どうやら警察が到着したらしい。



「マル被、発見!」

「確保ー!!」

「現逮だ、現逮!!」



一気に慌ただしくなった廃墟。そして、とどろき続けるパトカーのサイレン音。その音を聞いた時、私の意識があやふやになっていく。


だけど、目を瞑る直前、



「冬音ちゃん!」



遠くから、守人さんが私の名前を呼んだ気がした。その声を、頭の奥で聞きながら……私は長かった「呪縛」から解き放たれたように、安心して眠りについた。

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