第6話 逃げない③

どれくらいも走ってない、時間にすると、きっと数分だ。だけど目の前に広がる景色を見るに、ココは私の知らない場所。


人が寄り付かないような、薄暗い廃墟。その廃墟の前に着いた途端、車は停止し、成希は車のエンジンを切った。



「降りろ」

「……え、でも」


「早くしろ」

「わ、わかった……っ」



シートベルトを外し、助手席のドアを開ける。すると、木々に囲まれた廃墟が私を出迎えた。


二階建て、所々設置されている窓にはガラスは無く、ドアというドアもないコンクリートだけ残った廃墟。元がどんな用途で使われていたか分からない。それだけで、一層の不気味さを覚える。


まさかじゃないけど……この中に、入るわけじゃないよね?それに、もし入ったら……私、一体なにをされるの?



「……っ」



今さらながら、ついてきてしまった絶望感を覚える。あの時、もっと良い逃げ方があったんじゃないかと、今更ながら後悔してきた。


だけど……



――おねーちゃん!



心が挫けそうな時は、夏海を思い出す。もう少しで、夏海まで巻き込むところだった。だから……これで、良かったんだ。それに、私は投げやりになって車に乗ったんじゃない。私は、夏海に「ゴールして」と言った。


夏海のゴールは――勇運くんだ。



「おい、何してる。さっさと中に入れ」

「……っ」



夏海に希望を託した。夏海から私の事を聞いた勇運くんが、きっと異変に気づいてくれるって信じてる。



――あ、終わった



「あの日」の私は、簡単に諦めた。すぐに自分を投げ出して、全くの抵抗も見せず、不幸の中へ自ら沈んでいった。


だけど、救われた。


守人さんに、柴さんに、そして――勇運くんに。あの日から、私はずっと、救われ続けている。


だから私は、諦めない。


皆が救ってくれた「私」を、自分の手で簡単に不幸になんて、させやしない。



「冬音、元気だったかよ」

「え……あ、……う、うん」



廃墟の中を歩く、私と成希。見渡す限り空洞で、コンクリートの塊が溶岩のようにゴロゴロと転がっている。一目見て、ここが危ない場所だと分かる。


だけど、成希はどんどん進んでいく。私は辺りを警戒しながら、一定の距離を空けて後ろからついて行く。


もしかすれば、廃墟を抜けた先に、道が広がっているかもしれない。いざとなれば、来た道を戻ればいい――常に自分の逃げ道を考えながら、一歩ずつ進む。


廃墟のちょうど真ん中に来た時。

成希の足が、ピタリと止まった。



「俺はなぁ、あれから散々だったよ。警察に自白しろってしつこく言われて……まるで拷問みたいだったな」

「……っ、そう」



先に私に拷問を与えた成希が、何をのうのうと言っているのか――常に自分第一で物事を考え喋っている成希に、吐き気にも似た、ザラリとした重たい感情が胸に募る。



「だから、下げたくもない頭を下げて……散々に謝ったさ。おかしーよな、変な話だよな」

「な、なにが……?」


「何がって、普通に考えて変だろ。だって……俺、何も悪い事してなくね?」

「――っ」



瞬間、頭が真っ白になった。



え、今……

成希は、なんて言った?


寒空の下、嫌がる私を、自分の欲望のまま無理やり従わせようとした、あの行動を――一つも悪いと思ってないの?



「~っ、う……っ」



瞬間、体の奥底から湧き上がる吐き気。気力で何とか立っていた体は、途端に重力に勝てなくて……ドサリと、両ひざをつく。私は、今までバケモノと付き合っていたのだと。今やっと、心の底から理解した。


「早く別れれば良かった」なんて、そんな生ぬるいものじゃない。そもそも、人間の皮を被ったバケモノだったのだから、付き合う事すら間違いだったんだ。



「おーい、どうした。なんで座ってる?」

「……っ」



今、口を開けたら……ダメだ。嗚咽も、涙も……私の中の「恐怖」が、全て出て行ってしまう。今、成希の前で「私が恐怖している」と知られるのは……直感的にマズイ気がした。



「へ……、いき……」

「ふーん、あっそ。俺、向こうにたばこあるから取りに行って来る」

「う、ん……」



そう言って、成希は、いなくなった。私の前から姿を消し、足音さえも聞こえなくなった。


え……なに。

今、どういう状況……?

成希は、どこに行ったの?


向こうにたばこって……「向こう」は、廃墟の奥だよ。まさか、この廃墟に何度も足を運んでるって事?



「でも、今なら……」



逃げられるかも――そう思って、足を動かした。その時だった。



「まさか、逃げようって思ってんじゃないよな?」

「っ!」



どこからともなく響いて聞こえる、成希の声。恐怖で体がビクリと跳ね上がる。震える唇から、やっとの事で「ちがう」と返事が出来た。動いたら、成希が何をしてくるか分からない。


それなら――


ポケットから、コッソリとスマホを出す。スマホを没収されなかったのは幸いだった。


私が出かける時、お母さんが毎日「充電は?」と言ってくれたおかげで、寝る前に充電する習慣がついた。だから夕方の今だって、充電がバッチリ残っている。あとは電波……。


見ると、きちんと三本立っている。

良かった、これなら繋がる!


連絡先を素早く開く。そして――――ある人の名前を押した。その瞬間「発信中」の文字が画面に浮かぶ。


良かった、と。

ホッと安堵の息を漏らした。


だけど……



「冬音~、変な事したら……分かってるよな?」

「っ!」



成希の姿は見えない。まだ遠くにいるはず……なのに――この廃墟が空っぽだから、ビックリするくらい声が反響していた。


もし電話をしたら、バレるかもしれない。

それだけは避けないと――!


画面に目をやり、急いで電話を切る。一瞬見えた画面は「通話中」に見えた。ということは……いま相手は、スマホを見てくれている。手に持ってくれている。それなら――


私の居場所だけでも!!


SNSを使って、私の居場所を送信する。無事に「送信完了」の文字が出て、ほっと肩の力が抜けた。だけど、その一瞬の気の緩みは――すぐ近くで香るタバコの匂いで、一気に引き締まる。



「おい、冬音」

「っ!!」



声のした方とは反対側の手で、サッとスマホを隠す。そして、自分の体の影で、こっそりポケットに戻した。



「今、なにしてた?」



成希の口には、くわえタバコ。いつまで経っても慣れなかった、あの匂い。



「な、にも……してなかった、よ?」

「……」

「……っ」



沈黙という名の、判定。今、成希の中で私は「マル」なのか「バツ」なのか。その判断が下されている。



「~っ」

「……ま、いーや。」



ほぅ――と、心の中で息をつく。私の中で張りつめていた糸が、少しだけ緩んだのが分かった。成希は、私が座る前に腰かけて、ボーッとタバコの味を楽しんでいた。


廃墟のど真ん中、ザラザラしたコンクリートの上。そこに二人向かい合って座っている。この現状を、今さながら不気味に思った。



「ね、ぇ……何を、してるの?」



というか、これから何をするつもりなのか。どういうつもりで、私をここに呼んだのか。


あまりにも不気味な空間に耐えられなくて、私はつい尋ねてしまった。すると成希はゆっくりと口を開き、答える。



「あ? んー」

「……」



間延びした声。私を連れ去っておきながら、緊迫感のない様子。何かがおかしい――と私が勘付いた時には、成希の顔には笑みが浮かんでいた。考えの読めない成希の笑みに、私の背筋が凍る。


そんな中、成希が言う事は――



「俺さ、お前がいなくなって寂しかったんだ」

「……へ?」


「お前が隣にいてくれた時、毎日が嬉しくて楽しくて……だから忘れてたんだよな。お前がそばにいてくれる有り難さに」

「……」



一瞬……何を言われてるか、分からなかった。私をモノ扱いするならまだしも、私に感謝を言うなんて……。



「し、成希……?」

「冬音、今まで悪かった。俺、反省してんだ。どうして、お前を大事にしなかったのかって」

「……っ」



成希の顔を見る。すると高校時代、優しかった頃の彼の面影があって……懐かしさで、思わず眉間に切ないシワが寄る。



「あの頃の俺たちに戻りたい。俺は……やっぱりお前が好きだから。今度こそ、お前を大事にしたいんだ」

「……っ」



成希が大学生になって、久しぶりに再会した時。そして告白された時。あの時も、成希はそう言ってくれた。大事にするから、と。あの時の優しい成希が、また戻ってきたのかと――私の口が、希望を持って僅かに開く。


だけど。



――簡単に許しちゃダメ



「!!」



守人さんの言葉を思い出す。そうだ、あの日。守人さんは、私に、こう言った。



――嫌な事をされたら、自分が納得できるまで、絶対に許しちゃダメだよ?



「〜っ!」



震える手で、ギュッと握りこぶしを作る。そして自分に、喝を入れた。


自分を傷つけた相手を、簡単に許しちゃいけない。自分が傷つけられた事を、簡単に無かった事にしちゃいけない。

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