第4話 晩春滴る 4
「真里さんの居場所について、考えられる可能性は二通り」
二本の指を立てて、彼を謎解きの世界へと招き入れる。
「一つは交際相手の家にいる可能性です。家族も友人も知らない人物の家は、彼女が身を隠すのに最も適している。続いて二つ目の可能性。それは、家出当日に繁華街で会っていたとされる男のところです。家出少女がネットで知り会った男性に助けを求めるということも往々にしてあることだ。……しかし、ことはもっと複雑で、意外に単純なのかもしれません」
「と、言いますと?」
「繁華街で会っていたという男、何者なんでしょうか。真里さんが家出をしたのはおそらく突発的な出来事です。両親と言い合いになったのは夜なんですよ。毎日アルバイトをしている真里さんですから、喧嘩になったのは帰宅後の遅い時間だったはずです。それから家を出て、繁華街で友人に目撃されている。友人である田中さんがパパ活を疑ったのは、それを目撃したのが夜だからだ。夜に喧嘩をして夜に繁華街で人に会う。そんなに急に会う相手が見つかりますかね?」
「ゼロとは言えない。繁華街というのはそもそもそういう街とも言えますからね。若い女性を食い物にする男というのは、数え切れないほどいますよ」
「あれ、自己紹介ですか?」
「御冗談を」
男は笑み、俺は目を細める。
「確かに、彼女がそういう世界に慣れていればそうです。自暴自棄になったならそれもあり得る。でもですよ、真里さんは真面目で勤勉だ。確かに何らかの理由で金は必要だったかもしれないが、それを工面するのにアルバイトを週に七日入れているんです。夜の世界ならばもっと高単価な仕事があるかもしれないのに彼女はそれをしていなかった。そんな真里さんが取り得る手段として、パパ活というのはあまりに突飛だと俺は思います。その前提に立った上で改めて言いましょう。繁華街で会っていたのは、一体誰なんでしょう」
問いかけだったが、男は答えなかった。
答える気がないならば言葉を継ごう。
「俺はね、その繁華街で会っていた男性こそが、真里さんの交際相手じゃないかと思っているんですよ」
「……」
「友人の田中さん曰く、交際相手は大岐大学の学生だったということです。それ以外の情報は教えられていなかった。両親に至っては交際相手の存在も知らなかった。それは何故か。教えられない事情があったからと考えるのが普通です。秘密にしておきたい交際。後ろ暗い交際。一番に挙げられるのは、付き合ってはいけない人間と付き合うこと。例えば、相手が既婚者であるとか」
「それこそ突飛だ。相手は大学生でしょう?」
「ええ。でも友人の田中さんも交際相手の年齢までは知らなかった。大学は義務教育とは違う。年齢に関しては実に多様な人間が通う場所だ。大学生と聞くと先入観で十八歳から二十二歳と考えてしまいがちだが、そうじゃない。浪人生もいれば、学び直しで大学に通う大人だっている。この大学にも何人かいるじゃないですか」
その瞬間、カフェテリアに嘘のような静寂が生まれる。
偶然に全員が黙ったのか、はたまた周囲の音を遮断する何かがあったのか。
音の隙間に潜り込むように、俺は小さな声を、低く、低く、響かせる。
「例えばほら、近くにもいますよ。……経営学部の三年生。四十五歳、男性。そうですよね。
男の目がかっと開いた。
「どうして私の名前を」
「どうして? 愚問ですよ間野さん。探偵を侮っちゃいけない」
「大岐大学の学生全員の名前を調べたんですか」
「まさか。調べるべき人間だけを調べたんですよ」
「調べるべき……人間?」
男の、間野春樹の呼吸が幾分荒くなる。それを動揺と言うなら、彼は相当に揺さぶられていた。
「大学生の交際相手はいるが年齢を含めた詳細は不明。家出当日に繁華街で会っていた男がいる。家出をして隠れるなら、家族に存在を明かしていない交際相手の家が最も適している。それらから、大学生の彼氏と繁華街で会っていた男とを結びつけるのはそれほど無理のないことでした。となれば、調べるべき対象は絞られる。大岐大学に在学中の学生で、親子ほど年齢の離れた男性。つまり四十代から五十代の学生についての情報を集めました。なかなか難航しましたが、少なくとも数名在籍していることが分かった。その中にいたのがあなたです間野春樹さん。まあその時点では、数名のうちの一人でしかないわけですが」
「その時点では……?」
俺はわざとらしく口角を上げる。
「左手の薬指、指輪されてますよね。ご結婚されているんですか?」
「え……ええ」
「今はご自宅から通学を?」
「いえ、近くに部屋を借りています」
「近くのアパートですか。学生向けのアパートはいくつかありますが、近くとなると、すぐそこのピアチェーレですかね」
分かりやすいくらいに間野は反応を見せる。
「ビンゴですか。大学のすぐ横にあったので、そこかな、と。徒歩一分ですよ。最高の立地だ。家賃も、他の学生向けアパートよりは高そうだ」
「……個人情報ですので」
「そういえばそうですね。失礼。ただの確認です。数名いる男性の内、既婚者はあなただけだったようなので、どうされているのかなと思っただけで」
怪訝な表情を浮かべる間野に、俺は極めて冷静に振る舞うよう努めた。
余裕を見せる。多少の虚勢であっても構わない。俺は探偵だ。この瞬間において、謎を解くという立場を崩してはいけない。
「続けましょう。……もし、もしですよ。真里さんが彼氏の家にいて、ただ四日間家に帰っていないだけ、というなら何も問題はないわけです。ですが、今回の件はそれほど穏当な話ではないのかもしれない、と今は考えています」
「何故ですか」
「おかしな点があるからです」
「おかしな点?」
「返事がないことですよ。真里さんは家族のみならず友人からの連絡にも返信をしていない。しかし既読はつくんです。おかしいですね。友人にまで無視を決め込む必要なんてどこにもないというのに。となれば、必然的にこういう結論に辿り着く。彼女は返信できない状況にある。単に彼の家にいると考えるのは難しい」
男は鼻で笑う。
「そうなると、既読がつくこともおかしいじゃないですか」
「スマホを誰かに奪われていると考えれば何も不思議はないですよ。その人間は、真里さんの家族友人からの連絡を逐一確認している、情報を得るためにね。その際にどうしても既読をつけてしまう。それに返信をしてしまえば文面の違和感から別人がスマホを持っていることがバレてしまいかねないためできない。ほら、理に適った推理だ。その人物はおそらく、既読を付けずに読むすべを知らないんです。若い人は、その方法を大抵知っているんですけどね。彼はスマートフォンの持つ機能を、その利便性を、あまり熟知しておられない」
相対する二人の間に、丸みを帯びた電子音が一つ鳴った。
スマホがメッセージを受信したのだ。
俺ではない。
間野春樹の持つスマホから発せられた音だった。
「どなたからか連絡が来たようですよ。確認されたほうが良いのでは?」
間野は取らない。ここに来たとき以上に湿った額を拭うこともせず、ただこちらを真っ直ぐ見つめている。
「さあ遠慮せず。可愛らしいスマホケースに入ったそれに何が送られてきたのか、是非教えてくださいよ」
間野は微動だにせず、一度深く息を吸って、ゆっくりと口を開いた。
「いつからだい」
「いつからとは?」
「いつから、私にそのような濡れ衣を着せようなどと思ったのですか」
間野の声は、震えていた。
「難しい質問だ。そうですね。いつから。いつからと言えば……最初からです」
「最初?」
「ただの家出である可能性も捨てきれない中で大学に来て、真里さんの友人と話をし、ただの家出ではないという想像はつきました。だが確信には至らない。でもね間野さん、やっぱりあなたが一番怪しかったのは、最初からそうなんですよ。あなたが大学で学ぶ理由もこちらとしては掴んでいる。あなたは会社の社長だ。だが経営状況が芳しくない。そのため、会社を妻に任せて経営について学び直している」
「それのどこに疑う余地がありますか」
「単なるきっかけですよ。金に困っているかもしれないと考えると、どうしても頭の片隅に残りますから。でもね間野さん、確信はもっと別のところに転がっていたんですよ」
「別のところ?」
「今です。この瞬間に、俺は疑いを確信に変えた。今というより、あなたがここに来た瞬間、と言うべきですかね」
机を中指の第二関節で二度ノックする。
「一つ質問をしましょう。間野さん。あなたはなぜ、俺に話しかけてきたのですか」
強張った肩をストンと落とし、間野は詰まっていたような息を吐く。
「何を今更……。ですから、スーツを着た男性がおられたから」
「本当に? この大学内にスーツ姿の男が珍しくて話しかけたのですか? そんな馬鹿なことはないでしょう間野さん。ここは大学ですよ。このカフェテリアには学外の人間もランチやティータイムに訪れる。ご婦人方にサラリーマン、清掃員に大学職員だって散見されるこのカフェテリアで、たかだかスーツを来ていた程度の、確かに髪色は派手で学生らしくは見えないでしょうが、それでも個性の坩堝たる学内のカフェテリアで、あなたは興味を抱くに留まらず話しかけてきた。なぜですか間野さん。なにか特別な理由があるようにしか、俺には思えないんですよ」
間野春樹は黙る。
この期に及んでも間野は答えられないだろう。白を切りたいなら答えられるはずもない。
「代わりに答えましょうか。間野さん、あなたは俺を探していたんですよ。厳密に言えば、大学内で水無川真里のことについて聞いて回っているスーツを着た銀髪の男、それを必死になって探していた」
間野の目が血走る。
「俺を見つけたとき、あなたはいても立ってもいられずに話しかけてしまった。きっとそんなつもりじゃなかったでしょう。知らないふりをすることだってできたのに、そうすることができなかった。危機感を覚えたからだ。電話をしている俺が何を話していたのか気になって仕方なかった。違いますか?」
間野は、笑った。目は笑っていない。
口角を僅かに上げた間野は、思わず笑ったのではなく、笑おうとして笑ったのだ。
「何をおかしなことを……私には探偵さんが何を仰っているのか分かりません。私はただ学内のコンビニで、コーヒーとルーズリーフを買っていただけですよ」
「でしょうね」
「だったら」
「そのコーヒー、いつ買ったんですか」
「……は?」
「違和感を覚えたんですよ。今日は汗ばむほどに暑い日です。あなたもここに来たとき汗を掻いていた。そんな日に買ったアイスコーヒーは、普通なら暑さにやられて汗をかくんです。プラスチックの容器にはそれはもうたっぷりの水がついているはずだ。なのに、あなたが持ってきたコーヒーには既に氷はなく、もちろん水滴もついていない。あなたは汗を掻いていて、水分を欲しているはずなのに、何故飲んでいないのか。コーヒーを口に運ぶことを忘れてしまうほどのアクシデントがあなたに起きたからだ。あなたは俺と会って、すぐさま着座しコーヒーを飲んだ。これまで飲む余裕がなかったのに何故ここに来た途端そのコーヒーを飲もうと思えたのでしょうか。結論は簡単。俺を見つけることがあなたの目的であり、それこそが、あなたにとって不測の事態そのものだった。そう思ったからこそ、疑わしい人物の一人でしかなかったあなたが、今回の件について何らかの関わりを持っている人物ではないかと確信に至るきっかけになりました」
間野は鼻息荒く首を振る。
「……それだけのことで」
「では間野さん。疑いを晴らせますか。だったら話は簡単だ、いい方法がある」
俺は右手人差し指の腹で机をトントンと叩いた。
「今、あなたのポケットで鳴ったスマートフォン。ここに出してみてください。そこに全てが残っているはずだ。いや、それそのものが言い逃れできない何よりの証拠になる。この四日間、幾度となく鳴り続けたであろうそのスマートフォン、ここに出して見せてくださいよ」
四十代の男が持つにしては可愛らしいケースの付いたスマートフォン。届いたメッセージを一読するくらいのことはして然るべきなのに、それすらしなかった間野は、スマホを出せと言われても微動だにしない。ならば、待ってやる必要はない。
「間野さん。そのスマホにはこんな文章が送られてきたんじゃないですか。『銀髪のスーツを来た男が学内で真里について聞き回ってる。なにか知ってる?』」
間野は机を見つめて動かない。
何故それを知っている、とでも言いたげなその表情に、俺は指を突き立てた。
「話を聞いた真里さんの友人らには、彼女が行方不明であることを伝えてはいません。となれば友人らは、不審な男が水無川真里について聞き回っているという事実を真里さんに教えようと思う。当然のことです。あなたはそれを見たはずだ。そして、焦った。血眼になって俺を探したことでしょう。……どうしますか。スマホ、見せてくれますか」
見せるはずもないことは分かったうえで、俺は身を乗り出して、彼を煽った。
「ところで、最初に申し上げた通り、シルバー&ブラック探偵事務所にはもう一人探偵がいるんです。うちは小さい事務所ですから、それぞれが別の仕事をするような体力はない。二人で一つの依頼を請け負います。最初から、俺は一人じゃなかったんですよ。ここまでの推理にもあいつの力は多分に活かされている。俺一人じゃ、ここまでのことはできない。では、今その探偵は何をしていると思いますか」
間野がこちらを見た。充血したように目で、俺を見た。
「彼女の行方は分からないんだ。俺達だって好き勝手はできませんよ。突き止めても、暴いても、彼女の身に危険が迫るようなら意味がない。大切なのはこの事件の真相じゃない。水無川真里さんの安否だ」
俺は内ポケットからスマホを取り出して、間野に見せつけるように持ち上げた。
「我が探偵事務所の探偵、ワンボことワンボックスが、真里さんの無事を確認したそうです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます