第5話 勤務明けのデート?②

そのモヤモヤは、翌朝の土曜日も変わらなかった。せっかくの休日だから、パーッと遊びたいけど……そんな気分になれない。



「お散歩でもしようかな」



家の窓から外を見ると、眩しいくらいの太陽が照り付けていた。一月の気温は寒いけど……。お日様の下を歩くのは、きっと気持ちがいいはず。



「お母さん、ちょっと散歩に行ってくるー」

「――え?」



その時、お母さんの顔が引きつった。ピシッと、まるで岩みたいに固まっている。



「ど、どうしたの?」

「ダメよ、外になんか絶対に出ちゃダメ。一人でしょう?」

「えっと……一人、じゃないよ?」



お母さんの心配性に、何やら拍車がかかっている。本当は一人で行く予定だったけど、仕方ない――エア約束を、召喚しよう!



「大丈夫。すぐそこで莉音ちゃんと待ち合わせなの」

「でも……」


「どうしたの、お母さん。顔が怖いよ?」

「!」



怖い――というと、お母さんは私に伸ばした手を、パッと引っ込めた。代わりに「スマホは?」と聞いてくる。



「ちゃんと充電してある? どんな時も、肌身離さず持っておくのよ?」

「はーい。じゃあ、いってきます!」



いってらっしゃい、とお母さんが言ったのかは分からない。だけど振り返った時に、「行っちゃダメ」と――お母さんの顔に、そう書いてある気がした。



バタンッ



「もう、お母さんったら。私は夏海じゃないんだから、そんなに心配しなくてもいいのに」



外に出すのは不安だろうけど、でも、ずっと家にいるのも暇だもん。運動は体に良いって言うしね!



「ちょっと歩いたら、すぐに帰ろう。モヤモヤも吹き飛ぶだろうし」



時間は……ちょうど九時。



「どこを歩こうかなぁ……、あ」



そうだ。いつか守人さん達にお礼をしたいと思っていたから、お店に行こう! 何を買うかは、そこで決めるとして……。でも、大人は何をもらったら嬉しいんだろう?



「え~っと、”大人へのプレゼント”で検索っと」



すると、ゼロが何個もついてるカバンやら腕時計やらが出て来た。け、検索ワードを間違えた……。「こんなの買えるわけないじゃん」と、慌てて画面を暗くした――その時だった。



「あれ? 冬音ちゃん!」

「え?」



声のした方を見ると、制服に身を包む守人さん。交番の中から、私を見て驚いた顔をしていた。


あ。「お店」を目指したのはいいけど、お店に行くまでに交番を通るんだった!


わあぁ、どうしよう。

適当な服で来ちゃったよ!



「お、おは、おはようございます……っ」



交番に入らない、入口ギリギリの距離まで近寄る。すると、中には守人さん、柴さんがいて、どちらも「おはよう」と返してくれた。


二人とも顔に疲れが浮かんでいて……。とっさに、昨日の言葉を思い出す。



――二十四時間勤務だからね



「本当に、一日中の勤務なんですね……」

「はは、仕事だからね。でも、そろそろ交代の時間だから。にしても冬音ちゃん。どうして一人で外に?」

「……え?」



それって、どういう事ですか――と聞こうとした時。ちょうど、交代の人がやってきた。二人で何やら話しながら、私の横をスッと通る。


そして私の耳は――意味深な言葉を、キャッチしてしまった。



「畑の事件は、どうなってるんだ」

「あぁ、この前の大学生ですか」


「!」



畑、大学生――それだけの言葉で「あの日」の記憶が、ジワジワ蘇ってくる。耳に蓋をすればよかったのに……立ってるのがやっとで、そこまで気が回らなかった。



「”不同意わいせつ罪”で逮捕。とは言うがな」

「マエ*は無いし反省の色も大いにある。付き合っていた間柄ということもあり、検察官は問題なしと判断したようです」


「ふん、腑に落ちねぇな。警察と検察が最大限に取り調べを行っても、引っ張れるのは三日が限度。後は釈放かよ」

「検察官の判断に任せるしかないですからね、悔しいですが。マル被の保護者にも連絡済みなので、処理済み案件に切り替わっています」


「……っ」



聞いてはいけない言葉を聞いた。

しかも、一番聞きたくなかった言葉だ。


(※マエ…前科)



「釈、放……っ」



成希は釈放され、今は自由の身。いつどこで会うか分からないし、また何をされるか――



「……っ」



ガタリ。今度こそ、私はその場に崩れ落ちてしまった――かのように、思えた。だけど、



「すみません、体調不良の市民がいます」

「!」



両手が地面に着く前に。私の肩を、守人さんが抱き寄せた。浅い呼吸を繰り返す私に、「大丈夫だよ」と――私の肩を抱く手に、更に力を込める。



「あ……。調子が悪いですか? 救急車?」

「だい、じょ……ですっ」



交代のお巡りさんに遠慮がちに聞かれ、やっとの事で絞り出した声は……、みっともないほど震えていた。



「冬音ちゃん、大丈夫?」

「~っ」



こんな自分を誰にも見られたくなくて、とっさに守人さんの胸に飛び込む。その時、固い防弾チョッキが、カタッと顔に当たった。だけど成希が釈放されたと聞いた時の胸の痛みに比べたら……痛くもなんともない。



「……柴さん。これから引継ぎですよね」



私の背中に、そっと手を乗せる守人さん。そんな彼を見て、柴さんは「ご心配なく」と、交番から顔を出した。



「私がやっておきます。先に上がりなさい――と、言いたいですが、公序良俗違反という言葉がありましてね」

「……知ってますよ。奥の部屋で冬音ちゃんを休ませるから、柴さんは引継ぎをお願いします、と言いたかったんです」

「それは失礼しました、ははは」



二人のやり取りに、少しだけ救われる。私のせいで、この場の雰囲気が重くなるのは嫌だったから……って、空気を重くしてる張本人だけど……。



「冬音ちゃん、歩ける? 少し話したいことがあって……聞きたくないとは思うんだけど」

「……っ」



聞きたくない。聞きたくないよ……。だけど、中途半端に知ってしまった私が悪いから……。



「聞き、ます……。お願いします……っ」

「……うん」



守人さんは私を立たせた後、先導して奥の部屋へ行く。後ろでは、柴さんが「さっきの態度は軽率でしたね」と、声のトーンを低くして、交代に来たお巡りさん達に注意をしていた。


勝手に聞いてしまった私が悪いのに……と思っていると、なんと守人さんも「ごめんね」と私に謝る。



「冬音ちゃんを傷つけた。謝っても、謝り切れない」

「いえ……そんな、」



その時。守人さんが、私へと振り返る。「許しちゃダメ」と。そう言いながら。



「そんな簡単に許しちゃダメ。君は、優し過ぎるよ」

「え……」

「その優しさに漬け込む悪い奴が、この世にはウヨウヨいるからね。嫌な事をされたら、自分が納得できるまで、絶対に許しちゃダメだよ?」



もしかして守人さん、成希の事を言ってる?

成希に負けるなって、そう言ってくれてる?



「強くなれって……そういう事ですか?」



すると、守人さんは「え」と目を開いた。次に「そうじゃなくてね」と。顔の力を緩めた後、壁に背を預ける。そして片手で帽子をクイッと下げながら、柔らかい笑みで私を見た。



「もしも冬音ちゃんがピンチになった時、すぐに僕たちを呼んでって事」

「え?」


「冬音ちゃんが言ってくれたんじゃない。ホラ、僕たちって――”カッコイイお巡りさん”なんでしょ? だから、頼りすぎるくらい頼ってよ」

「あ――」



それは、あの時の言葉だった。



――なんたって”カッコいいお巡りさん”ですから



私が「カッコイイ」って言った後。守人さんは照れくさそうに、そう返してくれた。ちょっと前の事だったのに、まだ覚えてくれてるんだ。嬉しい。そして守人さんの照れくさそうな顔は、あの日と一緒で……やっぱり可愛かった。



「……ふ、ふふっ」

「その笑いは、”僕はカッコよくない”って事?」

「いえ、違います……っ」



ブーと膨れっ面をする守人さんが、また可愛くて。抑えようと思っていた涙は、もう自然と止まっていた。すると、そんな私を見た守人さんが、ボソッと呟く。



「……冬音ちゃんは、強い子だよ」

「今、何か言いましたか?」



首を傾げる私に、守人さんは帽子をもっと深くかぶった。これだと、顔が見えない……どころか、ちょっとした変な人に見える。


すると、間の悪い事に――帽子を脱いでパタパタ顔を仰ぎながら、柴さんがやって来た。


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