ぶっきらぼうな元軍人、最凶の幼女兵器に「壁」として徴用される。 ―君が「お姉ちゃん」と呼ぶまでのログ―
テラ生まれのT
第1話 貴様の任務は、私をトウキョウ・サルコファガスまで護送することだ。
ミヤギノフ。
正式名称は「旧・宮城県宮城野区」。南北に分断された日本の、その国境線上に位置する、混沌とした街だ。北側――ユーラシア東部連邦の厳格な管理社会と、南側の爛熟した資本主義が、軋みながら混じり合う。
シャワーの湯は、ぬるかった。
「ちくしょう、また水温調整がバグってやがる」
サーシャ・コンドラチェンコは、シャワーヘッドを壁に叩きつけ、深く息を吐いた。熱湯を期待したが、肌を滑るのは生ぬるい湯と、かすかな塩素の匂いだけ。
今日、彼女は軍から正式に予備役編入の通知を受け取った。理由は「士官としての現状不適応」。その裏には、彼女が軍人時代に負ったある過去が関係している。
タオルで濡れた髪を乱暴に拭き、軍から支給された質素なアパートのリビングに戻る。テーブルの上には、予備役通知書と、昨晩の残りのウオトカが半分。
「くそったれ。あたし、一体これからどうすりゃいいんだか」
サーシャは溜息をつき、通知書をクシャリと丸めた。
こんな日は、どうにもならない苛立ちを酒で流し込むに限る。国境の街ミヤギノフには、ろくでもない酒場なら掃いて捨てるほどある。
サーシャは、コートを羽織った。全身生身、つまり非機械化の彼女にとって、この街は常に冷たい。コートの懐にマカロフという旧式拳銃を忍ばせ、その下、ジャケットの裏地に固定された古い日本軍式の軍刀の柄に指を触れる。彼女の唯一の私的な武装だ。
鍵をかけて、アパートを出る。目指すは、国境の町のさらに外れにある、暗くて安い酒場だ。
アパートから少し歩いた、薄暗い裏通り。配管が剥き出しになり、雑多なゴミが散乱しているこの路地は、酒場への近道だった。
そのとき、前方で、異様な気配がした。
サーシャは歩みを止め、壁の陰に身を潜めた。彼女の元中尉としての経験が、トラブルを警告していた。
路地を照らすナトリウム灯の下、三体の機械化兵が、一体の幼女を追い詰めていた。全身を黒い合成装甲で覆い、赤いモノアイが光る連邦軍執行局の兵士たちだ。
幼女は、まるで雪人形のような完璧な造形をしていた。真っ白な髪、無感情で深い藍色の瞳、そして年代物のようなフリル付きのコート。見た目はせいぜい10歳から12歳といったところだ。彼女は壁に背をつけ、逃げ場を失っている。
機械化兵の一体が、幼女に向かって無機質な音声を発した。
「個体E-710。抵抗は無益である。直ちに回収に応じろ」
「おい、待て……」
サーシャが問いかける前に、幼女は機械化兵をすり抜けるように、サーシャの潜む壁際へ突っ込んできた。
彼女は倒れ込むようにしてサーシャの脚元に滑り込み、サーシャを見上げず、早口で告げた。
「動くな、肉壁。私の邪魔をするな」
その声は幼いながらも、感情の抑揚がなく、まるで機械が読み上げているようだった。
機械化兵が追いつき、サーシャに向かってレーザーライフルの銃口を向けた。
「そこの市民。貴様、兵器の脱走に加担するのか?」
サーシャは即座にコートの懐からマカロフを抜き、幼女を庇うように構えた。
「はっ。兵器ねぇ……冗談きついっての。こんなん、ただのガキだろ」
サーシャの口調はぶっきらぼうだが、その姿勢は揺るがない。彼女は既に軍人としてのキャリアを終えた。怖いものがないと言えば嘘になるが、むしゃくしゃしている。頭の中では銃撃戦の確率が高速で計算されていた。勝率は、高くないな。
幼女はサーシャの背後で、一切怯えることなく静かに言った。
「非効率的だ、サーシャ・コンドラチェンコ。貴様の行動は、生存確率を12.4%まで低下させている。銃を撃つな、横に逸れろ」
「ああ? 黙ってろクソガキ。あたしは元軍人だ」
機械化兵のモノアイが閃光を放ち、レーザーライフルのチャージ音が響いた。
「強制排除を実行する」
サーシャは本能的に幼女を押し倒し、床に転がった。レーザーがサーシャの頭上を通過し、壁のコンクリートを焼いた。焦げた匂いが鼻腔を衝く。
「くそっ、外したか!」
次の瞬間、幼女はサーシャの腕を掴み、囁くように言った。
「
サーシャの目に、一瞬、世界がスローモーションで映った。
機械化兵が次の射撃体勢に入るまでのフレーム。その足元に散乱していた空のビール缶が、わずかに揺れる。そして、近くのアパートの換気扇が、通常ではありえないタイミングで、超高速回転を始めた。
「……何が起きた?」
サーシャが愕然とする。
「演算完了。確率事象の最適化」
幼女は淡々と答えた。
換気扇が発する凄まじい振動が、精密機械である機械化兵の体内に共振を引き起こす。装甲にヒビが入り、モノアイの光が激しく明滅し始めた。二体の機械化兵がバランスを崩して倒れ込む。残る一体が硬直した。
サーシャはその一瞬の硬直を見逃さなかった。彼女は立ち上がり、マカロフを精密に硬直した機械化兵の脆弱な膝裏の関節部に二発叩き込んだ。
ドスッ、ドスッ。
原始的な弾丸が、機械化兵の脚を破断させた。機械化兵は地面に倒れ込み、赤いモノアイの光が完全に消えた。
サーシャは拳銃の薬莢を吹き飛ばし、煙を吐く銃口を見つめた。勝率は低かったはずの戦闘を、文字通り一瞬でひっくり返されたのだ。
サーシャは銃をコートの懐に戻し、目の前の幼女を見下ろした。彼女の瞳は依然として感情を欠き、まるで何事もなかったかのように静かだった。
「アンタ……一体何者だ?」
幼女は返答の代わりに、手のひらをサーシャに向けた。
彼女の掌から、光の粒が集まり、立体的なホログラムが展開された。それは、連邦の中央軍事管理システムの最高権限コードを示す、極秘の認証サインだった。
「私はE-710 ヴァルキリー。ユーラシア東部連邦が極秘開発した、多次元情報演算兵器である」
サーシャは口を開けたまま、言葉を失った。
「そして、サーシャ・コンドラチェンコ」
「貴様は、私の生存に非効率的だが、有効に介入した。よって、私は最高権限コードを発動し、貴様を専属護衛ユニットとして徴用する」
「……は? 専属、護衛、ユニット? というか、あんたなんであたしの名前知ってるんだ」
サーシャは戦闘が終わって冷静さを取り戻していた。
「貴様のデータを参照しただけだ。中尉、貴様に拒否権は無い」
「ふざけんな。あたしは予備役だ。もう軍人じゃねえ」
「否」
幼女の藍色の瞳が一瞬だけ強く光った。それは、拒否を許さない絶対的な命令の光だった。
「貴様の任務は、私をトウキョウ・サルコファガスまで護送することだ。自己破壊プログラムの解除と、真の能力解放のために、トウキョウのAI中枢への接続が必要となる」
「トウキョウ・サルコファガスだと? 冗談じゃない。あそこは南側の重要都市だ。国境を越えて、汚染区画を横断しろってのか? 死ぬぞ!」
「死なない。私の演算結果では、貴様の生存確率は87.3%。 必要十分な数値だ」
ヴァルキリーは、倒れた機械化兵を無関心に踏み越え、路地の外、つまり国境線の南側へ向かって歩き出した。
「任務開始時刻は今より0秒後。専属護衛ユニット。迅速に動け。 私は非効率な時間を嫌悪する」
サーシャは、コートの懐に仕舞ったマカロフの重みを感じた。予備役通知書はもう、ただのゴミクズだ。
怠惰な元軍人は、最凶の幼女兵器に、最も面倒で、最も危険な任務に強制的に徴用された。
「……あー、面倒くさいっての」
サーシャは深く溜息をつき、毒づきながらも、断るつもりは無かった。どうせ次の仕事もないんだから、付き合ってみてもいい。
南北に分断された日本を縦断する、最悪のバディによる逃亡劇。
ミヤギノフの路地裏から、大いなる夜明けへ向けた旅が、今、始まった。
次の更新予定
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