A BAD DAY, THE BEST DAY
「正義」
朝目覚めると、まずは窓から差す日差しに目を奪われる。ここでいう「目を奪われる」とはつまり、目潰しのことであり、私は思わず目を瞑る。
次に目に入るのは、デスクに置かれたPC、そしてお面ドライバーのフィギュアたち。初めは同僚たちにどう思われるか心配だったが、案外皆デスクの上は無法地帯だったので、影響といえば、何人かにキャラクターの名前を聞かれたことぐらいだった。
隣のトニーなんかはデスクに両足も使わねば数えられないほどのダンベルを置いており、中々物々しい雰囲気を醸し出している。噂によると一度ダンベルの重さでデスクを破壊したことがあり、今はこれでも抑えている方なんだとか。
こんなことが起こるのは、やはりここが、「アットホーム」な職場だからだろう。
洗面台で顔を洗う。ここの水道はやけに勢いが強く、学生時代の理科室のそれを思わせる。
この前同僚にその話をしたら、その強さは万国共通らしく、その後は学校あるあるの話で盛り上がった。
にしても同僚たちはどこへ行ったのか。昨日は件のトニーを初めとした何人かも、ここで一夜を過ごすことになったはずなのだが…
そんなことを考えていると、電話が鳴った。
受話器をとると、なんとトニーだった。
「おいトニー、今どこだ」
「ああ、サトゥ!大変なことが分かった!ザックは今、アメリカにいないかもしれない!」
「なんだって!?でも、どうしてそんなこと…」
「やつの家の近くの漁港で、船の盗難届が届いてたらしいんだが、防犯カメラに、ザックと漁師の一人が船に乗ってったところが映ってたんだ」
「なんだって」
「しかも、GPSを確認したところ、今奴は太平洋のど真ん中にいる!」
「嘘だろ!?待ってろ、今そっちに…」
「駄目だ、俺が何のためにお前を起こさなかったと思ってる」
「なんでだよ!起こしてくれたら、一緒に」
「お前は働きすぎだ、少しは休め」
「休めったって、そんなことしてられるかよ、今だって、ザックはその漁師の男を殺すかもしれない」
「とにかく駄目だ、FBIに入って初めての大きな仕事だ、はりきる気持ちはよく分かる。でもな、体を壊しちゃお仕舞いだ。せめて今日だけでもゆっくりしてろ」
「ゆっくりって…何してりゃいいんだよ」
「ああ…そうだ、ダンベル貸してやるよ、デスクの上のやつ、好きなの使え」
ダンベルを使ってどうゆっくりすると言うのか。
「とにかく、今日は休め、じゃあ切るぞ」
「ちょっと待てよ!ちょっ…」
瞬間、視界が歪んだ。いや、回った。立っていられないほどの気持ち悪さに、うずくまる。
「ごほっ、ごほっ、うぅ…!」
「おい、どうしたサトゥ、おい!サトゥ!」
徐々に視界が黒く染まっていき、そう時間の経たないうちに、意識を手放した。
「悪運」
目が覚めると、そこは真っ暗な部屋。カーテンを開け、朝の日差しを浴びる。暖かな光と小鳥の鳴き声が心地よい。
そして次に、自慢のお面ドライバーコレクションをじっくりと眺める。ああ、心地よい。
洗面台で顔を洗い、ひげを剃る。寝癖を確認するが、今日はあまりついていないみたいだ。
覚悟を決め、次はリビングに向かった。おはよう、おはよう…何度も頭の中で同じ言葉を反芻する。扉の前で、一呼吸。ドアノブに手を掛け、そして…
「おはよう、ザック」
「んぅ…」
クソ、また失敗した!これで740回目!
俺の母は、アメリカ人だ。白く皺一つない肌、鮮やかな金色の髪、そしてモデルのように整った顔立ち。今年で45になるとは思えない若々しさを持つ彼女は、リビングで朝食を作っている最中だった。
えっ、さっきの「んぅ」は何かだって?
………反抗期、延長戦…。いや、俺だって分かってる。大学生にもなって、未だに両親とまともな会話すらできないなんて、幾らなんでも拗らせすぎだ。今でも彼女の声を聞くと、腹の底から何かむかむかしたものが溢れだしまう。その結果、おはよう、と伝えるつもりが、んぅ、になってしまったのだ。
5分後、着替えを済ませテーブルに向かうと、示し合わせたかのようなタイミングで母が朝食を食卓に並べていた。
手を合わせ、母と二人食卓を囲む。
「ああザック、今日はお父さんが帰ってくるから、早く帰ってきてね」
「ん…」
分かりましたお母様。というか分かっておりました。だってお母様、今日誕生日でしょう?気を遣わせたくないから言ってないだけなんでしょう?
黙々と朝食を平らげ、部屋に戻ろうと、立ち上がる…が、扉の前で、ふと立ち止まった。
本当にこれでいいのか?母の好意に甘えて、誕生日おめでとう、も伝えず、このまま一日中一言も話さないつもりなのか?
嫌だ!そんなこと!動け!体!
母の方を振り向いて、必死に口を動かそうとする。動け!動け!
「母さん…」
「どうしたの、ザック」
「た、誕生日…おめでとう…」
瞬間、母は一瞬驚いた顔をしたかと思えば、次には満面の笑みになり、終いには泣き出してしまった。
「母さん!?」
「ザック…ザック…ありがとう」
「な、泣くことないだろ」
二人の間に隔たっていた壁が、瞬く間に崩れ去るのを感じた……なんだ、こんなに簡単なことだったのか…気がつけば、俺も涙を流していた。
「おめでとう、おめでとう、母さん…」
なんと不器用な親子だろうか。こんな単純なことのために、何年もかけるだなんて…
今日という日はきっと、俺の人生で最も素晴らしい日の一つになる、そう確信した。
そう、確信していた
正義と悪運 @oshiruko150en
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